1 玉子さんの恋 【1-3】

ピアノの自動演奏が終了し、『ホーム』の入居者や、介護担当者から拍手がおきる。


「で、住むところは決めたの?」

「塚田さん、まだ今朝、『転勤』を言われたばかりで。そこまで決められませんよ」


その時、眠っている玉子の横に座っていた、男性が立ち上がった。

あずさは、慌てて一歩下がる。


「あ……」


塚田は、何かに気付いたのか、急に姿勢を正してそして頭を下げた。

さらに施設長がその男性のそばにより、声をかける。


「突然の訪問、申し訳ありませんでした。今日はこれで帰ります」

「はい……」

「また、立ち寄らせていただきますので、どうぞ、よろしくお願いしますね」


男性は、そういうと、眠っている玉子の顔を少し覗くような仕草をし、

左手を、軽くポンポンと叩いた。

そして、杖をつきながら、玄関の方へ進んでいく。

施設長も、男性の横にぴったりと張りつきながら、部屋から出て行った。

あずさは、思いがけないことがおき、呆気に取られたままになる。

なぜあの人が、玉子の手に触れたのか、どうしてそんなことをするのか、

全く理解できないまま、ただ立ち尽くす。


「あ! そうそう、やだ」

「どうしたんですか、塚田さん」

「今の人、今の人なのよ」

「今の人?」


塚田の頭と言葉が、一緒に出て行くタイミングを計れていないのだろう。

指だけがあっちこっちを差し、セリフが遅れている。


「何ですか」

「だから……ほら、あずさちゃんが言っていた、いや、玉子さんが言っていた……」

「玉子さんが?」

「庄吉さん!」



『相原庄吉』さん。



「エ! 今の人が?」

「そう、『BEANS』の会長、そして『橙の家』を始めとした『豆風家』の……」


今の男性が、玉子の淡い恋のお相手『相原庄吉』だったとわかり、

あずさは、塚田に玉子の車椅子をお願いし、今、出て行った男性を追いかけた。

あずさは、祖母の夏子から、この施設がここに出来たのも、

庄吉が玉子の住んでいる場所だと知って、建設を決めてくれたと聞いている。


「相原さん……待って、待ってください」


あずさは、家からも遠くなく、柔らかい自然に囲まれたこの場所が、

家族がすぐに玉子の顔を見に来られる好条件にあることで、

とても助かっているのだと、庄吉に挨拶をするため必死に追いかけた。

ゆっくり歩く、入居者にぶつからないよう前に進む。


「すみません……」


あずさは、施設長と一緒に、玄関を出ようとしていた庄吉を呼び止めた。

呼び止められたことで、どうしたと、施設長は驚いた顔をする。


「あの……相原庄吉さんですよね」

「……はい」

「私、宮崎玉子の……」


そこまで言った時、一瞬あずさの中に迷いが生まれた。

走ったからなのか、いつも『さんづけ』で呼び合うからなのか、

自分と玉子の関係を、瞬間的に忘れてしまう。


「ひ孫さん、宮崎あずささんですよね」

「あ……はい」


庄吉が、自分のことを知ってくれていたとわかり、あずさは二重に驚いた。

それと同時に、なぜ知っているのかという疑問がわきあがる。


「私の名前を、なぜ……」

「はい。何年前でしたか、あなたの高校で、創立50年の記念式典がありましたよね」

「……はい」


あずさが高校3年生のとき、確かに創立50年の式典があった。

当時、吹奏楽部に入っていたので、あずさは生徒代表として指揮者をすることになった。


「確か、指揮者をされていた」

「はい」


『吹奏楽部』の話をされた瞬間、

あずさの中に、押し込んでいた気持ちが、感情を無視したまま跳ね上がってくる。



『あずさ……』



忘れられない声と、忘れたくない微笑。


「あの日は、ちょうど『橙の家』の土地を決めていたときで、
私も見学させていただきました」


あずさは、庄吉の言葉の続きに、現実へ引き戻される。


「そうだったのですか」

「はい……玉子さんのひ孫さんだと、お聞きしたので」


施設の玄関前に、黒塗りの車が到着した。

運転手だろうか、男性が一人降りてきて、後部座席を開けると庄吉に声をかける。


「これから、東京にお勤めだそうですね」

「あ……はい」


あずさは、庄吉が自分の愚痴のような話を聞いていたのだと知り、恥ずかしくなる。


「そうですか。それはよかった。ぜひ、お待ちしていますよ」



『お待ちしている』



どういう意味なのかわからないまま、あずさはつい、頷いてしまう。


「……はい」


庄吉は、そのまま車の後部座席に乗り込み、施設の偉い人たちが並ぶ中、

『橙の家』を離れていった。





「玉子さん、眠っちゃってるね」

「ねぇ……」


あずさは、幸せそうに眠っている玉子の寝顔を見た。

今の時代からすれば、はるか昔、淡い恋心を持った二人の関係は、

細い糸だけでつながりを保ち、こうして、余生を過ごす年代になってもまだ続いている。


「塚田さん」

「何?」

「玉子さんが、ひいおじいちゃんを大事にしていたことはよくわかっているし、
あの相原さんも、今を大切にしているのだろうけれど……」

「うん」

「でも、大きな時代を乗り越えてきた『絆』って、私が考えるよりも、
もっともっと深くて強いのかもしれないですね」


あずさは、何も言わないまま、玉子の手に触れた庄吉のことを思い出す。


「男だとか、女だとかではなく……」


あずさは便利になり、どこか感情が置いてけぼりになっている現代を思い、そう話す。


「そうね……素敵よね、二人の積み重ねは」

「はい」


『恋愛』という枠など、飛び越えてしまった関係。

あずさは、いつも途中までしか聞けずに、どこか現実味のなかった話に、

庄吉本人が登場してくれたことで、心から優しい気持ちになっていく。


「玉子さん……今、ここに庄吉さんが来ていたんだよ」

「ねぇ……」


あずさは、お茶を飲むことも忘れて、すっかり眠っている玉子に声をかけると、

担当の塚田は、寒くないようにとケットをかけた。


「さて……玉子さんも眠ってしまったので、また来ます」

「はい。待ってますよ」


あずさは施設の人たちに頭を下げると、駐輪場に止めていた自転車に乗り、

坂をくだったところにある我が家へ、ペダルを漕ぎ出した。



【1-4】



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