『はい』
「あ……こんばんは、白井です」
『はい……』
特別な用事などないし、どうしてボタンを押したのだろうと思った大輔だったが、
陽菜の声を聞いた瞬間、今、自分が駅のベンチにひとりでいることなど、
何も気にならなくなった。
「あの、姉の引っ越しが今日で、3人のメールを見せたら、すごく喜んでいました。
逆に申し訳なかったと」
『あ、お引っ越し今日だったんですね。それじゃ、緑川さんが張り切ったのかな』
「はい、司が仕切ってましたから」
大輔は、引っ越し業者の手際がよかったこと、
自分は結局役に立たなかったことなど、予定外の話をしてしまう。
それでも陽菜は時々、笑う声を受話器越しに届けてくれながら、
大輔の話を熱心に聞いてくれた。
ホームのアナウンスが、次の電車が来ることを告げ、
大輔は、自分が駅にいたという現実に引き戻される。
「すみません、くだらない話をしてしまって」
『いえ、私たちがお会いしたいと話していることも、お姉さんに伝わりましたか?』
「あ……はい。司が1度顔を出したらいいと、姉に」
『そうですか……楽しみです』
ホームに再び、電車の到着を告げるアナウンスが響く。
「すみませんでした、こんなことで」
『いえ……』
ガタンがタンという音が、大輔の耳に聞こえてくる。
もう受話器を閉じなければと思うのに、その数秒が惜しくなる。
『白井さん』
「はい」
『メリークリスマス……』
陽菜はそういうと、昨日はイブで、今日が本当のクリスマスですよねと、そう言った。
大輔はそうですねと言葉を返す。
『電話、ありがとうございました』
「あ……いえ、おやすみなさい」
『はい』
陽菜の耳にもわかるくらい、電車の音が大きくなった。
大輔の電話は、そこでプツンと切れてしまう。
ツーツーという音を確認し、陽菜も携帯を閉じ、それをテーブルに置く。
「メリークリスマス……か」
陽菜は、いつも真帆が抱えているクッションを両手で持ち、通話の切れた携帯を見る。
大輔が外にいるのだとわかった途端、ふっと頭から言葉が出て行った。
『クリスマス』という日に、特別な感情があるわけではなかったが、
幼稚園の園児をはじめとして、街全体がこの日を明るい気持ちで迎えているのだから、
もしかしたら、仕事のことで落ち込んでいる大輔にも、
少し華やかな気分が届くかもしれないと、そう思った。
陽菜は鏡の横に置いた舞ちゃんから贈られた絵を見ながら、
いつもカメラを持ち、レンズを向けてくれた大輔のことを考えた。
『メリークリスマス』
電車に乗った大輔も、陽菜と同じように、この一言で少し華やかな気分を味わっていた。
姉の引っ越しが終わり、見届けたという安心感はあったが、
自分にとって、特に何もない一日が終わるはずだった。
一人でいた場所に、陽菜の声が届き、先の見えない不安な思いが、一言で癒された。
年が変わることで、また新しい日々が生まれるのだと、
大輔は流れていく景色を見ながら、そう考えた。
カレンダーは1月を迎えた。
年末年始、実家で過ごすことを決めた大輔は、
親孝行という名前の里帰りを終え、サラリーマンが仕事始めをした頃、
アパートに戻ってきた。1週間ほど留守をしていたため、
仕事仲間からの年賀状などをポストから取り出し、まずは部屋に入る。
「『どんぐり保育園』からか……」
『フォトカチャ』で縁を持った『どんぐり保育園』から、年賀状が届いていた。
園児たちがアルミ缶を使い、そこで『焼き芋』を作り、
嬉しそうにほおばっている写真が貼ってある。
子供たちの無邪気な笑い顔に、大輔は、ミャンマーで過ごした日々と、
同じような笑顔を見せてくれた子供たちのことを考えた。
土砂崩れという予期せぬ出来事に巻き込まれてから、1ヶ月以上が過ぎた。
『アスナル』のメンバーは、どこまで学校の基礎を埋め込めただろうかと、ふと考える。
大輔は、ハガキをテーブルに置くと、日差しを中に入れようとカーテンを開けた。
「はぁ……寒い」
「それは仕方がないよ、冬だしね」
「でも……寒い」
同じように年末年始を実家で迎えた真帆は、祥太郎と初詣をするため、
駅で待ち合わせた。さすがに三が日を過ぎたため、それほどの混雑ではないが、
すぐに賽銭箱の前に立てるほど、空いている訳でもないため、
両サイドに出ている出店の品物を見ながら、一歩ずつ前に進む。
「どうだった? 実家は」
「いつもと同じ、母は口うるさいしと言いたいところだけれど、今年は少し違っていた」
真帆は、いつもなら妹の美帆が母に加担し、二人であれこれ小言を言うのに、
今年は、美帆自身があまり部屋から出てこなかったと、
手袋をした手をさらに温めるため、こすりながら説明する。
「食事の時に出てきて、すぐに部屋へ入るの。
まぁ、年末まで仕事が忙しかったようだから、
風邪でもひいているのかなと思ったけれど……」
真帆は、姉妹とはいえ、ここまで大人になると、
あれこれ互いのことを干渉しなくなると、また一歩進む。
「そうか……俺は兄弟いないしな、そこらへんはよくわからないけれど」
祥太郎はあとどれくらいでお参り出来るのかと、背の高さを利用して、首を動かす。
「ねぇ、祥太郎さんのところは? お店のない正月なんて、初めてでしょ」
真帆は、家族3人で何を話しているのかと、そう聞いた。
「別にとくにはないよ。ただ、親父はなんだか落ち着かなかったみたいだね。
いつも3日からは店を開けていたからさ。散歩するなんていって、
シャッターを閉めた店のこと、見に行っていたみたいだし」
祥太郎は、そんな二人も昨日から、母圭子の姉がいる滋賀県にいってしまったと言い、
距離的にお参りがそろそろだと、財布をポケットから取り出した。
「明日からだよね、アルバイト」
「うん、まぁ、アルバイトなんて堅苦しいものじゃないから平気だよ」
祥太郎は真帆の手を握ると、こっち側が空いていると右に動き始める。
真帆は、素直に従うと、手が離れないようにしっかり握り返した。
【35-3】
それぞれの恋の色を塗っていくと、そこに見える『Color』は……
みなさんのコメント、拍手、ポチなど、お待ちしてます。
35 古い傷でも痛みは同じ 【35-2】
【35-2】
コメント