8 奇跡の可能性 【8-3】

『奇跡』


この言葉は、その日、岳の心の中をずっと回り続けた。

あずさに『経験があるのか』と尋ねたのは、岳自身が昔、

なんとか『奇跡』を呼び起こそうとした経験があるからだった。

まだ幼く、サンタクロースさえ確実にいると思っていた頃、

岳は、毎日家から見える月を眺め、光り輝く中にいるはずの『神様』に願い続けた。

『お母さんを助けてください』と。

岳の母、『相原麻絵』が亡くなったのは、岳が5つになってすぐのことだった。

4つ違いの妹を出産する前から、麻絵の体調は思わしくなく、

それでも妹を産む選択をした母は、誕生からほとんどベッドを出られなくなり、

娘の成長を半年も見られない秋の日、息を引き取った。



『岳……守ってあげてね』



残していく妹を守って欲しいと願った母だったが、その妹も誕生日を迎える前に、

突発的な病で、この世を去った。

無条件に愛すべき人が、立て続けに亡くなり、

それまで何度も『奇跡』を呼び起こそうとした岳は、

裏切られたという思いだけを背負い、『現実』だけを見る少年になっていく。



『最終的には無駄になったとしても、その時精一杯考えて、悩んで、
導き出そうとすることで、人は『納得』するのだと思います。
私は、たとえ無駄でも、もがいてもがいて、それで最終日を迎えます』



岳はあずさの言葉を思い返しながら、残りの仕事に対して、指示を出した。





それからも、あずさの気合いは途切れぬものの、同じような日々が回り続けた。

太陽は時間が来ると西に向かい、鳥たちも眠る場所を目指し飛び始める。

目の前にいる社長の柴田は、雑誌の一番後ろにあったクロスワードパズルを

熱心に解いていて、あずさは、ほたると小原の顔を交互に見ながら一口お茶を飲む。


「今日の進展は……」

「うーん」


あずさは肩もみ仕事を終えると、毎日『アカデミックスポーツ』に戻り、

状況の確認をした。時間の終わりは近づくのに、岳の予想通り、前には進んでいない。


「あ、そうだ、宮崎さんが言っていた、『パンチョ』のことだけれど」


柴田が、視線はパズルに向けたまま話す。


「はい、何か」


あずさは、いい話が聞けるかと思い、思わず立ち上がる。


「以前、タレントを使って計画をしたことのある、別企業のオーナーに話をしてみた」

「はい」

「やっぱり、この企画では難しいのではと言われたよ」


柴田は、規模が小さすぎて、事務所側がOKを出さないのではないかと話す。


「予算も割り出してみようと思ったけどね、今、確実性のないものに、
出資するのは、正直キツイかなと」


経理を担当している小原にも、否定的なことを言われてしまう。

あずさは、そうですかと意見を受け入れ、何か他にはと聞き返す。


「今の状態で、手入れも何もなしに誰かに貸せたらとも思うけど。
でもね、出て行けと言われている状態で、『賃貸募集』も問題だろうし、
このビル自体古くて、なかなか借りてもいないだろうし……」


結局、今日もお茶を飲むだけで何も動きがないまま、あずさは『相原家』に戻った。

駅前で交番にいる警官に挨拶をし、一歩ずつ坂道を登る。


「あ、あずさちゃん」


同じように家に戻ろうとしている東子があずさに気付き、声をかけた。

あずさは振り向き、『お帰り』と笑顔になる。


「何、部活?」

「違うの、担任のお小言なのよ。もう……色々とね、トラブルがありまして」


東子は家までの道を歩きながら、今の担任が、

同じ学校にいた岳や敦のことを知っているので、色々と比べられて困るのだと、

愚痴を言った。あずさは、具体的にはと、聞き返す。


「お前の一番上の兄、岳はとにかく鋭い生徒だった。
気を抜くとこちらも倒されるのではないかと思って、
いつも緊張しながら授業をしたって……。まぁ、岳の頃には、その先生、
新人に近かったしね」


あずさは、たとえ教師でも『違う』と思えば論破しようとするのは、

確かに岳らしいと頷いていく。


「敦は、こちらの頼みたいことをしっかりと理解し、
期待には確実に応えてくれる優秀な学生だった。頼りにもなったし、
人望も厚かった……って。はいはい、そうですねって、
それらしき顔をして頷いてあげたけど」


あまり自分を出さずに、まわりとあわせようとする敦らしいと、

あずさは『その先生、分析力あるね』とそう言った。

東子は納得できないと、首を振る。


「どうして」

「東子さん、君は両方の兄からもらった積極性と、人をひきつける力、
この二つの使い方を、間違っているね……だって」

「エ?」

「間違っているってどういうことよって、思わない?」


東子はそういうと、今週中に『中谷伯太郎』の小説を一つ読んで、

感想文を書かなければならなくなったと、ため息をつく。


「中谷伯太郎? へぇ……どうして」

「単純よ、自分が好きだから。
あの先生、何かというと『中谷伯太郎』をすぐに出してくるの」


東子は感想文がどうのこうのではなく、そうやって課題をさせて、

こっちが嫌な気持ちになるのが、『お仕置き』だということでしょうと結論付けていく。


「あの作家、おもしろいらしいけど、とにかく長いんだよね……」



『この小説、長いけれど、結構面白いんだ』

『へぇ……誰の作品ですか』

『中谷伯太郎』……読んでみる?』

『いいのですか?』



あずさの脳裏に、昔、中谷の小説を勧めてくれた祐の声が蘇る。

最初の1冊目は、祐が貸してくれたものだったが、その小説が話のきっかけになればと、

あずさも数冊購入し、読んだ事も思い出す。


「『中谷伯太郎』かぁ……」

「そう……」

「『はなごろも』なら、持っているよ」

「エ……あるの? あずさちゃん、もしかしたら中谷のファン?」

「ファンというより、私も高校生の頃、ちょっと勧められたというか」


あずさは、部活が終わった後、祐と一緒に書店へ行ったことを思い出す。


「そうなんだ、とにかく助かった。今から借りてもいい?」

「うん」


二人は並んで歩いていく。

すると、声に気付い滝枝が、先に玄関を開けてくれた。



【8-4】



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