10 愛想笑いと冷静な目 【10-2】

【10-2】

諦めようとしても、諦めきれないのは、

思いがまだ、そこにあることに互いに気付いたのだと前を見る。


「わかった……」


瞬はそういうと、ブレンドに口をつける。


「陽菜に思うような愛情は、もう純香にはない……。
だから本音を言うと、すぐにでも行動をしようと思うのだけれど……」


『だけど』という、ほんの短い言葉だった。

しかし、その3文字には、

今まで進んでいた歩みを、ピタリと止めてしまうような威力が存在する。

まっすぐにはいかないと、宣言されたようなセリフ。


「実は、純香の父親が、急に入院してね」


純香の父親とは、瞬にとって義理の父でもあり、

『ミラージュ』のオーナーという存在になる。


「純香も今は、義父の入院で慌しくてさ。義母さんは膝が痛くて、
あまり動けないこともあるから。あいつが頼りみたいで」


陽菜には、何も口を挟めない話だった。

会ったこともない瞬の妻、会ったこともないその家族。

しかし、確かに存在する。


「それほど長い入院ではないと思うから。
それが落ち着いてから、純香と話を進めていくつもりだ。ごめん」


陽菜は首を振る。

確かに、家族が大変なときに、『離婚話』を切り出させるなんて、

それはあまりにも非情すぎる。


「わかった……」

「うん」


瞬と思いがけず再会をしてから、いつも心の中を探るようなことばかり言われていた。

話が進んだわけでもないのに、今そのものを語ってくれたことが、

心の中が見えている気がしたことが、陽菜の気持ちを安心させる。


「陽菜はいつものように仕事をしてくれたら、それでいいから。
ここからは俺の問題だ、俺がしっかりしないと」


瞬は、あらためて陽菜に宣言する。


「また、連絡する。もう少し時間のある時に」

「うん」


瞬の仕事があるため、その日の再会は30分程度だった。

陽菜はそれでも満足し、店を出る。


「それじゃ、陽菜……」


少し照れくさそうに手をあげ、人の波に消えていく瞬の姿は、

昔、学生時代、陽菜の気持ちを掴まえていた頃と、変わらなく見える。

陽菜は、それに応えるよう軽く手をあげ、駅に向かって歩き始めた。





『いずれ、そういう日がくるぞ』



祥太郎に文乃の話を聞いてから、司は落ち着かない日々を送っていた。

『あの日』の出来事が、文乃と自分の距離を遠ざけたのは間違いないが、

大輔が、文乃が介護施設の寮という、

閉ざされた場所に入ったことを嘆いているのを聞きながら、

司の中には、どこかで『時間が止まった』ような感覚があった。


誰の目にも触れない、閉ざされた場所に、文乃が入っている。


心の片隅に、そんな思いがあった。

しかし、その思いは、今回の見合い話で吹き飛んでしまう。

文乃本人が乗り気ではないのだから、決まることはないだろうと考える自分と、

もしかしたら、決めてしまうのではないかという不安な気持ちが、

やじろべえの先にくっつき互いに揺れ続け、

他のことを考えなければならない思考回路まで狂わせていく。

今日中に出す予定の書類を目の前においても、ペンは全く進まない。


「緑川さん」

「はい」

「『ビューティークール』の茶山社長からです」


電話は、樹里の母である社長からだった。

司はペンを置くと、受話器をあげる。


「はい、緑川です」


話しの内容は、以前、勧めていた『アモーラ』の新商品を、

試しに使用することに決めたという、いい話題だった。

司は、チャンスを逃してはなるまいと、

これからすぐに『ビューティークール』へ向かうと、社長に返事をする。

茶山はそれなら待っていますと言い、司は『ありがとうございます』と、

受話器を持ったまま頭を下げた。





「先日は、娘がご迷惑をかけました」

「いえ」


茶山院長は、樹里があれから家に戻り、婚約者と会った話を自分からし始め、

いささか諦める気持ちになったと話していたことを司に告げる。


「素敵な人だったって、なんだか幼稚園の先生だとか」

「あ……はい」


司は、陽菜のことを考えながら、そうなんですと話を合わせていく。


「それなら女性らしさもたくさんおありでしょうね。
私もお会いしてみたかったわ。緑川さんの気持ちを掴んだ女性」

「いえいえ……」


司は、個人的な話から、なんとか仕事の話へ持っていこうと思い、

デスクにパンフレットと契約の用紙を広げ始める。


「ねぇ、いつ頃お式なの?」


院長は、結婚式はいつなのか、どういった内容でやるつもりなのかと、

司の思いを無視したまま、話し続ける。


「いや、まだ具体的には」

「あら、いやだ、どうして? 女をあまり待たせてはダメよ。
27歳でしたっけ? いいところじゃない」


院長は司の出したパンフレットを、今更見なくてもいいわよと、横に置いた。



【10-3】

それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
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