3 演奏会はエールを込めて

3 演奏会はエールを込めて
今までは、歩きやすさもあり別の道を通っていたが、それからは仕事から帰るとき、

朝、仕事に向かうとき、私は必ず『どんぐり保育園』の横の道を通るようになっていた。

何も意見を求められているわけではないし、関わらなくていい話なのは、

重々わかっているのに、小さいけれど昔からここにあるこの保育園がどうなるのか、

大丈夫なのかどうしても気になってしまう。

『新町幼稚園』の子供たちと同じように、部屋から庭から、園児の声が聞こえると、

今日もちゃんとそこにあるのだと、なぜか安心できた。


「おはようございます」

「あ……おはようございます」


あるときの壮介さんは、園の前をエプロン姿で掃いていた。

またある日には、電車の中から、小さなあの園庭で子供たちと踊っている壮介さんを見た。

なんだろう、腰に手を当てて楽しそうに踊っていたけれど。

ほんの2、3秒しか目に入らない光景だったのに、頭に残ってしまう。


昔は、今のように『保育士』とは呼ばず、この職業は『保母さん』と呼ばれていて、

女性のものというイメージがあったが、今は、どこの保育園でも幼稚園でも、

男性がスタッフとして常勤してることが増えた。

女性には出来ないダイナミックな遊びも、子供たちは楽しみにしている。

男でも女でも、そこに共通しているのは子供が大好きだということ。

この職業に必要なことは、そこに尽きると思う。





そして、クリスマスまで、あと数日になった。

誠さんは、どこかレストランを予約して、一緒に食事をしようとそう言ってくれる。

私はその日を楽しみに待っているつもりだったが、穏やかな日々は急に変化を見せた。


「なみ先生」


そう私に声をかけてきたのは、

何かというと、誠さんとのことを聞きたがる、みき先生。

仕事でわからないところがあるのかと思い、

どうしたのと言いながら、彼女のそばに向かう。



「私……副園長と一線、越えましたから」



得意げな顔をした後輩は私の横を通り過ぎる。

『一線』という言葉がどういうことを意味しているのか、そんなこと明らかだった。

私は、子供たちがはしゃぐこの場所で、

そんなことを堂々と話すことが信じられなかったし、

いや、誠さんがそんなふうに自分を裏切るなんてことも、考えていなかった。

私に見せてくれる顔は、いつも優しくて、穏やかで……

その日、それから何をしていたのか、どう過ごしたのか、あまりよく覚えていない。

時間を見つけて誠さんと話をしようとしているのに、

なぜだろう、どこか避けられている気がした。



「あれ? なみ先生、まだ残っていたんですか」

「あ、うん。もう帰ろうと思うんだけど……」


なんだろう、いつも私のことを気にしてくれて、

一緒に仕事をすることが多い、はるな先生だったからか、

それとも、どうしたらいいのかわからないという顔を、私がしていたのだろうか、

彼女の方から、飲みに行きませんかと誘ってくれた。

お勧めの店があるというので、はるな先生についていくと、

そこは『ミラージュ』という、カクテルが美味しいと評判のお店だった。

店長はどうも、はるな先生の知り合いらしい。

とりあえず、あまりお酒には詳しくないので、勧められたものを飲むことにした。


「美味しい」

「でしょ、よかった」


はるな先生は、実は……と私に話を切り出してくれた。

突然の告白をしてきた、みき先生は、職員室でも自分が誠さんを奪うのだと、

堂々と話しているという。


「副園長がどういう気持ちなのかわからないけど、あれだけ言うのには、
何かあるのかなと……なみ先生、気をつけたほうがいいよ」


タイミングとはこういうものだろうか。

順番が、微妙に逆になってしまって、今の私にはどうしようもない気がする。

何日前に戻れば、こんな気持ちにならずに済んだのだろう。

1週間なのか、それとも1ヶ月なのか。

いや、どう頑張ろうと、この日を迎えてしまうかもしれない、

なんとなく、そう思えた。



そう、前から感じていたことがある。



私のようにあまり長所がないような女を、どうして彼が選んだのか。



幼稚園には、たくさんの女性がいる。

それなりに理由があったのだろうが、もしあるとしたら……



きっと、私がこんな状況になっても、強く出られないことがわかっているから。



美味しいカクテルを数杯飲み、はるな先生と別れて、駅まで戻る。

電車の揺れが心地よく酔いを体全体に回してくれたのか、

なんだかふわふわしていて、気持ちがいい。

おかしいな、誠さんが裏切っているのだとしたら、怒るべき夜で、

イライラしないとならないのに。

私は、夜道を街灯に守られながら、部屋に向かう。

いつものように『どんぐり保育園』の前を通ったとき、

中に明かりがついているのが見えた。

こんな時間まで延長保育をしているのかと思い、塀の隙間から中を見ると、

残っていたのは園児ではなく、ギターを持った壮介さんだった。


「ギター? 何? あの人弾くの?」


酔っているからなのか、思ったことがどういうわけか、言葉になって出てしまう。

壮介さんの持っていたのは、今流行のエレキギターなどではなくて、

優しい音色のするアコースティックギター。

何やら口も動いているので、歌っているのかもしれないけれど、

窓ガラスと通り抜ける電車の音に、あまり聞こえてこない。

それでも、少し漏れてくる音に耳を済ませていると、その音が突然止まった。

そして、塀の隙間から覗き込んでいた私と、壮介さんの目が、

確実に、しっかり合ってしまう。

今更ながら、どうしてこんなことをしていたのだろう。

姿勢も中腰、周りからみたら明らかにおかしいはず。

慌てて立ち去ろうとしたけれど、余計におかしい。

私は覚悟を決めて、覗き見していたことを謝ることにする。


「本当にごめんなさい」

「いえ、驚きましたけどね、隙間から真剣に覗き込んでいる人がいると思ったら、
なみ先生で」


壮介さんに誘われるまま、私は初めて『どんぐり保育園』に入った。

『新町幼稚園』に比べたら小さい場所だけれど、手作りのものは多く、

おもちゃなども温かみのあるものが多い。


「何を歌っていたんですか?」

「歌? あぁ……歌というより、後悔のつぶやきをしていました」

「後悔ですか」


壮介さんは、大学を卒業してから、仲間と一緒に音楽の旅をしていたと教えてくれた。

4、5年自由な生活を楽しむだけと考えていたが、

園長先生をしている母親が倒れてしまい、状況が変わったという。


「まさか……でした。元気いっぱいの母が、心臓に持病を持っていたなんて、
思いもしなくて。祖母から電話があったその時も、老人ホームの慰問をしていましたが、
すぐにこっちに戻ってきたんです。予定よりは早いけれど、
こうなったら、今こそ自分が保育園を守らないとと考えたのですが……」


壮介さんは、元々、保育園をやっていくつもりもあり、保育士としての免許も取った。

しかし、いつも顔をあわせている母親と、すぐに一緒に頑張るという状況に、

照れがあったと言う。


「うち、両親が離婚しているんですよ。幼い頃から祖母と母が仕事を頑張りながら、
育ててくれたこともわかっていたけれど、『女性中心』という状況に、どこか反抗的で。
感謝の気持ちは素直に出せなかったんですよね。大学を卒業したときも、
母親はまだ元気だし、俺は俺で少し自由にさせてもらうって宣言して飛び出して。
でも、本当は将来のためにと、自分なりに考えているつもりでした。
友達とギターを持って、保育園とか幼稚園とか老人ホームとか、
そういうところをずっと、回り続けて」


壮介さんは、一度母親との距離をしっかり置いてから戻ってこようと、

自分なりに計画を立てていたと話してくれた。

母親と一人息子。

いくら育ててくれたとはいえ、確かに素直になれないのもわかる気がする。


「母親が倒れて、歳をとった祖母でしょ。よし、今こそ俺がと意気込んで戻ってきたのに、
現場に立ったらあたふたするばかりでした。頭ではわかっているつもりなのに、
うまく回せないんです。頑張ろうと思っても空回りが多くて」


壮介さんは、頭の中だけで『保育園』を組み立ててしまったと、悔しそうな顔をした。


「母がどうのこうのじゃなかったんですよ。俺は、この現場で、
みなさんに叩き込まれないとならなかったんです。
園長の息子だから、経営をするのが当たり前じゃなくて、
子供たちを見て、感じて、親の思いをしっかり受け止めて。そこからだったなと」


緊急事態に壮介さんは戻ってきたけれど、

現場に立つ保育士たちには、思いが本気なのかと疑われてしまった。


「当たり前ですよね、俺が悪いんです。
かっこつけて、旅をするなんて飛び出しておいて。そりゃ、なりますよ。
こいつ、本当にやる気があるのかって」


病気になり、すっかり気持ちを弱くした園長は、

音楽が好きな壮介さんに、夢を諦めさせてしまうのではないかと思い、

保育園を買ってくれる企業はないかと、探し始めたのだという。


「歴史もあるし、実績もあるし……で、手をあげてくれる企業があるからと、
病院で言うんですよ。離婚してかわいそうな思いをさせた、あとは自由にしていいって。
俺は違う、俺がやるんだって言っても、現実が追いついていなくて」


そんなゴタゴタが噂となり、保育士を募集しても希望者がいないのだと、

壮介さんはため息をつく。私は、話を聞きながら何度か頷いた。

ミサさんが言ったように、確かに大変な時期かもしれない。

ミサさんや、病気の園長先生も、ベテランの保育士さんたちも、

間違いなく『どんぐり保育園』を、そして子供たちを思っている。

ここにいる壮介さんだって、自分なりに『どんぐり保育園』を見つめてきた。

そう、互いに思いあっていることは間違いない。

かけ違ったボタンをつけなおせば、きっと戻れるはず。



しかし、私はそこで我に返った。

そんなこと……言っていいのだろうか。



はるな先生とお酒を飲み、誠さんの行動に少し怒りを感じながらも、

強く出ることが出来ず、いつもの場所に戻ってきてしまった。

私はベテラン保育士でもないし、偉そうにものを言える人間でもない。



でも、壮介さんの話を聞くだけ聞いておいて、

たださようならっていうのも、どうなんだろう。



目の前にある『電子ピアノ』。

このメーカーは、『新町幼稚園』と一緒。これなら弾ける。



私は椅子に座り、スイッチを入れた。

ここはマンションの1階。

防音の壁になっているようだけれど、あまり大きな音はご近所迷惑。


「『アンパンマンのマーチ』、ご存じですか?」

「アンパンマンですか」

「はい」


子供達が大好きな曲。なんとなく朝からざわついているとき、

そんなときはこの曲を選ぶ。転んで泣いていた子も、友達と喧嘩して怒っていた子も、

もちろん楽しいことがあってウキウキしている子も、この伴奏が始まると、

みんなピアノの周りに集まってくる。

私は、両手をピアノの上に置き、曲をスタートさせる。

出来る限り楽しそうに、明るく、いつも子供たちに聞かせているように、

ちゃんと歌詞をつけて歌った。

こんなことをしてしまうのは、お酒が入っているからだと思うけれど、

自分でもなんだかおかしくなる。

でも、壮介さんに面と向かって話すより、気持ちが伝わる気がするから。



アンパンマンは、いつも前向き、そして優しくて強い勇気を持っている。

とびっきりの笑顔で、精一杯頑張って生きている人や友を、常に応援してくれる。

子供の心に響くのだから、きっと、私たちのような大人にも響く歌。



『やりたいことがあるのなら、やらずに諦めてはダメなんだ』



『アンパンマンのマーチ』を途中まで歌いながら弾いていると、

ギターのコードが聞こえてきた。加わった音に気付いた、私の手が止まる。


「今、ギター弾いてましたよね」

「はい。曲を聞いていたら、コードはわかりますから」


壮介さんのギターと、私のピアノ。

少しだけ酔いが回った日の夜の、小さな演奏会。

私は、あらためて『アンパンマンのマーチ』を弾き始める。

今度は歌はなく、メロディーだけ。

いつもは子供たちの声が重なるけれど、今日は壮介さんのギターが重なる。

曲が終わると、そこには静かなとき。



私が現実に戻るとき。



「ごめんなさい、私、急にこんなこと」



いったい、何をしているんだろう。


「今日は友達と少しお酒を飲んでいたものですから。
ちょっとおかしいのかもしれません。隙間から覗き込んで、図々しくこんなことまで」

「いえ、いいですよ。なみ先生が楽しそうに弾いてくれたので、
こっちまで、ここでグダグダ悩んで、愚痴っているのがばかばかしくなりました。
そうですよね、俺、あきらめません。なんとかこのままいけるように、
もう一度、みんなで話し合ってみます」

「あ……はい」

「俺が『どんぐり保育園』をしっかり守っていきたいと思っていることを、
みんなに、なんとしてもわかってもらいます。やらずに諦めるのは嫌なので」


私はしっかりと頷き返す。

気付いたときが遅くても、まだ間に合う。

まだ、『どんぐり保育園』はここにあるのだから。

『どんぐり保育園』を出た私に、壮介さんは以前も見かけたライトバンを指差した。


「ここから近いでしょうけれど、送りますよ」

「大丈夫ですよ、まだそこまで遅くないですし」

「いえ、今日の楽しい演奏会が、もしもの事故でもあって、
嫌なものに変わって欲しくないですから」


『演奏会』だなんて、大げさだなと思いつつ、それは私も同じ気持ちだった。

壮介さんのギターがアコースティックではなくて、エレキだったら、

こんなふうに思わないかもしれない。

自分がしてきたことを、不器用な行動だと表現した彼に似合う、

どこか時代に遅れているくらいの音が、私の耳には本当に心地よかったから。



次の日、少し二日酔いだったけれど、目覚めは悪い気がしなかった。




4 勝ち誇る人と最後の意地

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