3 永遠の女神 【3-3】

あずさは、あらためて立ち上がり、こうして『東京』に来られたこと、

相原家に格別な条件でお世話になることが出来たことを感謝し、お礼を言った。

庄吉は何も言わず、ただあずさのことを見続ける。

簡単な挨拶を終えた後も、視線が自分からぶれない庄吉の姿に、

あずさは何かを言い続けるべきか、ただ黙って待つべきなのか迷い、

表情だけは、明るく作ろうとする。


「あずささん……」

「はい」

「うん……」


庄吉は、嬉しそうに頷くと、一度目を閉じた。

また時計の針が、一秒ずつ時を刻んでいく。


「どうぞ、座ってください」

「はい」


庄吉に言われ、立ち上がったあずさも腰を下ろした。

二人は向かい合うようになる。


「あずささんは、玉子さんにやはりよく似ていますね、
こうしてあなたにあらためてお会いしても、そう思いますよ」


庄吉は、はるか昔、玉子と過ごした日々を思い出そうとしているのか、また目を閉じる。

あずさは、庄吉が思い出の中から戻ってくるのを、その場で待った。

アイスコーヒーに入れてあった氷が、カランと音をさせる。


「あずささんにお会いするのは、今日で3度目ですね。
学校の記念式典、そして先日の『橙の家』、それから今日。そう……式典の日、
初めてお会いしたはずなのに、壇上に上がったあなたを見たとき、
玉子さんの血を引く人だろうと、そんな予感がしました」


庄吉は、そこからあずさがよく玉子から聞いていた、二人の出会いを語り出した。

あずさにとっては、もう、何度も聞いた話だけれど、

話し手が違うことによって、物語の伝え方も変わるかもしれないと耳を傾ける。



昭和16年、玉子が暮らす乾物屋の前は、学生寮だった。

大学に入学した庄吉は、その寮に暮らし、

いつも店の前を掃除している玉子に一目ぼれをし、二人は恋をした。



「私は、大学を選ぶ時に、実は別の道を望んでいましたが、
事情が許さずに、半分諦めぎみに生活を始めたのです。
どこか投げやりな毎日を送る中で、明るく過ごしている玉子さんに惹かれました」


時代の波に押され、どこか不満を抱えていた庄吉は、

厳しい状況の中でも、暗い顔をしない玉子が、とても魅力的に映ったと話した。

『諦め』など、当たり前にあった時代。


「しかし、彼女には守らないとならない店がありました」


早くに父を亡くした玉子は、『乾物屋』を継ぐことが運命だったため、

庄吉との恋を諦めた。あずさはそこまでを頷きながら聞き続ける。

今のところ、玉子の話と、何も違いはない。


「私は、自分の運命を精一杯生きる……。玉子さんは私にそう言った。
私はその時に初めて、自分は甘い人間だと思えたのです」


二人の淡い思いを築いた時代は、まっすぐに戦争へと向かっていた。

逆らえない流れの中、玉子は言葉どおり必死に、そして真剣に生きた。

庄吉への恋心を、心の奥底で折りたたむように思い出の1ページとし、

玉子は5つ上の男性、一郎と結婚。

二人の『淡かっただけの恋』は、本当に終わりを告げる。


「私も戦争へは行きましたが、あまり激しい地区にはならず、
なんとか無事に戻って来ました。しかし、戻ってきた日本は、
本当に何もなくなってしまっていて、
あらためて勉強を続けられるような状態ではなかったのです。
その中で、私は伯父の経営していた不動産業を継ぐことになりました。
伯父の家の息子、つまり私のいとこは、戦争で命を落とし、
跡取りがいなくなったからです」


庄吉は、『BEANS』の基礎ともいえる企業を継ぐことになり、

そして、その従兄弟の婚約者だった梅子と結婚した。


「しかし、戦争で多くの友を亡くし、また戦争から戻ると、
従兄弟の身代わりをする状態に、気持ちは落ち込むばかりでした。
自分なんかが残らずに、もっと優秀だった友が残るべきだったし、
梅子という結婚相手のいた、従兄弟が生きるべきだったと……毎日、嘆くばかりで」


昭和24年。戦争が終わって4年後、庄吉と玉子は、運命の再会をした。

それは、夫、一郎を戦争で亡くし、店を続けていくことの出来なくなった玉子が、

生活のために土地を売ることになったからだった。

偶然、庄吉の会社に勤める男性がその話をつかんだことで、

玉子が、一人で小さな娘を抱えて生きていることがわかった。


「私は、玉子さんに援助を申し出ました。結婚をしていましたので、
もちろん男女の仲というのではなく、子供を一人で抱え苦労していると思える彼女を、
助けたかったのです。あの時には何もしてあげられなかった、だからと……。
でも、玉子さんは首を横に振り、お気持ちだけで十分だと、
自分は自分の力で娘を育てていくと、凜とした態度でそう言いました」


玉子らしいセリフだと、あずさはそう思いながら聞き続けた。

今でこそ、玉子は歳を取り、車椅子がなければ生活できないが、

あずさが幼稚園に通っていた頃は、いつも働いていて、掃除も洗濯も、

朝早くからしていたというイメージが強烈に残っている。


「生きていられることは、とてもすばらしいことだ……。
玉子さんは私にそう言いました。命を守れた自分が、
弱気なことばかりを言っていられないと。その言葉に、
私は自分が身代わりばかりでと嘆いていことを、とても恥ずかしく思いました。
生きたくても生きることが出来なかった人もいるのに……と」


『生きたくても生きることが出来なかった』という言葉に、

あずさはふと、祐のことを考えた。

幼い頃から病気を持っていたと知ったのは、亡くなった後になったが、

祐も出来る限り、懸命に生きていたに違いないからだ。


「それから、私と玉子さんは、長い間、手紙のやりとりを続けてきました」


庄吉と梅子の間には、なかなか子供が生まれなかったが、

結婚して10年近く経ち、初めて武彦が生まれ、

その喜びを、親戚ではない玉子にも報告した。玉子はとても喜び、

手先が器用だったため、数枚の産着を手縫いして送ってくれたと言う。

また、宮崎家には娘しか生まれてないことも、庄吉は知っていて、

あずさの母、美佐、そして叔母になる聖美がそれぞれ初節句の時には、

かわいらしい『人形』を祝いとして届けたという。


「玉子さんは、苦しい時代にも、いつも自分を見失うことなく、
前を向いていました。あなたのあの指揮者ぶりに、私は当時の玉子さんを見たのです」


庄吉は、アイスコーヒーに口をつけ、色々と思い出すのか、優しく微笑んだ。

あずさは、長い、大変な歴史を振り返っての笑顔には、

悲しみも怒りもたくさん詰まっているのだろうと、自然と笑みを浮かべる。


「私にとって、玉子さんは……『永遠の女神』なのでしょう」



『永遠の女神』



庄吉は、玉子をそう表現すると、優しく温かみのある笑顔を見せた。

編み物が大好きで、話をしているとすぐに眠ってしまう玉子。

『女神』だなんて目の前で言われてしまい、自分のことではないのだけれど、

あずさは照れてしまう。


「ありがとうございます。玉子さんもそんなふうに思ってもらったら、
きっと嬉しいと思いますし、私もひ孫として、嬉しい気持ちになります」


あずさはそういうと、一度頭を下げる。


「いやいや、これだけでは足りませんよ。
私は、自分が落ち込むとき、いつも玉子さんの一言に救われた。
あずささん、あなたが東京へ来るのなら我が家へとお誘いしたのは、
長い間、したくても出来なかった彼女への恩返しのつもりです。それと……」


それと……


「今の相原の家に、あの時、私が受けたような風を吹かせてほしくてね……」


庄吉は、そう言うと、ため息を一つだけついた。

そして、昔話ばかりでは息苦しいですねと笑ってくれる。


「いえ、初めてその昔話を、最後まで知ることが出来ました」

「最後?」

「はい。玉子さんはいつも庄吉さんとのことを話してくれるのですが、
途中でノドが乾いて、お茶を取りに行っている間に、寝てしまうんです。
だから、土地を売ることで偶然再会したくらいまでしか、私、知らなくて……」


庄吉さんは『そうなのですか』と笑顔を見せ、玉子さんらしいと何度も頷いた。

あずさは、出してもらったアイスコーヒーを飲む。


「それならば、お話できてよかったです」

「はい」


庄吉は、苦しい中でも、運命を嘆くことなく生きてきた玉子に、

恩返しをしたいとそう言った。あずさは、二人の長く強い絆のおかげで、

こうしてここにいるのだと、あらためて考える。

それからは、あずさがどういう子供時代を送ってきたのかとか、

宮崎家のどうでもいい日々のことなど、庄吉が楽しく聞き続けた。



【3-4】



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