35 古い傷でも痛みは同じ 【35-2】

【35-2】

『はい』

「あ……こんばんは、白井です」

『はい……』


特別な用事などないし、どうしてボタンを押したのだろうと思った大輔だったが、

陽菜の声を聞いた瞬間、今、自分が駅のベンチにひとりでいることなど、

何も気にならなくなった。


「あの、姉の引っ越しが今日で、3人のメールを見せたら、すごく喜んでいました。
逆に申し訳なかったと」

『あ、お引っ越し今日だったんですね。それじゃ、緑川さんが張り切ったのかな』

「はい、司が仕切ってましたから」


大輔は、引っ越し業者の手際がよかったこと、

自分は結局役に立たなかったことなど、予定外の話をしてしまう。

それでも陽菜は時々、笑う声を受話器越しに届けてくれながら、

大輔の話を熱心に聞いてくれた。

ホームのアナウンスが、次の電車が来ることを告げ、

大輔は、自分が駅にいたという現実に引き戻される。


「すみません、くだらない話をしてしまって」

『いえ、私たちがお会いしたいと話していることも、お姉さんに伝わりましたか?』

「あ……はい。司が1度顔を出したらいいと、姉に」

『そうですか……楽しみです』


ホームに再び、電車の到着を告げるアナウンスが響く。


「すみませんでした、こんなことで」

『いえ……』


ガタンがタンという音が、大輔の耳に聞こえてくる。

もう受話器を閉じなければと思うのに、その数秒が惜しくなる。


『白井さん』

「はい」

『メリークリスマス……』


陽菜はそういうと、昨日はイブで、今日が本当のクリスマスですよねと、そう言った。

大輔はそうですねと言葉を返す。


『電話、ありがとうございました』

「あ……いえ、おやすみなさい」

『はい』


陽菜の耳にもわかるくらい、電車の音が大きくなった。

大輔の電話は、そこでプツンと切れてしまう。

ツーツーという音を確認し、陽菜も携帯を閉じ、それをテーブルに置く。


「メリークリスマス……か」


陽菜は、いつも真帆が抱えているクッションを両手で持ち、通話の切れた携帯を見る。

大輔が外にいるのだとわかった途端、ふっと頭から言葉が出て行った。

『クリスマス』という日に、特別な感情があるわけではなかったが、

幼稚園の園児をはじめとして、街全体がこの日を明るい気持ちで迎えているのだから、

もしかしたら、仕事のことで落ち込んでいる大輔にも、

少し華やかな気分が届くかもしれないと、そう思った。

陽菜は鏡の横に置いた舞ちゃんから贈られた絵を見ながら、

いつもカメラを持ち、レンズを向けてくれた大輔のことを考えた。



『メリークリスマス』

電車に乗った大輔も、陽菜と同じように、この一言で少し華やかな気分を味わっていた。

姉の引っ越しが終わり、見届けたという安心感はあったが、

自分にとって、特に何もない一日が終わるはずだった。

一人でいた場所に、陽菜の声が届き、先の見えない不安な思いが、一言で癒された。

年が変わることで、また新しい日々が生まれるのだと、

大輔は流れていく景色を見ながら、そう考えた。





カレンダーは1月を迎えた。

年末年始、実家で過ごすことを決めた大輔は、

親孝行という名前の里帰りを終え、サラリーマンが仕事始めをした頃、

アパートに戻ってきた。1週間ほど留守をしていたため、

仕事仲間からの年賀状などをポストから取り出し、まずは部屋に入る。


「『どんぐり保育園』からか……」


『フォトカチャ』で縁を持った『どんぐり保育園』から、年賀状が届いていた。

園児たちがアルミ缶を使い、そこで『焼き芋』を作り、

嬉しそうにほおばっている写真が貼ってある。

子供たちの無邪気な笑い顔に、大輔は、ミャンマーで過ごした日々と、

同じような笑顔を見せてくれた子供たちのことを考えた。

土砂崩れという予期せぬ出来事に巻き込まれてから、1ヶ月以上が過ぎた。

『アスナル』のメンバーは、どこまで学校の基礎を埋め込めただろうかと、ふと考える。

大輔は、ハガキをテーブルに置くと、日差しを中に入れようとカーテンを開けた。



「はぁ……寒い」

「それは仕方がないよ、冬だしね」

「でも……寒い」


同じように年末年始を実家で迎えた真帆は、祥太郎と初詣をするため、

駅で待ち合わせた。さすがに三が日を過ぎたため、それほどの混雑ではないが、

すぐに賽銭箱の前に立てるほど、空いている訳でもないため、

両サイドに出ている出店の品物を見ながら、一歩ずつ前に進む。


「どうだった? 実家は」

「いつもと同じ、母は口うるさいしと言いたいところだけれど、今年は少し違っていた」


真帆は、いつもなら妹の美帆が母に加担し、二人であれこれ小言を言うのに、

今年は、美帆自身があまり部屋から出てこなかったと、

手袋をした手をさらに温めるため、こすりながら説明する。


「食事の時に出てきて、すぐに部屋へ入るの。
まぁ、年末まで仕事が忙しかったようだから、
風邪でもひいているのかなと思ったけれど……」


真帆は、姉妹とはいえ、ここまで大人になると、

あれこれ互いのことを干渉しなくなると、また一歩進む。


「そうか……俺は兄弟いないしな、そこらへんはよくわからないけれど」


祥太郎はあとどれくらいでお参り出来るのかと、背の高さを利用して、首を動かす。


「ねぇ、祥太郎さんのところは? お店のない正月なんて、初めてでしょ」


真帆は、家族3人で何を話しているのかと、そう聞いた。


「別にとくにはないよ。ただ、親父はなんだか落ち着かなかったみたいだね。
いつも3日からは店を開けていたからさ。散歩するなんていって、
シャッターを閉めた店のこと、見に行っていたみたいだし」


祥太郎は、そんな二人も昨日から、母圭子の姉がいる滋賀県にいってしまったと言い、

距離的にお参りがそろそろだと、財布をポケットから取り出した。


「明日からだよね、アルバイト」

「うん、まぁ、アルバイトなんて堅苦しいものじゃないから平気だよ」


祥太郎は真帆の手を握ると、こっち側が空いていると右に動き始める。

真帆は、素直に従うと、手が離れないようにしっかり握り返した。



【35-3】

それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
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