23 Affection 【慕情】 【23-5】

【23-5】


「もし、そんな話を柿沼が持ってきたとしても、
僕は受けるつもりもありませんから」

「宇野先生……」

「強がりでもなんでもないですよ。
僕は、権力者に媚を売って生きていくような生き方は出来ません。それに……」


そう、そんな生き方は、したくない。


「予想していた生き方ではないですが、今の自分を、結構気に入っています」


最初は、しがらみの面倒くささから抜け出したいだけだった。

しかし、今、『ストレイジ』で仲間たちと本気でデータを導き出して、

互いの個性を認め、成果をあげていく。その成果が全てお金となるだけで、

プライベートと仕事をきっちり分ける生活ぶりも、嫌だとは言えない。

そこに、媚だのおべんちゃらだの出世だのは、存在しないから、

それぞれ『成果』に向けてだけ、努力が出来る。


「手のかかる学生たちを、送り出すのも、結構、楽しいものだと……」


『予備校の講師』

入った頃、教室長に『何を目指したのか』と聞かれたことがあった。

予備校の講師を目指そうと、子供の頃から考える人間は、確かにいないだろうが、

なってみて初めてわかる楽しさ。

僕は今、それを実感している。


解けない問題を解こうとする学生の目と、それに応えようとする講師の目。

勉強だけでつながっていないとわかったとき、おもしろいように成績が伸びる。


「だから、柿沼の言葉など、何も気にする必要はありませんから」


あいつの力は、今でも巨大で、倒すことは無理でも、

あいつと無縁の生活を送ることは出来るはず。


「余計なことを何も考える必要はありません。
正直な相馬さんの思いを、聞かせてください」


戻らない過去に引きずられるようなことも、『家族』という名のもので、

無理に自分を押さえ込むことも、もう必要ない。


「あなたの心のままに、答えを出して欲しい」

「……はい」


『僕達は自由』であると、初めて笑顔で頷いてくれた彼女の表情に、

心の底から、気持ちが生まれ変わった気がして、

僕はただ、微笑み返すことしか出来なかった。





「秋野君が?」

「うん。お父さんの事業が失敗してしまったそうで、
結局、『海南』受験は中止になって」


相馬さんは、それで俊太がどうしているのかと、僕に問いかけてくる。


「実は、その話が教室長から出て以降、俊太は塾に顔を見せていなくて。
まぁ、僕自身、毎日塾に顔を出しているわけではないので、
絶対に来ていないと断言は出来ませんが」


このまま、フェードアウトしてしまう可能性が高いだろうけれど、

もし、俊太が塾に姿を見せたとき、どう声をかけてあげたらいいのか、

それがどうもまとまらない。


「相馬さんなら、どう声をかけますか」

「私……ですか」

「はい。僕は元々、自分が公立の学校を出ていて、受験も高校まで無縁でした。
だから、人生はまだこれからだし、勉強したことだって
知識として身についているのだから、また次のチャンスをと、
そう……あたり障りのないようなことしか、言えない気がして」


そう、きっとそんなふうに誰も悪くはないからと、言ってしまうだろう。


「私なら……」


『家族』というものに、いい意味でも悪い意味でも振り回されてきた彼女なら、

この状態に、どう言葉をかけるだろう。


「私なら、思い切り怒れと、そう言います」

「怒る?」

「はい」

「それは、親をということですか」

「そうです」


『怒る』

僕には意外な言葉だった。


「小さい子供が、どれだけのことを犠牲にして、プレッシャーを感じて、
取り組んできたのか、それをご両親にぶつけるチャンスですから」


ぶつけるチャンス。

確かに、『海南』合格だけを目標にしてきたので、

小さな出来事をほめてもらえることもなく、俊太は、必死に戦ってきた。


「姉の具合が悪いから、姉が悲しい顔をするから……そう言われて、
何もかも仕方がないと、そう思い続けてきました。
でも、本当はたくさん友達と遊びたかったし、もっと色々とチャレンジしたかったし……」


相馬さん自身のこと。

僕は、彼女の叫びを聞き続ける。


「声に出せるときに出さないと、我慢することがどんどん当たり前になります。
私は、いつの間にかそんな生き方しか出来なくなっていて……」


耐えることを当たり前にしてきた日々。

それをわかってくれる人もいれば、柿沼のように利用するやつもいる。


「思い切り不平や不満を吐き出すべきです。ものわかりのいい子供になんて、
ならなくていいと思います。それで、その後……この経験が無駄にならなかったと、
俊太に結果を出してあげられたら」


『SOU進学教室』では、高校受験のコースも公立、私立と整っている。

その時の経済状況があるので、今はどっちと言えないが、

確かにもう一度、別のスタートを迎えることになるだろう。


「……と、今までいえなかった事を……」


長い間、耐えてきた人の、心からの叫び。


「はい」


僕は、初めて『本音』を聞けた。


「はぁ……」


息切れしてしまうほどのことなのかと、思うと、なぜかまたおかしくなってくる。


「相馬さん、伝えましょう、俊太に」


僕が間接的にではなく、相馬さん自身が俊太に会って、声をかけて欲しい。


「東京に、出てきてくれますよね」


僕のその問いかけに、彼女は初めて小さく頷いてくれた。




【23-6】

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