5 初ものづくしの日 【5-1】

あずさが、東京の地に足を踏み入れてから3日目。

『アカデミックスポーツ』の『本部』に、初出勤する日がやってきた。

電車の乗り換えに迷うことを考え、予想時間よりも早く出発する。

『BEANS』の本社ビルと向かい合っているという情報を信じ、

とりあえず『BEANS』を目指すことにした。

最寄り駅に到着すると、ピシッとしたスーツに身を包み、

明らかに『BEANS』の社員だと思える人たちが、外へ出る階段をあがっていく。

あずさもその波に紛れ、同じように地下から地上に出た。

少し強めのビル風をまともに受け、思わず目を塞ぐ。

人々が吸い込まれるように入っていくビルの看板には、

『BEANS』の文字が大きく記されていて、その視線を真横に動かすと、

少し古めのビルが見える。

壁沿いにいくつかの看板がついていたので、それをたどってくと、

『アカデミックスポーツ』の社名を確認できた。

あずさは横断歩道を渡り、ビルの中に入ると、すぐにエレベーターに乗った。

3階に到着し、あずさは一歩前に出る。

右と左に扉があったが、社名の書かれていたのは、左側だけだったため、

あずさはまっすぐに進み扉を叩くと、中の反応を待つ。

数秒すると、中から女性の声がした。そしてさらに数秒後、扉が開く。


「はい」


丸いメガネをかけた小柄な女性が、あずさの前に立った。


「あの……今日から出勤しました。宮崎あずさです」

「宮崎?」

「はい……」

「あら……生命保険の勧誘なら、結構ですよ」

「いえ、違います。あの……」


あずさは、自分が本部採用になったことを話し、

今日、初めてここへ来たとそう説明した。

目の前に立つ女性は、表情を全く変えることなく聞き続ける。

あずさは、言いたいことが終わってしまったが、中に入っていいと言われないことで、

だんだんと不安になってきた。


「あの……」

「あなた、ここで働くって、今」

「はい」


あずさは、その女性のうしろに誰かがいないかと、少し背伸びをしてのぞいたが、

人がいるような気配は、全く感じない。

あずさは、バッグの中に異動の書類を持っていたことを思い出し、すぐに取り出した。


「これ、見てください」


目の前に立つ女性は、あずさの出した紙を見ながら、『そうなのね』と頷き始める。

あずさは、あまりにも話が通っていないことに驚かされたが、

もう少しで社長が来ると言われ、結果的には、玄関を突破できた。


「とりあえず、ここに座って下さい」

「はい」


あずさは、事務所の奥にあるソファーに座る。

本部勤務は、自分が優秀だから来たわけではないことくらいわかっていたけれど、

ここまでの態度を取られると、心配だけが膨らみ続けた。

はたして、ここに自分の居場所はあるのだろうかと、事務所内を右、左と、

視線を動かしてみる。


「お茶、入れますね」

「いえ、結構です。私はお客様ではないですから」


あずさの目に飛び込んできたのは、山積みのダンボールだった。

それも、しっかりと積まれているというより、あちこちが開いていて、

また、雑に置かれている。

玄関に出てくれたメガネをかけた女性は、あずさの前にお茶を置いた。

あずさは、すみませんととりあえず頭を下げる。

メガネの女性は、デスクにあった紙を持ち、何やらブツブツ言い始めた。

あずさは自分に向けている言葉かと、注意深く耳を傾けたが内容がわからない。

もしかしたらと思い、部屋の中をじっくり見ると、他に誰もいないような気がしていたが、

実はもう一人の女性がダンボールの向こう側にいた。

彼女はあずさがいることなど興味がないのか、とにかくキーボードを叩いている。


「ここかしら」


メガネの女性は、また新しいダンボールの蓋を開けるため、はさみを取り出した。

あずさは、あのダンボールの中に、『アカデミックスポーツ』というロゴの入った、

シャツが入っているのだろうと、そう考える。

それよりも大きな箱には子供用の『バッグ』。

そうなると、どこかにタオルの箱もあるかもしれない。

あずさは右、左と視線を動かし、なんとか今自分の置かれている状況を、

冷静に判断しようと気持ちを切り替えた。


『アカデミックスポーツ』では、入会者には全て『ポロシャツ』を購入してもらい、

施設を使うときには必ず着るようになっていた。

小学生にはバッグ、社会人の会員にはタオル。

それを身につけていることが、『会員証』の意味を持っている。

事務員として働いているあずさも、同じポロシャツを着て、

タオルを持ち仕事をしていたため、いろいろあった出来事を自然と思い出す。



『なぁ、あずさ。今度、一緒に旅行……行かない?』



初旅行で逃げ出してしまった雅臣も、同じポロシャツで仕事をしていたことを思い出し、

また、あの日の出来事が蘇りそうになったため、

あずさは、首を横に動かし、それを振り落とす。


「ほたるちゃん、Mっていくつだっけ」

「Mは10です」

「10ね……でも、8しかないけど」

「そんなことはありません。しっかり探してください。絶対にあるはずです。
在庫データでは30になっていますので」


あずさは、あまりにも効率の悪い仕事の仕方に、体がムズムズし始めた。

Mが10というのは、Mサイズのシャツが10枚と言うことだろうが、

8はあるものの、残り2枚を探すのに、もう箱を2つ開いている。


「あら? これLじゃない。Mってどこだっけ?」


メガネの女性は、ダンボールのシャツを右から左から取り出し、首を傾げる。


「昨日は、そこらへんにありましたよ」

「そこらへんって、どこらへん?」

「さぁ……」

「あの、手伝ってもいいですか?」


あずさはその場で立ち上がると、『いいですよ』と言われていないのに、

無造作に積まれているダンボールを、

まずはバッグ、タオル、ポロシャツのサイズごとに分け始めた。



【5-2】



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