29 忘れずに生きていくこと 【29-2】

【29-2】

「灰田部長とは、『リファーレ』の前にいたコンサルティング事業の中で、
知り合いました。始めは本当に素晴らしい人だと思えましたが、
あの人は、夢を追っている若い社員を、応援する素振りを見せながら、
ずっと裏切ってきたんです。僕は、それが単純に許せない」


水島は、決して有紗に迷惑はかけないから、とにかく会社に残っていて欲しいと、

そうあらためて頭を下げる。

有紗は、水島の本心を初めて知ることになり、

戸惑いながらも『退職願』を受け取っていく。


「ありがとうございます」


有紗はいいえと軽く首を振り、あらためて水島の顔を見た。





その日の仕事を終えた有紗の足取りは、今までのいつよりも重いものだった。

灰田が自分を利用していたことは、覚悟していたことだったが、

犯した罪を打ち消すために、有紗に『退職願』を書かせ、

隠れた部分で罪をなすりつけようとしていたということを知った。

さらに、彼の側近だと思っていた水島自体が、灰田を裏切ろうとしていることも重なり、

何を信じたらいいのかも、わからなくなっていく。

水島の持ち込みで動き出したという栗田という編集者は、大学の同級生らしく、

大輔の仕事振りを褒めてくれた編集長の宮石といい、

それぞれが仕事をする体制になっていて、そこにウソは感じられなかった。

有紗は、秘書課の一員として働き、外からやってきた灰田に認められたときは、

本当に自分が評価されたのだと、達成感もあった。

そばにいる時間が増えるごとに、灰田自身の魅力に惹かれ、

特別な関係を持ったのに、それは全てが仕組まれていた時間に変わってしまった。

『辞めないで』と自分を止めた水島だが、理由はなんにせよ、

自分を利用している気がして、気持ちをどこに向けたらいいのかわからくなる。

横断歩道の信号を押すと、すぐに青に変わっていく。

数台の車が両方に止まり、有紗はその真ん中を歩くと部屋に向かった。





「去年はリボンにしたんですね」

「うん」


12月の『発表会』のための準備が、『新町幼稚園』でも本格化する。

陽菜は、去年、なみ先生と一緒に、衣装にリボンをつけたことを思い出した。

あまり裁縫が得意ではない自分に比べ、なみ先生は丁寧に作業をし、

子供たちのお遊戯を、衣装でかわいらしく仕上げてくれた。

夏に交わした『書中お見舞い』には、落ち着いたらまた飲みましょうと書き、

互いに再会を約束したが、なみ先生を連れて行った『ミラージュ』には、

もう行けなくなってしまったため、その約束もそのままとなっている。


「あ、はるな先生、私、こういうの得意です」

「本当? 助かる」


4月に入ってきた新人は、裁縫が得意だというので、

陽菜は細かい作業を任せることにした。

教室に持っていくものを運んだあと、足は屋上に向かう階段を上がる。

扉をカギで開け、物置の中を確認した。

ふとした視線に入ってくる小さな窓。

陽菜はそこから変わらず見えるはずの『東京タワー』を探す。

しかし、遠めに見えたのは、何やら建築用の黒いシートだった。

陽菜はその場所から移動し、角度を変えて前を見る。

しかし、景色は同じように黒いシートが重なっていて、タワーの姿は見えてこない。



『見えなくなってしまった』



この現実が、陽菜の前に立ちはだかる。

しかし、この場所から小さく見えていたタワーの姿は、考えてみたら『奇跡』だった。

大きな木も、都内に並ぶビルもかぶらずに、遠くの景色が見えた。

大輔とこの場所に立ってから経過した2ヶ月の間に、

陽菜の小さな癒しは、終わりを迎えてしまう。

陽菜はもう一度窓から外を見る。

黒く視線に被ってきたシートを見つめながら、

大輔に励まされたあの時間も、二度と来ないような気がしてしまう。

一緒についてきた志穂が、大輔とどういう関係にあるのかまではわからなかった。

仕事上の付き合いかもしれないし、

互いに少しずつ気持ちが寄り添う手前なのかもしれない。

それにしても、『あなたの気持ちには応えられない』と宣言した自分は、

大輔の今の思いを、もう一度知るわけにはいかないと、そう考え始める。


目の前の景色が変わったように、人は言い意味でも悪い意味でも変わるのだから。


階段の下から、『はるな先生』と呼ぶ声が聞こえたため、陽菜はその場所を離れた。





陽菜や有紗が仕事に向かい合っている頃、

ミャンマーにいる大輔も残り少ない撮影時間を、毎日積み重ねていた。

指定された小学校の写真はすでに取り終えているが、

村の人たちがどういった生活をしているのか、こういう機会もないので、

残しておこうと考える。


「はぁ、これだけ雨が続くと、憂鬱になるわよね」

「そうだな。この時期には珍しいことだよ」


元々、この季節は、例年雨が少ないはずだった。

ミャンマーの中でも、大輔のいる場所は田舎のため、2日雨が続くだけで、

道路はあっという間に泥状態になる。

リーダーの平居は、この雨はどれくらいでやむのだろうかと、暗い状態の空を見ていて、

志穂は、手作りのお手玉を持ち、子供たちの前に顔を出した。

子供たちは色とりどりのお手玉の生地に興味を持ち、楽しそうに志穂の手を見る。

大輔は、そんな志穂の姿も子供たちと一緒に、カメラに収めていった。


「大輔、撮影ばかりしていないで、一緒にやってよ」

「一緒にって、俺は出来ないって」

「やれば出来るわよ」


志穂がそう言ったため、子供たちも大輔に見本を見せてくれとお手玉を渡そうとする。

大輔はたくさんの子供たちに期待されていることがわかり、

カメラを置くと、仕方なくお手玉を握った。

ふにゃっとした感触もあまり感じたことがないものだし、

左手に2つ、右手に1つ乗せたこの物体を、どう投げればうまく出来るのか、

タイミングはどうなのかも何もわからない。


「絶対に無理だって」


大輔はとりあえず、左手に乗せた2つを上に放り投げ、慌てて右手のものもあげるが、

案の定、お手玉はあちこちに散らばってしまう。

女の子はそれが面白いのか、楽しそうに笑い出した。

男の子は、これなら自分にも出来ると、大輔がやったことを、さらに大げさにしてみせる。

お手玉は、またあちこちに散らばったが、雨続きでどんよりとした空気が、

志穂と大輔の連携で明るいものに変わった。



【29-3】

それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
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