2 未完成の約束 【2-5】

『あったかいんだね』



荷物を部屋に入れ、後は寝るだけになったあずさは、

東子の寂しそうな表情を思い返していた。

恵まれた環境に育ち、何一つ不自由などないように見える東子なのに、

人をからかうような顔を見せたかと思うと、

急に寂しくて仕方がないという表情を見せた。

あずさは、庄吉が言っていた『風』という意味が、

こんなところにあるのかもしれないと漠然と考える。

部屋についている時計を見ると、そろそろ日付が変わりそうだった。

明日の朝のことを考え、目を閉じようと思っていると、

旅疲れがあったからなのか、あずさは自然と眠りの中に入っていた。





日付が変わる頃、相原家の前には1台のタクシーが到着した。

後部座席から降りたのは岳で、そのまま玄関へと向かう。

今日はもう動かないと思っていたため、仕事を切り上げ家に戻ったが、

予定外に起きた交渉のあらたな展開を知り、それならばとすぐに会社に帰った。

急に業者との打ち合わせが入り、その後、もう少し深い話を聞いていると、

また、こんな時間になっている。



『土地情報』



『BEANS』が名の知れた大手でも、仕事は待っているだけでは入ってこない。

以前は、国内だけのライバルを見ていればよかったが、今は外国からも条件さえあえば、

どんどん開発が進んでしまう。

どこで誰がどんな動きをしているのか、誰よりも先にそれを知ることが、

成功の1歩となるため、岳は生活の中で、何よりもそこを優先していた。

靴を脱ぎ、中に入る。

ほどよく酔っていたからだろうか、思ったよりも話し合いがうまく進んだからだろうか、

足は螺旋階段に向かい、そして迷うことなく2階の部屋を目指す。

自分の部屋はあるのだが、街の夜景と反対方向のため、つい立ち寄ってしまうのだ。

この洋室の角部屋から見る街の光が、キラキラと輝いていること、

それが岳の気持ちを癒やしてくれた。

いつものように扉を開け、まず部屋の奥にあるカーテンを少し開ける。

そこから見える光りは、相変わらず眩しいほどだった。

相原家が小高い場所にあるため、

その街の光りごと、自分が掬い取れるような気がしてしまう。


「ふぅ……」


カーテンを閉め、岳が疲れた体をベッドに投げだそうとした時、あずさの目が開いた。

空気の流れを感じ横を見ると、その瞬間に、誰かがベッドに横たわったことに気付く。


「ん?」


誰もいないと思い体を投げ出した岳も、触れた感覚に気付き横を向く。


「あ……」


いつもと違う状況に、疑問符を持ったのは二人同時だったが。


「キャー!」


一瞬速かったあずさの悲鳴が、真夜中の相原家に響き渡る。

そこまで酔った気分で現実を忘れていた岳の意識も、一気に戻ってきた。

慌ててベッドから立ち上がる。

振り向くと、声を出しながら必死に布団をつかみ、震えるあずさがいた。


「あ……」


今日からこの部屋は使えないという、滝枝の言葉が岳の脳裏に戻ってくる。


「いや、あの……そうか、申し訳ない」

「出て行って! 誰! 助けて!」


すっかりパニックになっているあずさは、

布団をかぶったまま逃げ出そうとして、ベッドから転がり落ちた。

その光景を目の前で見た岳は、手をさしのべようとするが、

冷静さを失っているあずさには、さらなる恐怖にしか思えなくなる。


「触らないで!」


その瞬間、部屋の扉が開かれた。


「あずさちゃん!」


東子は、部屋の中に岳が立っていることに気づく。


「エ? エ……何? 岳。何しているの」

「いや、あの……」


東子の後ろに、少し前に戻った敦も続く。


「兄さん」

「いや、敦、これは……」


敦は、冷静に部屋の明かりのスイッチを入れた。

今まで真っ暗だった部屋が、一気に明るくなる。


「岳が、どうしてここにいるのよ……」


聞こえてくる東子の声に安心したあずさは、布団をとった。

立っていたのは、昼間すれ違った岳になる。岳は、あずさの方を向く。


「ごめん……今日からここに人がいたことを、すっかり忘れていて」

「岳、滝枝に言われたでしょ」

「あぁ……そうだった。でも、忘れていて」


岳が弁解していると、浩美と武彦も姿を見せた。

浩美は何をしているのと言いかけたが、言葉をとめる。


「岳……お前、どうして」

「すみません、仕事で酔って戻ってきたので、
使えないと説明されたことを忘れていました」


岳は、慌ててベッドから落ちたあずさの枕を拾い、

ほこりがついたかもしれないと軽く叩く。


「本当に申し訳なかった。妙な気持ちがあったわけじゃないんだ。ごめん」


そう言うとあずさに向かって頭を下げた。

あずさは『いいえ』と答えるだけで精一杯になる。

結局、それ以上の話は夜分なのでということでされることはなく、

それぞれが自分の場所に戻っていった。

あずさは、実家にいた時に部屋のカギなど閉めたことはなかったが、

また、おかしなことになっては困ると、扉の鍵をきちんと閉める。

落ちた布団を拾いベッドを直すと、もう一度眠りにつこうとしたが、

急に自分の横に、男性が入ってくるというショッキングな展開に、

すっかり頭が目覚めてしまい、目を閉じても浮かぶのは、岳の気配だけになる。

女性とは違う体の固さと、広い背中。

あずさは1秒にも満たないような経験に、すっかり心が乱されてしまう。

それとともに、謝罪してくれた岳の表情が、やはり祐を思い出させ、

また切ない思いも、呼び起こされる。

あずさは、ベッドから出ると、明日開こうと思っていたスーツケースを開いた。

その中に納めていたケースを取り出す。

中に入っているのは、『クラリネット』だった。

祐が奏でてくれた曲を、一緒に演奏したくて何度も練習した。


『Just The Way You Are』

ビリージョエルの名曲、『素顔のままで』


祐はよく、あずさにこの曲を聴かせてくれた。

飾らなくていい、今のままの君が僕は好きなんだという、そんな歌詞。



『あずさ……ほら、今、音を外したぞ』



あずさはクラリネットの箱を窓辺に置く。

祐が守ってくれるような気がして、もう一度ベッドに戻った。




【ももんたのひとりごと】

『BEANS』

庄吉が戦争から戻り、大きくした会社の名前です。分譲マンション建設、
賃貸ビルの管理など、ようするに『ゼネコン』と呼ばれるものになります。
『BEANS』とはもちろん豆の意味。大きな箱の中にそれぞれの家がある、
分譲マンションのイメージが、さやの中に粒がある枝豆と重なり、
今回、名付けてみました。どうかしら……(笑)




【3-1】



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コメント

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嬉しいです

拍手コメントさん、こんにちは。

>今度のお話は、早く次が読みたいと まちどうしいですよ。
 さやの中の豆も、ぴったり。

ありがとうございます。待ち遠しいと言われて、浮かれている私です。
つぶやきも読んでいただけたのですね。
私も『BEANS』、気に入っています。
今はまだ、人物紹介的な進み方ですが、じっくりお付き合いください。