28 Testament 【遺言】 【28-3】

【28-3】


「心配しなくていいよ。岩佐教授が遺してくれたものなのだから。
僕達に悪いことが起きるわけがない」

「……うん」


そんな確証、どこにもなかったけれど、そう言わなければ、

僕自身も不安に押しつぶされそうだった。

離れたと思うと、また、あの柿沼の顔が、目の前をちらつき始める。


「何を出されても怖いものはないよ。僕にも、君にも、
もう失うものはないのだから」

「うん」

「大丈夫……」


郁美は返事の代わりに僕の腰に手を回すと、精一杯の力で、寄り添おうとする。

何があっても、この『幸せ』だけは無くさないのだと、そう二人で誓い合った。





次の日、教室長から郁美宛に連絡が入った。

やはり時期的に今、中途で採用できる事務はどこにもなく、申し訳ないということ。

しかし、今年の冬に結婚して仕事を辞める女性が一人いる情報も得たため、

そこまで待てるのなら、話を進めていくがとそう提案してもらう。


「川を渡るわけだ」

「そう……電車で1時間はかからないと思う」

「うん……」


椛島教室長率いる『青原南』に比べたら、少し遠い場所だけれど、

今時、通勤時間1時間など、当たり前のことだと、郁美は笑った。


「だから、部屋もそっちの路線に絞ろうかと思って」


郁美はパソコンで情報をすでに集め、

明日にでも不動産屋を訪れてみようかと思っている話をしてくれた。

今日から僕は『ストレイジ』の仕事に復帰したため、一緒に行動できず、

彼女の力だけで話が進んでいることに、どこか肩すかしをくらった気がしてしまう。


「そんなに焦らなくても、よくないか」

「焦っているわけではないの。居場所がきちんときまらないと、
清田の家にお願いしてある荷物も、取りにいけないでしょ」

「まぁ、そうだけれど」


僕としては、荷物くらい今流行のレンタルボックスなどに預け、

ここを拠点にし、ゆっくりと進めて欲しい気もしていたのだが。


「色々動いていないと……私自身が不安になるの」

「不安?」

「しっかり頑張っている自信があれば、どんな話も受け入れられる気がして」


明日、僕が大平先生に会うこと。

そう、互いに別のことをしながらも、やはりそこが気になった。

岩佐教授の遺した物。


「今、働いて欲しいと手をあげている場所は、たくさんあるから。
とりあえずパートでも探して、一人立ちしないと」

「……うん」


幼い頃から、病気がちの姉に関わる母を頼ることなどなく、

一生懸命に自分の出来事に関わってきた、郁美らしい考え方。


「わかった。それなら明日、候補になりそうな物件、いくつかもらってくればいいよ。
選ぶことに参加するくらい、僕にも許されるだろ」

「許される? やだ、当たり前でしょ。柾さんがイヤだって言うところには、
行くつもりないし」


そんなたわいもない会話をつなげながら、僕らは次の日を迎えた。





僕が卒業した『東城大学 理学部』。

そして、大平先生が卒業し、先日までの長い争いを制した高橋教授が、

トップに立った『東城大学 医学部』。

今日、僕が呼び出されたのは、その医学部の教授室になる。

学生時代は、何度か入ったことがある建物だけれど、古さを増したことで、

その風格もまた、増した気がする。

間違いなく、今日本の医療現場の中で、ここを卒業した人たちが、

ひとつの力を持っていることは間違いない。

扉の前に立ち、ノックをすると、中から『はい』という返事が聞こえてきた。

僕はドアノブをひねり、頭を下げ、そして前を見る。


「宇野さん、さぁ、入って」

「はい」


すぐ声をかけてくれたのは、大平先生だった。

そこには高橋教授、そして、黒のスーツに身を包んだ知らない男性がいる。

テーブルの上にある封筒、あれが今回のものだろうか。


「宇野かぁ……君も年を取ったな」

「あ……はい」


何度か、岩佐教授の部屋で雑談する高橋教授と顔をあわせたことがあった。

高橋教授は他大学出身なので、以前なら、出世して医学部のトップになるなど、

考えられなかった。しかし、現実は現実。

世の中は動いたということだろう。


「まぁ、座りなさい。立っていても仕方がない」

「はい」


僕は勧められた場所に座り、遅くなりましたともう一度頭を下げる。

大平先生は、僕の隣に座る男性が、弁護士なのだと教えてくれた。


「弁護士……」

「はい。はじめまして。『渡瀬法律事務所』の渡瀬と申します」

「あ……宇野と申します」


しっかりとした名刺を受け取り、その名前を見た。

個人事務所のようだが、白髪の、経歴がありそうな人が座っている。

弁護士が立ち会うなど、何か起こることに間違いなさそうで、少し鼓動が速くなった。




【28-4】

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