9 立ち位置の違い 【9-1】

『相原岳』


逸美と岳は、桜北大学時代に出会い、互いの家の事情を知りながら、

割り切った上で、付き合いを続けてきた。

会いたいときに会い、束縛するようなことは言わない関係に、

それはそれで人生の一部分だと、そう思うことも出来た。

その頃の逸美にとって、岳は全てとも言える存在で、

『今』を重ねることで、複雑な気持ちをなんとか治めてきた。

しかし岳は、自分との付き合いをいつも横に置き、『三国屋』の三女、

梨那とも深い関係にある。その他にも、長い時間の中には、

完全に遊びだと言える間柄の女性も、何人か存在した。

最初から、『割り切っている』と態度に出してきたのだから、

気にすることではないのかもしれないが、逸美はその『ドライ』な関係と、

自分の中に重なっていく時間の現実に、次第に気持ちが乱され始めた。


男と女の『年齢』を意識する時期は、明らかに違っている。

男にとって30という数字は、

仕事に責任を持ち始める、スタート地点くらいのものかもしれないが、

女にとって30は、『何かがカウントダウン』され始めたような、

警告音を予感させてしまう。


『いつか必ず来る別れ』


それなら、その時、自分が彼の後姿を見るのでは、悔しい思い出ばかりが残る。

ならば今、自分から去っていくことを選ぼうと、逸美は父の余命を知り、

この前、関係の解消を願い出た。

『女を不幸にする男』だと岳のことを評したのも、

自分自身、そう思い込みたかったという意地もあった。

そして、そんな態度を取っていたら、細くて頼りない糸だけど、

岳が自分を離したくないと言うかもしれないと、どこかで賭けていたのかもしれない。

しかし、岳は驚いた顔をしたものの、願ったセリフを出すことはなかった。

その後、『復活』を願うようなメールもなく、

逸美は、淡々と『その日』を迎えようとしている。

今日の会が、どういうものなのかわかっていたので、

岳もこの場所に来るだろうとそう思い、父に代わりを申し出た。

さらに、明日、自分の隣に立つはずの、『エントリアビール』の社長、

『上野隆三(りゅうぞう)』の次男、『上野愁矢』に迎えを頼んだ。

岳との関係が戻らないのだとしても、最後に悔しそうな顔でもしてくれたら、

逸美は満足できるのではないかと思い、立ち続ける。

扉の開く気配がしたので視線を動かすと、そこに岳が入ってきた。

逸美は1歩前に出る。

岳が、自分に気付くだろうかと期待していると、

その後ろから見たこともない女が、入ってきた。

前に出て行こうとした逸美の足が止まる。


「岳さん、今、ご挨拶をした方が『ドン』ですか?」

「あぁ……そうだ」

「思っていたよりも小さい方ですね」


あずさは会場に入る前、岳と一緒に『ドン』と呼ばれる『瀧本』に挨拶をした。

岳の予想通り、瀧本は『リクチュール』のスーツにすぐに気付き、

嬉しそうに褒めた後、次なる仕事につながる約束を、あっという間に交わしてくれた。


「あの小さい体に、とてつもない黒い権力があるんだ」

「黒?」


あずさは『そうなのか』と頷きながら、岳の後に続く。

『三国屋』の梨那の顔くらい、逸美も知っていた。

梨那ではないとなると、『BEANS』の関係者ではないかとも思うが、

しっかりと『リクチュール』のスーツを着て、岳の横についている。

逸美は、声をかけることが出来ず、ただ、岳の背中を見続けた。

逸美の鋭い視線など気付きもしないあずさは、初めて踏み込む華やかな場所に、

こんな世界があるのかと、心臓のドキドキが最高潮になっていく。

誰を見ても、浮かれているような表情は見つからないため、

冷静さを保とうとしても、なかなか興奮は収まらない。


「最初の仕事は終わりだ。せっかくだから、何か食べていればいい。
俺は挨拶をしてくるから」

「終わり? あの……今の挨拶のために、このスーツ……」


あずさは思わず、自分の服装を確認した。

たった数分間のために、カードの支払い明細の紙が、頭の中をグルグル回る。


「何か問題があるのか」

「いえ……」

「とにかく、この辺にいてくれたらいい。一緒に来てもらってもいいけれど、
この後、誰ですかって聞かれて、『肩もみ』ですって言うのも、めんどうだし。
おそらく理解してもらえない」

「まぁ、そうですね」


あずさはそれもそうだと思い、とりあえず同じように、

なぜここにいるのかわからないけれど、

楽しそうに食事をしている人たちに紛れることにした。

それでも、岳がどこかに消えてしまっては困るので、目だけ追い続ける。

偶然目の前に並んでいた『ローストビーフ』を取り、一切れ口に入れた。

肉のうまみと、甘みとも言える美味しさが、あずさの口の中で爆発する。

そこら辺のレストランのように、筋ばった肉ではないし、

そこら辺のスーパーにあるような、ペラペラな状態でもない。

間違いなく自分が『ローストビーフ』だと、主張していた。

小学校の同級生の結婚式で、地元のホテルに行き、食べた記憶もあったけれど、

同じ名前を語ってはいけないくらい、食感も、後味も違っている。

あずさはもう1枚食べたいと思い、トングを取ろうとする。


「あの……」

「あ、すみません、お一人様、1枚ですか」


声をかけられたので、スタッフの注意かと思い、すぐにトングを置いた。

そして、『すみません』と体を小さくする。


「いえ、ごめんなさい、妙なタイミングで声をかけてしまって」


振り返ったとき、その場にいる人がスタッフではないことに気付いたあずさは、

こちらこそ慌ててすみませんと、再び頭を下げた。


「私、『中村流』の書を教えております。中村逸美と申します。
今、『BEANS』の相原さんとご一緒に入られたので、『BEANS』の方かと思いまして」


逸美はそういうと、お名刺はとあずさに尋ねる。


「あの……すみません、私、今、名刺は持っていなくて。
それに『BEANS』の社員ではないですし」

「社員ではない……」


あずさは、今の逸美の言い方に、本来招待されるべき人間ではない自分が調子に乗って、

食べ物に手を出してしまったことを、責められたのだと勘違いする。

どういう態度をとればいいのかわからず、とにかく『すみません』と頭を下げた。

そうなると急に、周りの視線が気になりだす。

今まで、浮かれていないように見えていただけの周りの顔つきが、

冷静さを通り越し、どこか冷たささえ感じられる。


「すみません、本当にすみません……失礼します」


あずさは、元々、こんな場所のルールも知らないのだから、

会場の外にある廊下で立っていればよかったのだと思い、逸美の前から慌てて逃げた。

逸美は声をかけようとしたが、追いかけるのもおかしな気がしてやめることにする。

岳と一緒に会場の中に入り、何やら言葉を交わしていたように見えたので、

どんな人なのだろうと興味を持ったが、

もしかしたら、贔屓にしているホステスでも連れてきたのかもしれないと、そう考える。

逸美は、半分くらいになったコップをウエイターに渡し、

しっかり氷の入ったグラスを受け取った。



【9-2】



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