18 Aroma 【芳香】 【18-5】

【18-5】


岩佐教授がすでに支払いを済ませてあったものなのだから、

たとえ自分が住まないにしても、人に貸すなり、どうとでも出来たのではないだろうか。

売ったという事実が、お金を必要としていたと結びつけるのは、

あまりにも簡単だろうか。



『伊豆』と『マンション』



確か、去年の11月頃だった。

彼女が急に長い休みを取り、伊豆へ戻っていたと話してくれたのは。


「宇野……何か知っているのか」

「いえ、ちょっと気になることはあるのですが」


そうだった。

なぜ、急にマンションを売ってしまったのだろう。

柿沼が伊豆に力を入れだしたというのは……



ただの偶然なのだろうか。



「相馬さん、東京のマンションを売ったんです。岩佐教授が、
亡くなったお母さんと娘さんたちのために、生前買ってくれたものだと、
前に聞きました」

「マンション?」

「はい」


そうだった。どうしてあの時、もう少し詳しく聞かなかったのだろう。

自分があまりにも浅はかな理由で彼女に近付いたために、

これからどうするのか、どういう生き方をするのかまで、聞くことが出来なかった。


「富田さんなら、ご存知でしょうか。もしかしたら、相馬さんのお母さんが、
柿沼に借金をしていた……とか、それとも……」

「さぁ、どうかな。あいつ今回の記事を書いたことで、
ちょっと政治家たちからも睨まれていてさ。少し現場から離れてるんだ」


精力的に動き、過去の闇にメスを入れた記者。

世間的に見れば、ジャーナリストとして当然のことをしたまでなのだが、

立場のある人たちからすると、危ない存在に思えるのだろう。


「毎日、資料整理とか、色々雑用が多いらしい」


さらに、外出などすると、どういう人間と会っていたのかも、

色々調べられているという。


「そんな……」

「まぁ、しばらくだろうけどね。柿沼を始めとして、
これ以上、あいつに正義の心を振りかざされると困るやつがいるということだろ」


相馬さんは、長い間抱えていた『家族』の荷物を降ろし、

本当に一人の女性として歩き始めたのだと、僕は思っていた。

自然に囲まれた場所で、大きく深呼吸しながら、生きていく姿を、

それなりに想像していたけれど……





「分譲マンションですか」

「はい。えっと……ここから車で4、5分のところにある。
少し築年数は経ってますが、あの」

「あぁ、『ライム峰が丘』のことだね」


不動産やのご主人は、ファイルを取り出すと、このマンションですかと僕に写真を見せた。

僕はそうですと、頷く。


「これねぇ……」


澤野さんから、柿沼が伊豆に目を向けているという話を聞き、

僕は、相馬さんがマンションの売買を頼んだと言っていた店へ顔を出してみた。

店主は、確かに売りに出ていたけれど、もう売却済みだと、そう答えを返す。


「あぁ、そうですか。えっとちなみに、どの部屋で」

「部屋はねぇ……」


3階の部屋。そう、まさしく彼女の部屋だった。

相馬さんが話していた通り、岩佐教授が残したマンションは、

もう新しい人がリフォーム中だという。


「そうでしたか……以前、ちょっと気にしていて、どうなったかなと」

「あはは……お客さん。こういう超がつくような掘り出し物は、
すぐに来ないとダメですよ。それでなくても、売主さんに事情があったから、
破格の値段で売りに出したのですから」



『売主の事情』



「売主さん、売却を急いでいたのですか」

「あぁ、うん。なんだか東京を離れるということと、
お金がまとまって必要だったようでね」


まとまったお金……

やはり、彼女はきっと、亡くなった母親の借金のためにマンションを手放した。



誰にした借金だったのだろう。



まさか……柿沼……


「お客さん、こっちはどう?」

「あ……はい。また、ちょっと検討してきます」


僕は、店主が新しい話を振る前に、すぐに店を出ることにした。



静岡県、伊豆

相馬さんが、東京を離れて向かった場所。

でも、僕が知っているのは、これだけだ。

いくらなんでも、これだけでは、探しようもない。



『楽しかったです……』



彼女は、今、どういう暮らしをしているのだろう。



大通りを走るトラックの重さで、立っている場所が少し揺れる気がした。




【18-6】

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