5 自分らしく生きるために

5 自分らしく生きるために
今日も『どんぐり保育園』の横を通る。

あの募集の紙は、まだ貼り付けたままだった。

決まらないのかな……保育士。



「来年度のことを、そろそろ考えておきたいので、
みなさんの予定を教えてくださいね」


その日の仕事終了前、園長先生からそう話があった。

確かに、新しく入る園児たちの数も決まり、クラスの数も決まっているだろう。

残るのか、辞めるのか、聞いておかなければ担任も決められない。

私は……


「お先に失礼します」


みき先生がそういうと立ち上がり、嬉しそうに園を出て行った。

仲のいい保育士たちは、楽しそうに手を振り、はるな先生を始めとした、

私と誠さんのことを知っている同僚たちは、表情を曇らせる。


「はるな先生、この間のお店」

「『ミラージュ』?」

「そう、また、一緒に行かない?」


私の誘いに、はるな先生は大きくしっかり頷いてくれた。





「なみ先生、あいつひっぱたきました?」

「ううん」

「それダメでしょう……と言いたいけれど、まぁ、無理ですよね。
同じ職場にいるし。園長先生の息子だし。あいつ本当、そういうとこズルイわ」


この前と同じお酒。今日も美味しい。


「はるな先生は、来年年中?」

「おそらくそうだと思います。なんだか主任もって」

「あ、やっぱり。そう思っていた。大丈夫だよ出来るって」


今の年少さんたちは、かわいらしく明るい子が多い。

年中になると行事もさらに増えて、楽しい時間もたくさんあるだろう。


「なみ先生は……」

「うん……私は3月で辞めることにする」


ここ数日、頭の中を回っていた気持ちが、お酒のおかげなのか一気にまとまった。

誠さんとうまくいかなくなったこと、それが一番の理由であることは間違いない。

今更、責めたり騒いだりする気持ちはないけれど、

あの後輩に毎日、得意げな顔をされるのはやはり嫌だ。


「『新町幼稚園』は本当に大好きなの。でも、もう、ここではきっと、
自分らしくいられないでしょ。それは嫌だなって」


気持ちを押さえながら、毎日何かを気にしながらなんて自然じゃない。


「きっと、ここじゃない場所でもまた、私に出来ることがあるんじゃないかなって」


『どんぐり保育園』のあの募集の紙。

そう、幼稚園に入るのは難しくても、保育士を探しているところは、きっと他にもある。

私の心の中にある『小さな勇気の扉』。


『おそれないで、みんなのために』。

不器用でも、私の小さな力が、生かせたら。


「絶対にダメって、引き止めたいところだけれど、その方がいいと私も思う」


それでも、はるな先生は、同期が幼稚園を去るのは寂しいとそうつぶやく。


「ありがとう」


この人にだけは、自分の気持ちを先に話しておきたかった。

誠さんとうまくいかなくなったけれど、

私が泣きべそをかきながら、幼稚園を去るわけではないことを。



しかし、その帰り道、『どんぐり保育園』の横を通ったら、求人の紙がなくなっていた。

私の足は、その場に止まってしまう。



「決まったんだ……」


思わず、つぶやいてしまった。

面接をしたわけでもないし、合格したわけでもないのに、

もしかしたら、自分さえその気になれば再就職できると思っていた。

身勝手にもほどがある。でも、なんだか力が抜けていく。



この現実は、私にとってショックな出来事だった。





『なみ先生、辞めるんだって』

『フクちゃんに振られたから、いづらいんでしょ』

『しょうがないよね、選ぶのは向こうだし。なんせ将来の園長だもん』

『考えられない。あいつ、男として最低』

『どうで、次も続かないわよ』


私が3月で退園をすることが公になり、先生たちはそれぞれ思いを巡らせた。

年少組の保護者からは、残念ですと声がかかり、

私は『ありがとうございます』と、頭を下げる。

これから、ちゃんと就職活動しなければ。幼稚園も保育園も、活動開始は4月。

今、決まらないとなると、子供と過ごす仕事を、続けられないかもしれない。





『展覧会』が終了すると、卒園式の準備と、来期の話が増える。

私は、駅前の書店で求人情報誌を買い、電車の中で『保育士』を探した。

条件的にはどうだろうかと思うものでも、とりあえずしるしをする。

電話をして聞いてみて、実際に場所を見ないと……

私は駅で降りた後、スーパーで買い物をした。

袋をぶらさげたまま、『どんぐり保育園』の横を通る。

横断歩道を渡ろうとしたとき、壮介さんのライトバンがまた前を通り過ぎた。


「あ、すみません、また……」


私は大丈夫ですよと言い、また一歩前に進む。

壮介さんは、『どんぐり保育園』の前に車を止め、トランクの扉を開ける。

なんだか大きなものを出していたが、一緒に車に乗せてあった数冊の本が、

バタバタと下に落ちてしまった。


「あ……しまった」


私は車の方へ動くと、買い物の袋と求人誌を花壇の横に置き、本を拾った。

図鑑が揃っているのだろうか、結構重たい。


「いいですよ、俺が運びますから」

「でも、ここに落ちてしまったら、足元危ないです。とりあえず置いておきます」


私は拾った本を花壇の上に置いた。

壮介さんは『すみません』と言いながら、何やら大きな袋を保育園の中に入れていく。

そして戻ってくると、私が拾った本をまた重ね始めた。


「大学時代の友人が、安く譲ってくれたんですよ、ビニールの滑り台」


ビニール製で、自動の空気入れを使い膨らませると、

部屋の中でも遊ぶことが出来るという玩具だった。


「普段はぺしゃんこに出来ますからね。うちみたいにそれほど広くない園には、
もってこいです」


壮介さんは、雨が続くと、公園にも行けなくなるのでと説明してくれる。


「小さい保育園なりに工夫しないと。子供たちにはたくさん遊んで欲しいですし。
どうだろうとあれこれ考えていたら、メーカーに勤めた友人のことを思い出して」


誠さんと同じように、壮介さんも生まれたときからこういう環境の中にいた。

たまには仕事とは違うことを考えたいと、思わないのだろうか。


「壮介さん」

「はい」

「ずっと、『どんぐり保育園』のことを考えていて、疲れませんか?」


妙な質問だったのだろうか。

壮介さんは、動きを止めてしまう。

その顔は、どういう思いを持っているのだろう。のぞこうとするが、わからない。


「うーん……」


壮介さんはライトバンの扉を閉めた。バタンを音がして、車は少し揺れる。


「疲れませんよ。だって、これをしたらどうなるか、子供たちが笑ってくれる姿が、
想像できるじゃないですか。次は何をしようかって、その過程が俺は好きですから」


子供たちの笑顔が……


「音楽も、人の喜ぶ顔が見たくてしていたことです。
そのために毎日頑張っているわけですし。人を楽しませられるのはいいことでしょう」


音楽で、老人ホームの慰問などをしていた壮介さんらしいセリフだった。

当たり前のことを聞いてしまって、恥ずかしくなる。


「そうですよね、笑ってくれたら」

「はい」


私が幼稚園の先生になりたかった理由。子供が大好きで、一緒に笑いたかったこと。

そんな基本を思い出す。


「決まったんですね、保育士さん」


私は、ここに募集の紙が貼ってあったが、なくなっていたのでと話し続ける。


「あ……いや、実はまだなんです」


壮介さんは、貼り出していたけれど、結局、採用はなかったと言う。


「もっと色々貼り出さないとダメかもしれません。この道を通る人で……
うちの『保育園』に興味を持ってくれる人がいいなと、単純に考えてみたのですが」


私が、何度かのぞいでしまったあの小さな塀の穴。

そういえば、確かにその横に張り出してあった。


「文章が弱いのかなと思って、今、書き直しています」


壮介さんは、近いうちに色々と貼り出すつもりだと、そう教えてくれる。


「そうですか」


まだ決まっていなかった……

壮介さんにとっては、よくないことなのに、顔がほころんでしまう。


「あ……」


壮介さんは、誰かを見つけたのだろうか、『こんばんは』と挨拶をする。

大きなバッグを持った若い男性が、こちらに近付いてきた。

もしかして、この人、保育士希望者なのだろうか。


「すみません、思ったよりも遅くなってしまって」

「いえ、うちはこれくらいの方が、子供たちも帰りますし」

「そうですか、そういってもらえるとありがたいです」


男性は、壮介さんに名刺を出す。


「『フォトカチャ』さん」

「はい、『フォトカチャ』の白井大輔と申します」


『保育士募集』のこと、もう少し話を聞きたい気もしたが、

私は、仕事の邪魔になると思い、それではまたと頭を下げてその場から離れた。




6 心の扉を開くとき

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