7 時間の活用法 【7-5】

「行くぞ」

「はい」


岳の後ろをついていくと、そのまま店内に入り込んだ。

岳はエスカレーターに乗り、上に向かっていく。

その様子を見た受付の社員が、すぐに内線電話を回した。


「おはようございます。広報の青木梨那さんを……」


受付の社員は、『三国屋』の三女、梨那を電話に呼び、今、岳が来たと報告した。


「岳が?」


受付の社員は、間違いないですと答えを返す。


「そう……わかった」


梨那と食事に行くため、岳が、夕方迎えに来てくれることはあっても、

こうして昼間の時間に、しかも連絡なく来た事など今までにない。

社員は、岳が初めて見る女性を連れていることまで話すと、お客様が来たのでと、

内線を切った。

受話器を置く梨那の中に、逸美の顔が浮かんだ。

書道家の娘の逸美と、実は岳がそれなりの関係にあることも知っていたが、

自分の方が若くて条件もいいと思っていたし、気にしたり話題にすれば、

面倒なことが嫌いな岳が、自分から離れてしまう気がして、あえて触れずにいた。

しかし、初めて見る人となると、連れているのは逸美ではなくなる。

梨那は、頭より足の方が先に動き出す。

モニターを見ていると、『婦人服売り場』に岳の姿があった。

社員の報告通り、確かに岳の横に女性が立っている。

梨那は、その女の顔と関係を確かめるため売り場に向かう。

『冷静に』と、自分に言い聞かせるようにしながら一歩ずつ進んでいくと、

何やら岳とその女性が、言いあっていた。


「私には無理です」

「無理? どうして無理なんだ」

「岳さんは、私の収入をご存知ですか」


岳が連れてきた女性を見ながら、鼻の下を伸ばしているのなら、

一言嫌みを言おうと思い近付いたが、二人の雰囲気はそんなものではなく、

逆に前に立つ店員の方が、どうしたらいいのか困っているように見える。


「収入?」

「はい、そうです。このスーツ、私の1ヶ月のお給料で買ったとすると、
読みたい雑誌も、飲みたいジュースも、どうしようかと考えなくてはなりません」


あずさは飾られているスーツの値札を指差し、そう岳に訴えた。

岳は値段を確認する。


「冗談を言うな」

「冗談じゃないですよ。『BEANS』さんがどういうお給料体制なのか知りませんが、
『アカデミックスポーツ』の、しかも、地方の受付担当者なんて、
そんなにもらえません」


あずさは、スーツの袖を持つ。

確かに触ってすぐにわかるくらい、高級なものであることは間違いない。


「素敵なものだということは、もちろんわかります。
あわせ方で使い分けも出来ますし、着心地もいいだろうなと予想もつきます。
長く持つでしょうし、型崩れもないでしょう。でも、身分不相応です」


あずさは、自分くらいの人間が買う物ではないと言い、

お仕事の邪魔をして申し訳ありませんと、店員に頭を下げる。


「岳……」


岳はその声に、横を向いた。

思いがけない光景に、しっかりと冷静さを取り戻した梨那がそこにいる。


「こんな時間に岳が現れるなんてと驚いたら、
今日はご一緒の方がいらっしゃるのね。会社の方?」


梨那は、『三国屋』で『広報担当』をしている青木梨那ですと、

岳が自分を紹介する前に、自ら名乗って見せた。

あずさは、二人の関係など何も知らず、梨那に頭を下げる。


「すみません、私『アカデミックスポーツ』の……」


岳は、梨那に自己紹介をしようとしたあずさの前に入り、

視界を塞ぎ、発言を止めてしまう。


「あ……あの」

「とにかく、すぐに服を選んでくれ。
今、宮崎さんが言ったとおり、ここであれこれもめているのは店に迷惑だ。
昼前からチームの会議がある。時間は今日しかないから来ただけだ」


岳はそういうと、ポケットから財布を取り出し、そのままカードを出す。

あずさは、岳のカードを奪い取った。


「何をするつもりですか」

「……払うのは俺だ」

「結構です。私には似合いません」

「そんなことはどうでもいい……」

「どうでもいい?」

「とにかく、今すぐに着られるものを選んでくれ」


岳は、少し顔を動かし、後ろに立つ梨那に、すぐに帰るからと目で合図をする。

岳が買ってくれるのならと思った店員は、あずさの姿を見て、

すぐにこれはどうでしょうかと商品を差し出し、試着室へと連れて行ってしまう。


「ねぇ……」

「すぐに帰る。君に、いちいち説明をするような人ではないから」


岳が言葉を濁したことに、梨那は不満そうな顔をした。

岳は、あずさが引き込まれた試着室の方を見続ける。

梨那は、自分の方を見ない岳に対して、おもしろくない感情を持ちながらも、

ここでイライラした態度を見せるのは、逆効果だとそう考えた。


「なんだか賑やかな人ね」


梨那は、そういうと岳の横顔を見る。


「説明する必要がないのなら、あえて聞かないけれど……。
でも、うちに来てくれたのだから、紹介くらいしてもらえると思っていたのに」


梨那は、自分の前に顔を見せておいてと、出来る限りの嫌みを込めてそう言った。


「『リクチュール』がある店を、他に知らないだけだ」


岳は、『三国屋』を選んだのは、梨那とは一切関係がないと、そう言いたげな顔をした。

梨那は、『そう、選んでもらえて光栄ね』と言いながら、

自分には余裕があるのだという態度を見せてみる。

しかし、岳からは何も言葉が出てこない。

梨那は、とたんにこれでよかったのかと、不安になる。


「賑やかな人だから……『リクチュール』は、似合いそうもないけど……彼女」


岳は梨那のセリフに対して、何も言うことなくただ前を見続けた。




【ももんたのひとりごと】

『アカデミックスポーツ』

第1話から登場している、あずさの会社です。モデルというか、イメージとしては、
子供が水泳や体操を習うあのスクールと、主婦などに30分で運動できますと、
宣伝しているあの教室? それを足して2で割ってみたいなところかな。
柴田社長の父親と、庄吉とは戦時中同じ隊にいた縁という流れがあります。
とぼけた社員たちですが、いい味を出しますので、よろしくお願いします。




【8-1】



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