8 奇跡の可能性 【8-2】

『BEANS』の地下駐車場。

停車をした岳の車の前を、別の車が通っていく。

ライトが一瞬、あずさの目に入り、眩しさに下を向いた。


「近しい人を、『納得』出来ないまま、亡くしたことがあるのか」


『三国屋』で思いがけない買い物をすることになってしまったことから、

話しが広がっているうちに、あずさは、あまりにも現実ばかりを追う岳の意見に、

思わず『奇跡』を信じないのかとそう言ってしまった。

いつもの岳なら、そんなものと言い返すくらいに思っていたが、

心の深い場所に触れてしまったような表情を見せられ、

あずさは思わず『すみません』と謝罪する。


「どうして謝る」

「生意気なことを言ったかもしれないと」

「いや……」


岳は右手を動かし、扉のロックを解除する。

カチャンという音が、車内に響く。

勢いのまま発言した自分に、岳が何を言うのかと、

あずさはスーツの箱の手持ち部分を強く握り締めた。


「そうだな。つい、何もかもを並べて考えてしまうのは、クセなのかもしれない。
宮崎さんの言うとおりだ、君の考える時間に対して、俺があれこれ言う資格はない。
『奇跡』を信じるという人を、否定することも出来ないからね」


そういうと、岳が運転席から出たので、あずさも後部座席から外に出る。


「スーツは車に残しておけばいい。家まで持って帰るから」

「……はい」


あずさはあらためて扉を開けると、箱を席に戻す。


「じゃ、行こう」

「はい」


あずさは岳の後ろを遅れないように着いていく。

正直、今の岳の態度も、あずさにとって予想外のものだった。

合理的に考え、非情なくらいの態度を取るのは、最初の日にわかっていたので、

自分の意見を否定されたら、さらに『論理的思考』をふりかざし、

自分のことなど、こてんぱんにするだろうとそう思っていた。

しかし、岳は確かにあずさの考えを受け入れ、謝罪に近いセリフまで送り出した。

あずさは、『奇跡』の話をした時、寂しそうな表情を見せた岳の過去を考える。

『青の家』に行ったとき、岳の母親と妹が亡くなってしまったという話を聞いた。

弟の敦や妹の東子と、うまくいっていないようには見えないが、

語られていない部分に、その複雑な思いを理解できるところがあるのだろうかと、

エレベーターを待ちながらそう考えた。





昼を過ぎ、そろそろ太陽が沈む準備に入る頃、相原家に1台のタクシーが到着する。

千晴は、支払いを済ませ外に出た。

そのまま玄関へ向かうと、ノックをすることなく中に入る。

さらに扉を開けると、千晴に気付いた滝枝が『気付かずにすみません』と声をかけた。


「いいのよ、客じゃないし。叔母さんは」

「奥様は今、婦人会の集まりで」

「あ、そうなんだ。でも、もう戻るでしょ」

「はい。そろそろ」

「待たせてもらう」


滝枝は頭を下げると、千晴のいるリビングから離れていく。

千晴は螺旋階段を上がった奥にある、あずさの使っている部屋を見た。

あの場所が昔どんな場所だったのか、浩美から聞いて知っている千晴は、

庄吉があずさに特別な思いを持っていることを、あらためて感じてしまう。

出された紅茶を飲んでいると、浩美が戻ってきた。


「叔母さん」

「千晴」


浩美は、仕事中ではないのかと、千晴にそう言った。

千晴は、数日間有給を取って、旅行に行ってきたと笑う。


「旅行? 何を言っているの。みなさんは働いているでしょう」

「大丈夫です。経営企画の事務のフォロー、誰がやろうが同じ仕事。
有給だって立派な権利よ。連休の後って、結構お得なの」


千晴はそういうと、お土産と言いながら、小さな包みをテーブルに置き、

紅茶に口をつける。


「ねぇ、千晴。武彦さんの立場もあるし、敦だって困るのよ。
あなたがモデルを辞めて、何か仕事がないと困るって兄さんが言うから、
無理して入れてもらって」


浩美はとにかく部屋へ来なさいと、千晴の置いたお土産の包みを持ち、肩を叩く。

千晴は『はい』と返事をすると、浩美の後を着いていった。

あずさがいる洋館部分とは違い、現在、家族が主に使っている部分は、

和の要素も多い造りになっている。

浩美と武彦がくつろぐための部屋が、リビングとは別の場所にあった。

小さなキッチンもついているため、浩美はここで趣味のお菓子作りなどを楽しんでいる。


「ねぇ、会長が田舎から連れ出したあの子、なんだか岳の横について、
本社をウロウロしているの。どうなっているわけ?」


千晴は『目障りなのよね』と言いながら、足を組んだ。

千晴はテーブルの上にある小さなお菓子箱を開け、中にある砂糖菓子を口にする。


「どうなっているって、それは岳の考えていることでしょ。私には……」

「岳のって……叔母さん、いまだに岳には何も言えないのね」


浩美は食器戸棚からカップを取り出すと、コーヒーをいれる準備をし始める。


「私が何を言うの。岳はしっかりと武彦さんの跡を継ぐために仕事をしているし、
お義父さんもそれを望まれているのよ」

「それじゃ、敦は何? 一生岳の部下?」


千晴は、姉さんには東子だっているのよと、不機嫌そうな顔を見せる。


「敦のことを、どこか遠慮するのはわかる気もするけれど、
でも、東子は間違いなく二人の娘じゃない。東子にそれなりの婿をもらって、
それで敦と一緒に『BEANS』をやることだって」

「千晴。そんなこと、絶対に言わないで」


浩美は、余計なことだと千晴を見る。


「そんなにおかしなことを言っている? この家に尽くしている時間は、
亡くなった前妻より、叔母さんの方が長いのよ。どうしてそんなに遠慮するのよ。
わかるでしょ、岳の魂胆が。大学を卒業した敦を、賃貸部門に入れた。
『BEANS』の持つ貸しビルの管理って……そんなこと、誰だって出来るじゃない。
自分と同じように、将来『BEANS』の経営に参加させようと思ったら、そこじゃないわ」


岳は、好きなように遊んで、

最終的には、おそらく『三国屋』の娘と結婚するつもりだろうと、頬杖をつく。


「人の誘いになんて、乗りもしないで……」

「何?」

「ううん、別に」


千晴はコーヒーと一緒に、クッキーを出そうとしている浩美に、

『ねぇ』と声をかける。


「あの子、会長がお気に入りの子。あの子と敦って言うのはどう?
そうしたら敦ももっと、いいポジションにつけるかもしれないし」


千晴は、敦は優しいから女性には嫌がられないだろうと、

浩美に『どう思う』と聞いていく。


「何言っているの」

「何って、従兄弟として心配しているの。それじゃ叔母さんには敦の縁談に、
何か『希望』がある? そんなこと、何も……とか絶対に言うでしょう。いい? 
会長の年齢は90歳を越えているの。さすがにそう元気ではいられない。
でも、今ならまだ、武彦おじさんも会長の決定に逆らえないはず。
あの子が敦とうまくいけば、自分の身代わりとしてさ……こう……」


千晴に背を向けたままの浩美の前で、ドリップされたコーヒーが落ちていく。


「岳一人に、いい思いをさせるのはもったいないじゃない。
『BEANS』は、それだけの会社なのだから」


千晴はそういうと、嬉しそうに浩美を見る。

浩美は『くだらないことを言わないの』と千晴に言い、砂糖の入った瓶を取った。


「くだらないかな。私は敦がかわいそうに思えてならないわ。
『相原』の名前を名乗りながらも、『血』がないこともわかっているから、
本当は一番遠慮していて、悩んでいて。
実際、敦の幸せを一番望んでいるのは、叔母さんでしょう。
敦はいいところに来られたからそれで十分とかいうのなら、間違っているわよ」


千晴の言葉に、浩美は何も言わないまま、お茶の準備をし続けた。



【8-3】



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