2 過去の傷とそれぞれの今 【2-3】

【2-3】

「大輔、いったいいつまで気にしているの? あれは事故だったの。
大輔が責任を感じることではないって、何度言ったらわかるの」

「何度言われてもわからないよ。あの怪我がなければ……」

「たらとかればとか、振り返っても仕方がないでしょう」

「でも……」


文乃は大輔の前に座り、自分の湯飲みにお茶を入れていく。


「今まで出してきた結論は、私が納得して選んできたものなの。
ほら、そんなことをグダグダ言うのなら、お茶を飲んで、
気持ちを落ち着かせて帰りなさい。明日も仕事でしょ」

「姉ちゃん」


文乃は大輔がここへ来るときは、いつも酔っ払っていると指摘する。


「いったいいくつになったのよ。こんなことになるのなら、
大学時代から一人暮らしをさせておくべきだった。
私に頼っていたから、いまだに食事の支度もろくに出来ないし、
子供みたいに不満ばっかり」

「不満じゃないよ」

「不満じゃなければなんなの? 早く素敵な人を見つけて、
田舎にいるお母さんたちを安心させないと。時々かかってくるのよ、電話。大輔のことで」


文乃は湯飲みを両手で持つと、親との会話を思い出すのか、軽く笑い出す。


「……ったく、俺のことなら俺にかけろって言うんだ」

「大輔の携帯。いつもつながらないんだって」


文乃はそういうと、何度かお茶を冷ますように吹くと、飲み始める。


「大輔……」

「ん?」

「あの怪我がなかったら、私、あの人の本性がわからないまま結婚していた。
でも、きっとどこかでおかしくなっていたはずなの。だから、本当に気にしないで。
大輔がそんなことばかり言っている方が、私にとっては辛いんだから」


大輔は左手の時計を見た。10時まではあと10分程度しかない。


「なぁ、姉ちゃん、ここを出て、もう少し自由の利く仕事を選ばないか?
今なら、俺も少し援助できるから」

「あぁ、もう、また……。嫌よ、大輔と一緒には暮らしません」

「一緒になんて言ってないだろう」

「違うわよ、自由になれって、いつでも私のところに行けるようにしろってことでしょ。
また炊事洗濯じゃないの。人のためだとか言って。ほら、さっさと帰らないと。
私が寮長さんに怒られます」


文乃はそう笑いながら言うと、大輔を急かし始める。

大輔はまた来るからと言い残し、10時数分前に文乃の寮を出た。





文乃が結婚を決めていた男性『九段和臣(かずおみ)』は、

会社の先輩にあたる人だった。

大学生になり、東京に出てきた大輔にも兄のように接し、

当時からカメラが好きだった大輔を連れて、よく遊びにも行ってくれるような、

気さくな人物だった。

しかし、大輔が、仕事に使うための写真を撮りに山へ入った日、

手伝いとして行ってもらった文乃が、前夜の雨にぬかるんだ道で足を踏み外し、

斜面から落ちてしまった。

すぐに救急車で運ばれ、頭や体を打っていたものの、命に別状はなく、

とりあえずほっとしたのだが、骨折した左足に後遺症が残り、

そこから、少し足を引きずりながら歩くようになってしまった。

結婚前の姉に傷をつけたと大輔は自分を責めたが、それでも文乃は明るく笑い、

姉と弟はこの出来事を、乗り越えていけるものだと思っていたのに、

そこまで二人を支えてくれていた文乃の相手は、それから2ヵ月後、

付き合いを解消したいと言い出し、

さらに数ヶ月後、別の女性と交際を始めてしまった。

文乃のことを知っている司や祥太郎も、あまりにもひどいと怒ったが、

結局、文乃自身も、無理に関わることをさけ遠ざかってしまう。

付き合いのあった男性とは、同じ会社に勤めていたこともあり、

文乃は体のことを理由にして退職し、それから小さなスーパーの経理事務職に着いた。

自分の存在が、姉の自由を奪うことになってはいけないと、大輔も一人暮らしを始め、

それぞれがまた別の道を探すスタート地点に立ったと思っていたのだが、

さらに1年も経たないうちに、文乃は急にその職を辞めてしまい、

大輔が知らない中、この介護の仕事を決め、社員寮に入ってしまった。



突然の心変わり、その見えない時間に何があったのか……



大輔は文乃に何度も尋ねたが、文乃は一切、話してくれないまま、今まで時が重なった。



大輔は電車に乗り、文乃から渡された紙袋をのぞく。

りんごの下に入っている紙袋には、3足の靴下が入っていた。


「姉ちゃんこそ、俺のことなんて、気にすることないのに……」


傷つけてしまった姉の人生を、

どうにか、また明るいものにしてやりたいと思う大輔。

時刻どおりに走る電車はただ、乗客を目的地へ運んでいった。





株式会社『リファーレ』

広報を取り仕切る『灰田啓次(けいじ)』のそばで、

秘書である有紗は、今日のスケジュールを発表しその反応を待った。


「となると、最後の打ち合わせは6時か」

「はい。『PW』の表紙裏が、春の新商品に変わるそうで」

「そうか、それなら完成品を見るのが主だな」

「はい」


灰田は携帯を開き、それを閉じる。

有紗はコーヒーでもお持ちしましょうかと、灰田に尋ねた。


「あぁ、アイスを頼む」

「はい」


有紗は頭を下げて、灰田のそばを離れようとする。

その瞬間、灰田は、有紗の左手をつかんだ。


「9時に、いつもの場所で」

「……部長」

「大事な仕事は、6時で終わるのだろう。その後の打ち合わせは、どうにでもなる」


灰田はそういうと、有紗の腕を離す。


「すぐにお持ちします」


有紗は灰田に頭を下げると、部長の部屋を出た。

資料を両手で抱え廊下を歩く。カツカツというヒールの音が響くのと同じように、

有紗の鼓動も音を立てた。少しずつ口元がゆるみ、笑みを浮かべている自分に気付き、

気持ちを切り替えるために一度大きく息を吐く。

左手にした腕時計に視線を落とし、約束した9時まで何時間あるのかそう考えた。

秘書室の扉を開き、もうひとつのデスクに座り内線を押す。


「山吹です。灰田部長にアイスコーヒーをお持ちしたいので」


そう告げた後、内線を切り、デスクの上に資料を広げる。

同僚たちがそれぞれ仕事に向かう中、有紗はタブレットの電源を入れた。



【2-4】

それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
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