19 不安定な立場にいる女 【19-4】

【19-4】
カレンダーは8月の表示に動き、毎日の暑さはさらに酷さを増した。

文乃はハルの食事の片づけをしながら、

外は息苦しくなるくらい暑いですよと、会話を続ける。


「それじゃ、昼食後のお散歩は無理ね」

「そうですね、昼間は出ない方がいいと思います。もし、外の風に当たりたいのでしたら、
夕食を終えてから、少し外出しましょうか」


文乃の言葉に、ハルは首を振る。


「いいわよ。白井さんに迷惑がかかるもの」

「迷惑だなんて」

「信也が来るって言うから、それなら車椅子を押してもらえると思ったけれど、
そうよね……これじゃ」


ハルの息子、金田信也が来ると聞き、文乃はそれはよかったですねと返事をする。

文乃は、いつ信也がここに来るだろうかと、壁にかかる時計に目を向けた。



「ほら、母さん」

「ありがとう」


信也が『アプリコット』に現れたのは、昼食後のことだった。

介護士たちが集まる事務所に、美味しいデザートの差し入れが届く。

文乃も、その一つを受け取り、ありがとうございますと頭を下げた。


「金田さん」

「はい」

「あの……施設を出られるときに、声をかけていただけますか」

「白井さんにですか」

「はい。5分お時間をいただきたいなと」


文乃はそういうと、事務所にいますのでと頭を下げた。

信也は文乃が仕事を終えても残るつもりだとわかり、

ハルの車椅子をレクリエーション室に移動し、折り紙を折るテーブルの前に止める。

信也はハルに何やら耳打ちすると、事務所の前にいる文乃の前に戻ってきた。


「今、いいですよ」

「いえ、でも……」

「いや……何を話されるのか、正直気になりますから」


信也はそういうと、文乃の前に立った。

文乃は、事務所の前だと邪魔になるからと、廊下の端へ進む。


「僕との話は、無理ですってことですか」


信也の言葉に、文乃は振り返った。

信也は、その顔はそうですねと苦笑する。


「あの……すみません。金田さんがどうのというのではなくて」

「大丈夫です、覚悟を決めてますから。白井さんの思うことを言ってください」


信也は、戸惑う文乃に対し、優しい顔を見せる。

文乃は、信也がいい人だとわかるだけに、

自分の思いをしっかり伝えるべきだとそう考えた。

自分の言葉に耳を傾けてくれた信也に対し、

文乃は、頭の中で言葉をある程度まとめ、語りだす。


「金田さんとなら、ゆっくりとしたいいお付き合いが出来るかもしれないと、
そう考えたこともあります。私自身、色々なものから逃げてきた場所が、
ここだったので」

「……逃げた?」

「はい」


文乃は、数年前、結婚を約束した人がいたけれど、足の怪我があり、

結局破談になったこと、しばらくリハビリ生活をしたけれど、

完全には戻らなかったことなど、丁寧に信也へ話した。

信也は文乃の顔を見ながら、小さく頷き返す。


「不器用なので、現実を受け止めるのが正直難しくて。
混乱していたという方が正しいかもしれません。でも、やらないとならないことはあって、
毎日、ただ繰り返して……」



『文乃さん、昨日より進んでるよ』



「その時、ひとりの男性に気持ちを支えてもらいました。元々、弟の友達で、
大学時代から私たちのアパートに出入りしていたこともあって、気心も知れていたし、
一緒にいると楽だということもあって。でも、いつのまにか、私の心の中には、
元の婚約者から、その彼が入っていて……」


しかし、弟の友達だからこそ、足を怪我してしまった自分など、

背負わせてはならないと、彼の前から逃げたこと。

それをきっかけに、長い間、外の世界を見なくなっていたことも語った。

司との具体的なエピソードは避けたものの、信也は、文乃に思い人がいたことを、

そこで初めて知る。


「長い間、自分の手で、自分の意思で時計を止めていました。
深く沈んだ場所でもいいから、ひっそりと生きていけたらいいと、そう考えて……
誰にも迷惑をかけたくないし、誰にも同情してもらいたくないと……
自分勝手に心を閉ざしてしまって。でも、それを違うと思わせてくれたのが、
ハルさんと信也さんです」


文乃は、ハルに認めてもらえたこと、信也が自分を認めてくれたことで、

あらためて時計を動かす気持ちになれたと話し続ける。


「この場所にいる私を認めてくれたお二人ならと……思っていたとき、
そういった話を知った彼から連絡があって。久しぶりに向かい合うことになりました」


司とは、あの日以来の再会だった。

もっと気まずく、息苦しい時間が流れてしまうのではと、構えていたのに、

訪れたのは、優しく温かい空気と、忘れていた感覚だったと文乃は振り返る。


「忘れていた感覚」

「はい……その人が前にいて声を聞く事が、これだけ鼓動を速めるものなのかと、
深く沈めた思いに、あらためて気付かされて……」


文乃は司の言葉を思い出しながら、あの日の高鳴りを蘇らせる。

背を向け続けていた時間が、もったいなかったと思えるくらい、

自分にとっては久しぶりの時間だった。


「好きな人がいたと……私には思う人がいたと、そう感じられて……」


司が笑うとき、そして困った顔をするとき、そんな一瞬、一瞬が、

全てきらめいていて、それは人として、決して忘れてはいけないものだった。

そのことに、文乃はあらためて気付かされたと、話し続ける。


「そうですか」

「すみません、もっときちんとお返事をしなければならなかったのに……」

「いえ、今、きちんと聞く事が出来ましたから」


信也は、文乃が長く思い続けていたという人が、どんな人なのかと笑顔を見せる。


「きっと、素敵な人だろうけれど」


文乃は『はい』と小さく頷く。

久しぶりの再会で、次の食事をと約束した後、目の前で立ち上がった姿は、

文乃にとって弟の友達ではなく、間違いなく自分を導いてくれる一人の男だったと、

信也の言葉を聞きながら、その背中を思い出した。


「残念ですが、ここまでハッキリと言われては、お幸せにと言うしかないですね」


信也はそういうと、文乃に頭を下げる。


「僕とのことなど気にせずに、どうかこれからも母をよろしくお願いします」

「……あ、はい」


文乃も慌てて頭を下げると、思いを告げられたことの安堵からなのか、

『ふぅ』と息が漏れた。信也は文乃の様子を見た後、笑みを浮かべる。


「ごめんなさい、白井さんのその姿に、なんだか……笑うところじゃないのに」

「いえ、いいんです」


文乃はそういうと、一緒に行きましょうと、

ハルが待つレクレーションルームに向かって進みだした。



【19-5】

それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
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