5 初ものづくしの日 【5-5】

「身勝手なのは十分承知です。しかし……」


男性社員は、困りますというと書類をさらに前に押し出した。

柴田は、その書類を見ることなく、ただ頭を下げ続け敦の反応を待つ。

沈黙が、1分ずつ積み重なっていく。

誰からも発言がないこの状態は、全ての人間が『待っている』という証拠だった。


「本当に、年末でいいですね」


敦はそういうと同僚の出した書類を、自分の方へ戻す。


「おい、相原……」

「このビルが、どんな意味を持ち、この場所に建ちあがったのか、
僕も会長から聞いています。しかし、いつまでもというわけにはいきません」

「はい……年末、とにかくそこまで待ってください」


柴田はそういうと、さらに頭を下げていく。

結局、敦たちは10分程度いただけで、ビルを出て行った。

あずさはどういう話なのかよく見えないままだったが、

社長の柴田から説明をされるだろうと思い、前を見る。

しかし、そこまで神妙だった柴田が、急にソファーに寝転び始めた。


「はぁ……よし、これで3ヶ月だぞ」

「今回もあっさりでしたね」

「『ケヴィン』と違って、次男坊は優しいのよ。
また年末に来るでしょうけれど、年度末までって、社長は言うつもりでしょ」


小原の言葉に、柴田はその通りと笑い出す。

数分前の緊張感は、あっという間に消え去ってしまった。


「あの……」


あずさは、どういう理由かわからないけれど、

約束は守らないとならないのではと、意見を述べる。

初出勤したあずさの意見に、

小原もほたるも、そして柴田も『きょとん』とするだけだった。



横断歩道の真ん中で、同僚は書類をいきなり敦に押し付けた。

敦は不機嫌そうな男の顔を見ながら、書類を受け取る。

同僚は、赤信号のライトを見ながら、大きく息を吐く。


「相原、今日はお前だけがここに来たことにしてくれよ。
俺もいたことにされたら嫌だからな」


そういうと、携帯で時計を確認する。


「お前はさ、相原家の人間だから、こんなことを繰り返していても、
辞めさせられることはないし、いずれ出世するのだろうけれど、
俺はただのサラリーマンなんだ。仕事の出来ないやつだと思われたら、
いられなくなるんだぞ。『BEANS』に入社して、賃貸分野で一生、終わりたくないよ」


敦は、『ごめん』と小さな声を出す。


「まずいだろ、今回は『経営企画』……いや、岳さんに行けって言われたんだろ。
空なんて持っていってみろ。あぁ……もう」


同僚は、何もしないで戻ってきたと知ったら、何を言われるかと肩を落とす。


「とにかく、ここへはお前一人で来た、それで通してくれ。頼むぞ」


同僚の社員は、そう念を押すと、信号が青に変わった途端、駅に向かって走り出した。





『アカデミックスポーツ』の入る『Sビル』は、相原庄吉が建設したものだった。

柴田の父である前社長とは、同じ軍で仕事をしたという仲で、

戦争が終わってからも何度も再会し、それぞれの近況を伝え合っていた。

それまで、元々、扱っていた製品を細々と売っていた柴田家は、

時代の流れの中で、『スポーツ』という部門に、活路を見出していく。

友の新しい事業に理解を示した庄吉は、『BEANS』が入っていたビルを、

そのまま『アカデミックスポーツ』に明け渡し、そして、これからの時代を睨み、

新しい仕事で、頑張ろうとする仲間を応援する気持ちで、入居者を募った。


「そんないきさつがあってね、うちが借主のまとめをしているわけなんだ」


柴田は、今までもここから事業を立ちあげ、

別の場所で成功している社長もいると、そう説明する。


「しかし、時代が流れて、土地の価値もどんどん上がった。
人の力で動いていた仕事も、機械化が進んで、
逆に取り残されてしまう会社も出始めた」


柴田は、今、ここに入っている企業たちは、その転換期にあって、

もがいているところが多いと、そう話す。


「次の仕掛けがうまくいったら、這い上がれるってところもあるんだよ。
それを、簡単に耐震工事があるから賃料をあげるとか、
従えないのならさようならとか、俺は右から左に言えなくてね」


柴田は、それでますますおかしくなっているけれどと、苦笑する。

あずさは、柴田という男が、ただのサボリだと思っていただけに、

色々と時代の流れも、いきさつもあったのだとわかる。


「でもケヴィンがね……もう痺れを切らしているのよ」

「ケヴィンとは、長男岳さんのことです」


小原の発言に、すかさずほたるからフォローが入る。


「今の話をしても……」

「いやいや、敦君と違って、岳君は『情』だの『気持ち』などでは動かないよ。
まだ相原会長が生きているから、なんとかのらりくらりしているけれど、
完全に武彦さんと岳君の代になったら、うちも……」


柴田はまぁ、それはそれだけどねと諦めたように言う。

あずさはダンボールを束ねながら、前にそびえるビルを見た。





「なんと言った」

「ですので、年末まで待つことに」

「年末まで待つ理由を言え!」


岳のところに報告に向かった敦は、社長がそう頭をさげたことを話す。


「何度も同じことをされて、今回も頭を下げたからそれで引き下がったのか」


岳の不機嫌な声に、同じフロアで仕事をするメンバーが、一斉に姿勢を正す。

部屋の隅に席がある千晴だけは、

その岳の表情を、薄っすらと笑みを浮かべながら見続ける。


「夏には秋だと言われ、今度は年末。どうせこのままじゃまた、
年度末だと言って春まで引っ張るぞ。お前はそれをどう切り返す」

「でも……」

「よこせ」

「エ……」

「書類をよこせ」


岳は敦の持っていた書類の袋を奪い取ると、そのまま経営企画の部屋を出てしまう。

敦は、間違いなく向かいのビルに行こうとしている岳の腕を取った。


「兄さん……今回だけ」

「俺は、確証のない約束などするつもりはない」


そういうと止まったエレベーターに乗り、ボタンを押す。

一歩前に出ることをためらった敦の目の前で、エレベーターが閉じられ下へ動き出す。

敦は、やはりこのまま知らないふりをしているのはまずいと思い、

急いで廊下を走ると、階段を駆け下りた。




【ももんたのひとりごと】

『バラの庭で会いましょう』

アカデミックスポーツの小原が話したこの漫画。もちろん実際には存在しません。
(しないよね……)。イメージとしては、昔、『少女雑誌』で連載していた
髪の毛がクルクル、目がキラキラ、どこの国の人かわからないような主人公たちが、
なぜか日本語を話すんだよね……という種類の漫画だと思っていただけたら……(笑)
いやぁ……私の年齢が、わかってしまうだろうなという選択肢です。




【6-1】



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