1 玉子さんの恋 【1-1】

時は『昭和16年』。

戦争の足音がどんどんと近付き、大きくなる中、

麗しき乙女『宮崎玉子』は、いつもと同じく店先の掃除をこなしていた。

季節は鬱陶しい梅雨だったが、宮崎家の前は学生寮になっていたため人の往来も多い。

玉子は、商売に悪影響が出ないようにと、掃除だけは欠かしたことがなかった。

その学生寮には、10数名の大学生が住んでいた。

坊主頭の学生スタイルなど、あまり変わりがないように思えたが、

玉子は、毎日店の前を通る2つ年上の苦学生『相原庄吉』と出会い、恋をした。



とはいっても、時代が時代。



二人の思いは、急なラブストーリーに発展することはなく、

玉子は、朝早く起きて家の前を掃き掃除しながら、額の汗をぬぐう。

毎日の日課をこなしながら、庄吉が出てくるのを待ち、顔を見れば挨拶をした。

そしてたまに時間があえば川沿いを一緒に歩き、ほんの少しだけ、

そう、他の人にはわからないくらいの距離を近づける日々だった。


玉子の実家は、父で3代目という『乾物屋』を営んでいた。

その頃、父はすでに病気で他界していたが、玉子は、一人娘として、

家を継いでくれる男との結婚を、約束していた。



玉子と庄吉の出会いから2年が過ぎる。

互いに気持ちを寄せ合っていたとはいえ、当時は親の意思に逆らい、

駆け落ちをするなどということは考えられなかった。

そのため、季節が夏、秋と移る頃、玉子は父の希望通り、

5つ年上の『一郎』と見合いをし、そして結婚した。



しかし、第二次世界大戦は、軍人として生きている者だけの戦いではなくなり、

家を継ぎ、店を支えるはずの婿を、玉子から取り上げてしまう。

二人は、新婚生活を楽しんでいる余裕もないまま、

戦地に向かった一郎は、空の彼方に連れて行かれてしまい、

二度と玉子のところに戻ることはなかった。





そして、終戦を迎えた昭和20年。

焼け野原にも秋が来たとわかる頃、玉子は娘、夏子を出産した。



「そうだったよね」

「一郎さんは、本当に真面ないい人だったんだよ」

「力持ちだし、優しかったんでしょ」

「そうそう」

「で、玉子さんのところには、小さな夏子さんが残った」

「そう、夏子だけがね」


昭和は戦前、戦中、戦後と時を刻み、世の中は『平成』を迎えた。

今でも、テレビなどで戦争を知る機会はあるが、

玉子の話が、ストレートに伝わりにくくなるほど、世の中は豊かになり、

そして若者は自由になった。



思い出を語る『宮崎玉子』は、後ろで車椅子を押す『宮崎あずさ』にとって、

ひいおばあちゃんということになるが、

近頃、軽い痴呆症があるらしく、同じことばかり話をする。

そばに来てくれた施設の職員、『塚田佐和子』の助けを借りながら、

あずさは玉子と一緒に、入居者が揃っている『ワークルーム』に向かう。

今日は、昼食が終わった後に、自動演奏のピアノを使い、

懐かしい童謡を歌う会があるからだ。

玉子は、いつも歌声を聞きながら体を横に動かし、嬉しそうな顔をする。

あずさも、そんな玉子の楽しそうな顔を見るのが、嬉しくてならなかった。


「大丈夫? あずさちゃん。車椅子、私が押すよ」

「平気ですよ。玉子さんがこの話をするときは、機嫌がいいときでしょ。
玉子さんが楽しそうだと、私も嬉しいんです」

「そう?」


今、語られていた話に出てくる、終戦後生まれた娘、『宮崎夏子』は、

あずさにとっては祖母にあたり、あずさの母、『宮崎美佐』と一緒に、

今も野菜作りをしながら元気に動いている。


「あ……あずさ、ピアノだわ」

「そうね」


玉子は、思い出話の中に、ずっしり入り込んでいるかと思えば、

妙に現実に生き、しっかりしているときもある。

記憶の中と、現在をとあっちにこっちに動き回り、また昔話を語り始めた。


「でね、小さな夏子を抱えた私は……」

「はいはい」


玉子の思い出話は、順序に沿ってはいるが、どこから再会されるのかわからない。

とはいっても、あずさにとっては、もう何度も聞いている話なので、

それほど真剣に耳を傾けなくても、内容はしっかりと入ってきた。

小さな娘、夏子を抱えてしまった玉子は、そこからさらに苦労をする。

淡い恋を諦めてまで従った結婚なのに、その夫は亡くなってしまった。

いくら長い間続いてきた店とはいえ、大黒柱という男のいない商売など、

後押ししてくれる人物は見つからず、

生活をどうすればしていけるのかもわからないまま、焼け野原に立つことになった。

しばらくは親戚と力を合わせて、その日その日を積み上げる生活をしていたが、

それでは、『これから先』を全く見ることが出来ない。

玉子に残されていたのは、小さな家の土地だけで、その店の土地を売ったとしても、

たいした金額になるわけもなかったが、年をとっていく母と小さな娘のために、

その日暮らしから、なんとか這い出ていこうと考えるようになった。



『土地を買って欲しい』



その玉子の願いは、戦後の混乱時に、予想外の再会を演出してくれた。



実は、玉子が淡い恋心を抱いた青年庄吉は、一郎と同じように戦争に向かったが、

無事に帰還し、跡取りが亡くなった親戚の不動産業を、継いでいた。

その会社の社員が、偶然玉子の実家の土地を買い上げることになり、

二人は、そこで互いの状況を知った。



しかし、全てはそううまく行かない。

庄吉には、すでに奥さんがいたからだ。



「私はね、庄吉さんが無事だったことが嬉しかったんだよ。
でも、そばに行きたいなんていう思いは、なかった。
亡くなった一郎さんとの生活は、短かったけれど、本当に、本当に幸せだったから」

「うん……」


あずさは、亡くなった一郎。つまりひいおじいさんは、無口だったけれど、

本当にいい人だったと、玉子から繰り返し聞いている。

実際、会ったことも声を聴いたこともないが、

以前見せてもらった若い頃の写真は、確かに真面目そうな人に見えた。


「庄吉さんは、私に名刺をくれた。生活が大変だったら僕に連絡をくださいって。
私は、それだけで十分だった。失うことばかりだった日々の中、
あの人が生きていてくれたということだけで、本当に……。
だから、その名刺をお守りのようにずっと大切に持って、
大変なときは、庄吉さんの言葉を思い出して、必死に生きてきた」


『乾物屋』をたたんでしまった宮崎家は、その後、東京に残ることなく、

遠い親戚のいる群馬に移り住んだが、庄吉が継いだ相原家は、

焼け野原から、人々が立ち上がっていく中、『不動産業』『建設業』で一気に急成長した。


「ねぇ、あずさちゃん。今日はそういえばどうしたの。
仕事、終わるにしては早くない?」


玉子にも、リズムを取るための鈴を持たせてくれた塚田が、そう尋ねた。

あずさの仕事先と、この場所はそれほど離れていないので、

仕事帰りなど、よく施設へ顔を出しているが、確かに今日は早い。


「うん……実はね」

「あずさ……」

「何?」


あずさは、話しをしようと塚田に向けた視線を戻し、玉子の次の言葉に耳を傾けた。



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