2 過去の傷とそれぞれの今 【2-5】

【2-5】

「えぇ……そうですね、そのあたりは、うちでも勉強させていただいて」


司の視線が、営業所の前に向かう。

確かに、ピンク色のコートに身を包んだ『お嬢さん』らしき人物が、

立っているのが見える。受付の女性は、どうしますかという顔をしたため、

司はわかりましたと、左手で小さな丸を作る。


「はい……そうですよね」


司の営業トークは、そこから5分ほど続き、終了した。

受話器を置き、あらためて前を見る。樹里の立ち位置は変わらない。


「全く……」


司はそうつぶやき、少しゆがんだ表情を一瞬で変える。

席を立ち、そのままメモを渡してくれた女性のところに向かった。


「切れなかったら、5分後に頼むね」

「はい」


司はそう受付担当者に頼むと、営業所の前で待つ樹里のところへ向かった。


「こんにちは」

「あ……緑川さん」

「どうされました。急に」

「ごめんなさい。今日、授業が休講になってしまって。
このまま家に戻ろうかと思ったのですが、どうしてもお会いしたくなって……」


樹里は、少し頬を赤らめ、司を見た。

司は、そんなことを言われると照れますねと話しながら、話をあわせる。


「緑川さん、もう、お昼は済まされましたか?」


樹里は、このまま食事に出られないかと、期待した目を向ける。

司は、急な誘いに動じることなく、少し困ったという顔をしてみせた。


「申し訳ない。今から打ち合わせの企業があって、すぐに出ないとならなくて」

「……そうですか」


樹里は、突然だから仕方がないですねと言いつつも、つまらなそうな顔をする。

司は、すぐに態度に出すところが子供だなと思いながらも、

これ以上強く言うわけにはいかず、ただ謝罪する。


「また来週にでも、会社の方に顔を出しますよ」

「会社……ですか。母のところと言うことですよね」

「まぁ、そうですね」


司は、どうして個人的に会わないとならないのだと思いつつも、

気にしていないという表情は、保ち続ける。


「ご相談したいことがあるのです。一度、お時間、いただけませんか」


樹里はそういうと、上目遣いに司を見る。

司は、こういう『女』の部分を全面に出す女性に、

騙されてしまう男もいるだろうなと考えながら、

それなら会社に行った時に聞きますよと、切り替えした。

樹里は、不満そうな口を見せる。


「樹里さん」

「はい」

「あなたに愛情を注いでくれるご両親を、ガッカリさせるようなことをしていたら、
ダメですよ。僕なんかに頼らなくても、あなたには……」

「私は緑川さんが……」


その瞬間、司の携帯が着信音を出し始めた。

司は相手を確認すると、すぐに出る。


「はい、緑川です。いつもお世話になっております」


と、当たり前の挨拶をし始めたのだが、かけてきたのは営業所の受付担当者になる。

実際には、こちらが受話器を取ったら切ることになっているので、

会話は成り立っていない。それでも、司は取引先であると装った。

軽く頷いたり、時計を確認したり、それなりの演技を展開する。


「樹里さん、申し訳ない。時間がなくて。また……」

「あ……」


司は樹里に頭を下げると、そのまま営業所に戻る。

顔をあげた受付女性に、合図をすると席に戻った。

樹里は、これ以上ここにいても進展はないと判断し、仕方なく営業所の前から離れる。

司は、その様子を確認した後、演技の携帯電話を閉じた。


「ふぅ……世間知らずのお嬢さんにも、困ったものだ」

「緑川さんが悪いんですよ。また、からかったのでしょう」


受付の女性はそういうと、携帯を目の前で振ってみせる。


「からかったわけじゃないって」


司は、少し熱くなったと言いながら、スーツの袖を軽く上げようとした。


「あ……」


受付の女性は、司の腕の傷に気付く。


「どうしたんですか、これ」

「ん? あ……いや」


司はすぐに袖を戻し、たいしたことはないんだとその場をごまかした。


「でも、結構縫ったでしょ」

「……2、3針」

「それで済みました?」

「まぁね」


司はそういうと、自分の席に戻り、営業部を出て行く支度をし始める。

左腕の傷があるため、普段から半そでを着ることは避けてきた。

女性は、傷を見ると引いてしまうことが多いので、

なるべく気付かれないようにしていたのだが、聞かれた時には、

片づけをしていてガラスを割ってしまったからだと、そう言い続けている。



『帰って! こんなことしてはダメ!』



切ない声が、司の脳裏に蘇る。

触れられる距離に来た人を、救いようのないくらい傷つけた過去の記憶が、

痛むことのなかった腕を、また締め付けてくる気がしてしまう。


「外に出ます」


司はそう周りの社員に告げると、営業所を出て駅に向かった。



【2-6】

それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
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