5 初ものづくしの日 【5-4】

どことなくのんびりと、昼食をむかえようとしているあずさ一行だったが、

挨拶をした岳は、その時全く別のことを考えていた。

食事を素早く済ませると、書類をそばにいた男性に渡し、すぐに社員食堂を出る。

エレベーターホールの横を通り、携帯を取り出した。

呼び出し音が数回鳴り、『はい』と声がする。


「敦……お前、午後空いているか」

『あ、うん……何?』


電話を受け取ったのは敦だった。

混雑する社員食堂があまり好きではないので、

あえて少しずらしたタイミングで上に行くことが多く、まだ5階にいた。

岳は、視線だけをあずさたちに向ける。


「今、社員食堂に柴田社長が来ている。今日はいるみたいだ。
午後から話に行って、なんとしてもまとめてくれ」


岳はそれだけを言うと、電話を切ろうとする。


『兄さん、ちょっと待って』

「何だ」

『今日って……それはあまりにも急展開だよ。宮崎さんにとったら初出勤だし。
まだ落ち着いていないだろう。いきなり突きつけるのも』


敦は、周りから先に話をしたらどうだと、衝突を避けようとする。


「お前、何を勘違いしているんだ。
おじいさんの縁で確かに彼女をうちに預かったけれど、
『アカデミックスポーツ』の抱えている事情まで、受け入れろとは言われていない。
初出勤だろうが、なんだろうが、うちはうちの立場で話さなければ、
他の社員に示しがつかないだろう」


岳は、必ず告げるように念を押すと、敦の反論の時間も与えずに電話を切ってしまう。

敦は、受話器を握ったまま、大きく息を吐いた。



『敦、今日から岳君はお兄さんなのよ。それはきちんと頭に入れなさい』



母、浩美が相原の家へ後妻に入ることになり、小学校に入ったばかりの敦は、

相原の名前を名乗ることになった。6つ年上の岳は、家の中をどう歩いても、

周りを気にしている素振りなどなかったが、

それまで、ごく普通の生活をしていた敦にとってみれば、

身の回りのもの、何から何まで借り物のような、幼いながらもそんな気になった。

壊してはいけない。勝手に使ってはいけない。

一歩ずつに緊張し、一日ごとに大きく息を吐いた。


相原の姓を名乗ってはいるが、それは『名乗らせてもらっている』のだということ。


敦は、昼食に向かう前に、『アカデミックスポーツ』に行く準備をし始めた。





兄弟のやり取りなど知らない、『アカデミックスポーツ』の社員たちは、

満足げにランチを取ると、向かいのビルに戻った。

あずさは、戻ってからすぐに何やらお茶の準備を整える小原を見る。


「お客様でも来るのですか?」


小原は、3時に食べるお菓子を準備だけしておくのと、楽しそうに笑う。

ほたるは相変わらずPC画面とだけ向かい合っていて、

社長の柴田は、ラジオで何やらレースを楽しんでいるのか、

時折、急に笑みを浮かべた。

あずさは、一人黙々と作業を続ける。

しばらくその時間を過ごしていると、扉を叩く音がした。

小原が気付き、すぐに『はい』と声を出す。

外から聞こえたのは、敦の声だった。


「あらあら……」


小原はそういうと、すぐに社長の柴田を見る。


「敦君か」

「そうみたいです」

「おかしいな、今日は来ると聞いていないけれど」


柴田はどういうことなのかと首を傾げたが、

待たせているわけにはいかないからと、小原が扉を開ける。


「すみません、お仕事中に。今日は柴田社長がいらっしゃると思って」


敦はもう一人の社員を連れて、中に入ってきた。

あずさと目が合い、軽く頭を下げてくれる。


「どうぞ」

「失礼します」


敦と一緒に入ってきたのも、『BEANS』の社員なのだろう。

場所も全てわかっているからなのか、すぐにソファーへ座ると、

持っていた茶色の封筒から、いくつも時代を通り過ぎたような書類を出す。

あずさは、ソファー近くにあったダンボールを奥へずらし、

邪魔にならないようにした。


「今日は、以前からお願いしていることについての、最終返事をいただくつもりです」


話しを切り出したのは、敦ではない男性だった。

『最終』という言葉に、あずさは社長の柴田を見る。

柴田は少し困った顔をしたが、すぐに敦の前に座り、わかっていると頷いてみせた。


「以前からお話ししていることの繰り返しですが、『Sビル』は古いビルです。
耐震の条件を整えるために、これでもいくつか工夫をさせていただきました。
残りの期間を使い抜くために、賃料の値上げをお願いし、
承諾してもらったはずなのに、その部分だけ棚上げになっている状態です」


あずさは、口を挟むことは出来ないし、目の前でウロウロするのも邪魔だと思い、

それまでの作業を止め、空いていた椅子に座る。

あずさには『BEANS』側の言い方は、どこか決め付けているように思え、

事情がわからないながらに、『こちらが追い込まれている』という気配を感じ取る。


「うちの会長と、こちらの前社長のつながりから、
長い間、管理もこちらにお任せして来ましたが、
条件をきちんとクリアしていただけないのなら、1年を待たずに提案どおり、
立ち退きとなります。新しいビルの建設を待つ『経営企画』から
チェックが入っておりまして、これ以上、時間をかけられません」


『立ち退き』という言葉に、あずさは開きかけた口を慌てて閉じた。

柴田は『BEANS』側の言う事はもっともだと頷きながらも、

『しかし』の言葉を口にする。


「しかし、こちらもお話ししたとおりなのですよ。ビルには色々な事情を抱えた業者や、
職人が入っています。元々、相原会長がこのビルを建てる時に、
志のあるものが、みなで寄り添って形を作っていくことに賛同し……」

「そのお話しは何度も聞きました。しかし、時代は動いています。
昔と今では、この土地の価値が違いますので」


敦と一緒に来た男性社員は、それを言われてもと、柴田の発言を途中で止める。


「もちろん、それは私も承知しています。しかし……敦さん、
それならあなたは、苦しんでいる人たちに対して、最後の水を取り上げますか」


柴田は、あえて発言をしていない敦に、コメントさせようと話しを振る。

そして、あと3ヶ月だけ待って欲しいとそう言いだした。

今の季節は秋。年末まで色々と手を尽くし頑張ってみるからと、そう頭を下げる。


「柴田社長……それは」


黙っている敦の横で、男は『いい加減にしてくれ』という顔を見せた。



【5-5】



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