2 未完成の約束 【2-1】

呆然とするあずさのことなど気にもとめず、

『BEANS』社長『相原武彦』の息子、『相原岳(がく)』は、

エンジン音をさせながら、車で走り去った。

残された排気ガスの匂いは、数秒で消えていく。

しかし、初めて出会った岳の姿に、一瞬で気持ちを乱されたあずさは、

7年前に突然亡くなった『織田祐(ゆう)』のことを思い出した。



あずさが高校に入学してからすぐ、祐は吹奏楽部の臨時顧問として学校に顔を出した。

大学に通いながら、先輩に頼まれた吹奏楽部を、ボランティアで指導することになったが、

叱り飛ばすようなことなく、いつも丁寧に教えてくれる祐のことを、

女子部員は憧れの目で追いかけ、『先輩のため』ときつい練習も頑張った。

あずさの担当した楽器が、祐の得意とするクラリネットだったため、

普通の部員以上に指導してくれる時間もあり、

あずさは祐を一人の男性として、見るようになっていった。

幼稚園や小学校の淡い初恋ではなく、一人の女性として『恋』するあずさは、

将来、楽器を挟まなくても隣に並べるようになりたいと思いながら、

一日も部活を休まず、『クラリネット』を吹き続けた。

そんなある日、同じ方向へ帰ると言った祐と、二人きりで駅まで歩くことになる。

祐と並びながら歩くあずさは、嬉しさが気持ちに充満し、

興奮状態で何を話していたのか覚えていないくらいだったが、

そろそろ駅だというとき、祐に左手をつかまれた。


「あずさ」


考えられない奇跡がそこから始まった。

『クラリネット』担当、特に美人と評判でもないあずさに、

思いを告白してくれたのは、祐の方だった。


「今は、先輩と後輩の関係を抜けられないけれど、
あずさが高校を卒業したら……きちんと付き合って欲しい」


思いがけない時間と信じられない話に、呆然とするあずさを、祐はそっと抱きしめる。


「一生懸命なあずさが……好きなんだ」


その時、触れた頬のぬくもりは、今でもあずさの心の中に深く残っている。

部活を精一杯頑張って、受験を終えたら……

祐の隣に堂々と立って歩く。



しかし、その約束は果たされなかった。





「あずさ、聞いた?」

「何を?」

「何をって、織田さん、亡くなったんだって」


高校3年の秋、庄吉があずさを見かけてくれた『創立50周年式典』の後、

祐が亡くなった話を、部員から聞かされたあずさは、

授業がまだ残っているにも関わらず、

信じられないと学校を飛び出し祐の実家に向かった。

クラリネットの指導をしてもらう中で、家の住所も聞いていたし、

携帯の番号だって、教えてもらっていた。

しかし、あずさの足は、祐の家にたどり着く前、最寄駅付近で止まってしまう。



『織田家 葬儀会場』



駅からの案内図が電信柱につけられ、喪服を着た人たちが横を通り過ぎる。

そして、その女性たちが話す内容が、耳に届いてしまった。



『まだ21でしょ……突然よね』

『幼い頃から、抱えていた病気があったそうよ』



あずさは、それが誰のことなのか、どういう理由だったのか聞くことが出来なかった。

聞かなければ、心のどこかでまだ祐は生きてくれていると思うことが出来る。

そう信じていたが、現実は『恋心』など容赦なく無視したまま、ただ走った。


『突然ですが、臨時の顧問を引き受けてくれていた、織田さんが亡くなりました』


葬儀に向かう人たちが話したことと同じように、

幼い頃から抱えていた病気があったことなど、吹奏楽部の顧問は理由を語っていたが、

あずさの心は凍ってしまい、そこから何も受け付けなくなってしまった。

あずさが憧れ続けた祐は、『恋人になる』という約束を果たさないまま、

突然、この世の中からいなくなった。



それだけが、動くことない真実だと……

突きつけられたあずさは、『恋をする』という明るく華やかな思いを、

そこで凍りつけてしまう。



「あの……」


あずさは、後ろからかけられた声に気付き、現実に戻った。

その女性は『お待ちしていました』と言い、玄関を開けてくれる。


「どうぞ、どうぞ。慣れない場所に来るのは、疲れたでしょう」

「すみません、あの……今日からお世話になります。宮崎……」


あずさは、目の前に現れたのは、相原家の奥様になる浩美だろうと思い、

家に入る前に挨拶をしようと考えた。


「挨拶なら、奥様が戻られてからにしてください」


目の前に立つ女性が、奥様だと思ったあずさは、思わず『違うのですか』と聞き返す。


「とんでもございません。私はこの相原家で、家政婦をしている
『蒲池滝枝(たきえ)』でございます。奥様は今、東子さんの学校へ……。
もうじき戻られるはずですが」

「あ、そうだったのですか。すみません」

「いえいえ」


あずさは、宮崎家には存在しない『家政婦』という立場の滝枝に、

あらためて謝罪すると、一緒に玄関の中に入った。

圧倒されるような空間が、いきなり目の前に現れる。

この場所は、何人の人が靴を脱げるのだろうと思える大理石の玄関と、

両サイドには、いくつの靴が入るのだろうと思える靴入れと言うより、

靴のタンスが並んでいる。


「あずささんには、この一番右の扉を使っていただくようにと、
奥様から聞いておりますので、ぜひ」


滝枝はそういうと、一番右の扉を開けてくれた。

あずさの目の前に、何から何まで詰め込めそうな場所が広がる。


「あの……蒲池さん」

「滝枝で結構ですよ。みなさんにそう呼んでいただいておりますので」

「えっと、では滝枝さん」

「はい」

「私、この下2段で十分です。靴はこんなに持っていませんし、
これから買う予定もないですし」


あずさは、宅配便が届いても、靴は数足しかないのだと滝枝に説明する。


「よろしいじゃないですか、今は空いていても。
これから増えていくかもしれませんから」

「でも……」

「みなさま、あずささん以上のスペースをお持ちです。気になさらずに」


滝枝はそういうと、隣の扉を両手で開いた。

あずさの目の前に、たくさんの靴が現れる。


「こちらは、相原家の次男になる敦(あつし)さんの場所です」

「次男……」


あずさは、少し前に自分の横を通った男性のことを思い出した。



【2-2】



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コメント

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どうもです

拍手コメントさん、こんばんは

>お元気でお過ごしの御様子、安心いたしました。

はい。夏バテもなく、毎日元気に過ごしています。
創作も、私の元気のポイントになっているので、
これからも、お気楽にお好きな時間に、来てください。