8 奇跡の可能性 【8-4】

「どうぞ」

「はい、どうも……」


東子は、約束どおり『はなごろも』を借りるためにあずさの部屋へやってきた。

すると興味深そうに、あちこちに視線を動かしている。


「ごめんね、キョロキョロと見てしまって。でも、この部屋に入ることって、
滅多にないのよ」


東子は窓からの景色を見た後、あずさの方に振り返る。


「ねぇ、あずさちゃんが来た日、岳が酔ったままここに入り込んだでしょ」

「あ……うん」

「この部屋、一応客室となっているけれど、
実は今まで誰も泊まったことがなかったの。ほぼ、岳が管理していたというか……うん」


東子はそういうと、備え付けのテーブルにある椅子に座る。


「管理?」

「そう……。元々は、岳のお母さんがいた部屋なんだって。
あずさちゃん知っていたっけ、岳と私たちは母親が違うって」


東子は、正確に言うと、自分と敦も父親が違うのだけれどと説明する。


「うん、岳さんのお母さんが亡くなってという話しは、庄吉さんから」

「そうか、おじいちゃんね。そうか、そうか、
あずさちゃんはおじいちゃんのお客様だもんね」


東子は、あずさがここへ来る前、庄吉が相原家にやってきて、

この部屋を、あずさに使わせたいと宣言したことも教えてくれる。


「おじいちゃんはね、家族が暮らしている方に部屋を作ったら、
あずさちゃんが遠慮するだろうという理由をつけていたけれど。
私、ここの利用は岳が反対するかなと思っていたから、あっさりOKだって知って驚いた。
でも、あの日は忘れちゃったんだね、いつもやるように、入り込んじゃって……」


東子は何かに気付き、手を伸ばした。


「ねぇ、これ何?」


それはあずさがベッドの横に置いた、『クラリネット』のケースだった。

あずさは、これはと言いながら、ケースを開けていく。


「うわぁ……えっと、なんだっけ、この楽器」

「『クラリネット』」

「あ、そうそう、『クラリネット』。何、あずさちゃんって出来るの? これ」


東子はかっこいいねとあずさを見る。


「一応吹奏楽部だったの。これが担当」

「うそぉ……聞いてみたい。ねぇ、ここで吹いてみて」


東子は本を借りに来たことなど、すっかり忘れ、

目の前の『クラリネット』に夢中になっていく。

あずさは、ここは家の中だからと断ったが、東子は両親もまだ仕事だし、

兄たちも戻っていないと、強く頼み始める。


「いや、結構、音が大きいんだよ。『防音』とか……」


その瞬間、あずさの中に、『アカデミックスポーツ』の隣にある、

『リラクションルーム』のことが浮かんできた。



『防音』



あずさの中に、ふんわりと新しい思いがわきあがる。


「大丈夫、大丈夫! 私が全責任を取ります。ねぇ下のリビングに行こう。
あそこは前にピアノが置いてあったから、きっと吹いてもそれなりに平気なはず」


東子は『なんちゃって』と言いながら、なんとかとまた頼み始める。


「『防音』か……」

「あずさちゃん、頼む! もう聴きたくなったら抑えられない」


東子は両手を合わせると、あずさに向かって『お願いします』と頭を下げた。





『今度、父が岳に会いたいって言うの。仕事の話もしたいみたいだし。
時間、開けてね』



岳の退社前に入ったのは、梨那からのメールだった。

梨那との付き合いは、確かにそれなりの長さになっているが、

岳自身、特別な相手と意識していたわけではなく、

『結婚』の2文字を出したことも一度もなかった。

しかし、父親が挟まるとなると、年齢的にも最終地点を聞き出そうとするはずで、

岳は単純に、面倒なことは嫌だなと考える。

岳は幹線道路から左にウインカーを出し、そのまま家への道を進む。

駐車場に車を止め、エンジンを切ると、CD音とエンジン音の代わりに、

『クラリネット』の音が飛び込んできた。

車内から出ると、その音が『相原家』から出ていることがわかる。


『A Whole New World』

ディズニー映画『アラジン』のテーマソング。


岳は玄関を開け、そのままリビングへの扉を開く。

そこにいたのは、『クラリネット』を演奏しているあずさと、

その演奏を嬉しそうに聴いている東子だった。

あずさは、岳が入ってきたことに気付き、慌てて演奏を止める。

東子は『どうして』と言った後、気配を感じ後ろを向いた。


「あ……岳、お帰り」

「あぁ……」


あずさは岳に注意されるだろうと思い、

『クラリネット』を精一杯小さく見せようと、自分の体にぴったりとつけた。

こんなことをしても、どうにもならないことはわかっているのに、

『あの人』に指導してもらった楽器に対して、顔だけは似ている岳に、

強い口調で否定されることは、出来れば避けたかった。


「ねぇ、岳。あずさちゃん吹けるんだよ、『クラリネット』。聴こえなかった?」

「東子ちゃん」

「聴こえてきたよ」


岳はそういうと、東子の隣に座る。


「どうぞ……」


東子と同じように、岳もあずさの演奏を聴くつもりで、席についたように思えた。

とりあえず『うるさい』と言われなかっただけほっとするが、

こうなればなったで、また別の不安が浮かび始める。


「あの……」

「途中で止めてしまって申し訳ない。どうぞ、最後まで」


あずさは、これで辞めてもいいのだけれどと東子を見たが、

東子はあらためて拍手をしてしまう。

引っ込みのつかなくなったあずさは、もう一度最初から吹き始めた。



『あずさ、うまく吹こうだなんて、あまり考えなくていいよ。
音楽というものは、字の通り、音で楽しくなるものだ』



あずさの耳に、祐からのアドバイスが蘇る。

何気なく座っている岳の顔が、当時、音楽室で指導してくれた祐の横顔に重なり、

あずさは懐かしさと哀しさに、呼吸のリズムが取りにくくなる。

視線を合わせる必要はないと思いながらも、気付くと岳の顔を見てしまう。

あずさはそれでも、最後まで演奏を終えて、あらためて頭を下げた。

少し離れた場所で聴いていた滝枝が、

岳はどんな顔をして、聞いているのだろうと心配そうに見つめる。

東子の拍手に、岳も重ねるような拍手を送った。


「あずさちゃん、かっこいい……私もテニスじゃなくて、吹奏楽部入ればよかったかな」


東子は友達に誘われるままテニス部に入ったのがまずかったと、そう愚痴をこぼす。


「あのユニフォーム姿に憧れて、入部したいと大騒ぎしたのはお前だろう、東子」


岳はそう言いながら立ち上がり、東子の頭をコツンと叩く。


「痛い……」

「宮崎さん、素敵な演奏をありがとう。それじゃ……」


岳は、リビングを離れる前に、心配そうに自分を見ていた滝枝の前を通る。


「申し訳ありません」

「滝枝が気にすることじゃない。もう、はるか昔のことだ」

「岳さん……」


滝枝は岳の背中に向かって、一度頭を下げた。



【8-5】



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