29 Determination 【決意】 【29-2】

【29-2】


「そうですか」

「はい。昨日、無事に引越しを終えました」

「それはよかった」


伊豆から荷物を出した次の日、郁美が新しく暮らすことにした部屋へ、

業者からの荷物が届き、引越しが終わった。

まだダンボールの山だけれど、これから少しずつほどいていくと、教室長に報告する。


「それで、相馬さんは何を」

「とりあえずスーパーでパートを見つけました。社員割引があるとか、
閉店後だと、色々と安くしてくれるとか、現実的なことを色々話してくれましたけど」

「あぁ……そうですか」

「とっても料理の上手な先輩主婦の方がいるらしくて、
休憩中に、レシピをもらうそうです」

「ほぉ、それなら楽しみですね、宇野先生」

「あ……はい」


僕の収入だけでも、郁美の生活を援助するくらい、出来ないわけではないのだけれど、

自分の足で大地を踏みしめたいというのが、彼女の希望だったため、

今回は、ほぼ全て、郁美の思いに従った。

『家族』というものの呪縛から解放された時間を、

少しでも楽しんで欲しいとそう思う。


「それでは、失礼します」

「あぁ、はい。また来週」

「はい」


塾の中は温かいのに、外へ出た瞬間、凍りつきそうな風に、

一気に体温を持っていかれてしまう気がする。

マフラーの隙間を手で押さえ、寒い風を入れないようにする。

それでも風は容赦ない。僕は、足早に駅へ向かう。

次の電車まで、あと2分。



『理数系トップの大学教授、実績はウソの塊』



改札を通り、ホームにある売店で、タバコを1箱買った。

下にはズラリと並ぶ、夕刊。

昨日、引越しを終えた後、大平先生から連絡をもらった。

研究者たちが、自分の成果を発表し、それを掲載する有名雑誌の編集長と、

『東城大学 医学部』高橋教授は、渡瀬弁護士立会いの中、

岩佐教授の『もうひとつの遺書』を開封し、この掲載が決定した。



『中央新聞社の富田さんにも、連絡を入れさせてもらったよ。
お世話になったしね』



その後、すぐにテレビでの記者会見が開かれ、

怪しいものに対しては、これから全て調べを進めること、

すでに明らかになった成果について、全て取り消しとし、

教授の名前は外されると、研究センターの理事長会見まで、

あっという間にセッティングされた。


僕が、尚吾から初めて郁美の話を聞いた日、

あいつは今、柿沼の天下だけれど、蹴落とすタイミングを狙っている人間は、

何人もいるのだと聞いていた。


こうして、一斉に色々なネタが明らかになるのは、

そういう隠されていたスキャンダルが、一気に爆発したと言うことだろう。





「いやぁ……乾杯!」

「そう、大きな声を出すなって」

「何を言っているんだよ、これが喜ばずにいられるか?」


柿沼の悪事が、記者会見と夕刊で明らかになってから3日後、

久しぶりに僕は尚吾と飲み会を開くことになった。

『東城大学』の勢力図が、一気に変更されたことを、知らなかった尚吾は、

あのおとなしそうな高橋教授が、ついに正体を現したのかと感心する。


「正体って、高橋教授は立派な方だぞ」

「わかってるよ。岩佐教授と仲がよかったしな。
俺も何度か挨拶をしたことがあった。でも正直、うちの出身じゃないし、
トップになることはないだろうなと」

「うん……僕もそう思っていた」


尚吾はメニューからあれこれ勝手に決めると、

そばにきた店員に頼んでいく。


「柾、他に何かいるか?」

「……いいよ、とりあえず来てみて、何か思いついたら頼むわ」

「じゃ、それで」


店員は『かしこまりました』と頭を下げて、僕らのテーブルを離れていく。


「それにしてもさ、岩佐教授っていうのは、本当にすごい人だよ」

「うん」


尚吾に、全てを語っていないけれど、だいたいどういう経緯で今に至ったのか、

おおよその話しは昨日の電話で済ませてあった。

岩佐教授が、僕の研究を材料にして、柿沼の悪事を暴いたが、

その裏で、何年も先輩方が柿沼から吸い取られていたことも、

今回の出来事で、一気に明らかとなったからだ。


「長い間、行き場がなく溜まり続けていたため息も、苛立ちも、
本当にスーッと体中から引いていく気がしたよ」

「あぁ、その通り」


僕は、柿沼に対しての怒りから、

『ゲーム』だと自分で決め付けた日々を送っていた。

どうあがいても、あいつと並ぶことなどないと思っていたけれど、

岩佐教授が『遺してくれたもの』のおかげで、今、ここまで歩いてこられた。


「で、あらためて聞くけどさ、お前も柿沼のことで気持ちも落ち着いただろうし、
どうだろう、以前、話をしたことなんだけど」

「話? 何かあったか」

「ほら、彼女の姉さんと……」


尚吾の付き合っている女性の親は、年上の姉が嫁に行かない限り、

妹の結婚は許さないと、そう決めていた。


「あ……あのさぁ」


そう、まだ、郁美のことは何も話していない。

どうせ尚吾の話しは冗談だろうけれど、ここはいいチャンスかもしれなくて……


「あのさ、尚吾」

「なんだよ」

「実はさ……」


尚吾から『柿沼が大切にする女性』だと、郁美のことを教えてもらった。

あれから1年半。色々なことがあって……


「あのさ……」


彼女との日々など『ゲーム』だと、そう言いきっていたけれど、

今は……


「僕には、もう守りたい人がいるんだよ……じゃないのか? 柾」

「……ん?」

「ん? じゃないよ、そうなんだろ」

「どうして、それ」

「それくらい見当がつくよ。お前、あの人と別れてから、
どうしようかと悩んでばかりだっただろ。会っても、あんまり楽しそうじゃなくてさ。
それがどうだよ、今日のお前は『快晴』状態じゃないか」

「快晴?」

「そうそう。もう、心配事も問題も何もなくなったんだって顔をしているからさ」

「なんだよ、それ」

「違うのか?」

「いや……違わないけれど」

「ほら見ろ!」


尚吾には、すっかり気持ちが読まれていた。




【29-3】

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