9 立ち位置の違い 【9-2】

目ぼしい人物に挨拶をした岳は、

別れた場所近くで、何か食べているだろうと思ったあずさを探したが、

その姿は見つからない。その代わりに、自分を見ている逸美と目が合った。

岳は、微笑みながら、逸美に近付く。


「どうも」

「えぇ……」


逸美は次の建設担当が、『BEANS』に決まったことを知ったと話し、

仕事に関しては相変わらず隙がないことを褒めた。

岳は、小さく頷き、師範である父親の代わりなのかと、逸美に尋ねる。


「仕方がないわ、色々と忙しいし。これも跡取りの仕事でしょ」


逸美は、あと1時間くらいすれば、お迎えが来てくれるからとそう話す。


「迎え?」

「そう。婚約者。『エントリアビール』の息子さん。話したでしょ、明日なの、婚約」


逸美は、『明日』だということを強調し、岳を見た。

時間のことまで披露するつもりなどなかったが、つい勢いで語ってしまう。


「そう……」


岳はそれだけを言うと、視線を左右に動かした。

婚約者が来ることを披露した逸美に対し、岳の返事はあまりにもあっさりしていた。

逸美は、岳の視線に、明らかに自分の話題への興味より、

何か別のものを探していることがわかる。


「誰か探しているの?」

「いや、うん……」

「もしかしたら、『リクチュール』のかわいらしいスーツを着ていた、
あわてんぼうさんのこと?」


逸美はあずさのことをそう言った。岳は一瞬考えたが、『あぁ』と認めてしまう。


「なんだか慌てて、逃げるように外に出たけれど」

「外?」


岳は、手に持っていたグラスをテーブルの上に置き、1歩前に出た。

逸美は、このまま岳が去っていくと思い、思わず左手をその背中に向かわせる。

岳がその気配に気付いたのか、逸美の方に振り返った。

逸美の手は、同じタイミングで戻る。


「お幸せに……」


逸美にとって、岳からの『最上級』に切ない言葉が、頭の中に入り込む。



『お幸せに……』



他人との暮らしを認めたようなセリフに、

逸美は、自分の迷いなど、岳には1ミリも届いていないのだと、痛感した。

目だけは岳を追うものの、追いかけるための足はプライドから動かない。

岳は逸美の目の前で扉を開けると、外に飛び出た人を探しに行ってしまった。



招待客が名前を記していく記帳台の場所から、さらに数十メートル離れた場所に、

ポツンと立っているあずさがいた。岳は、あずさのそばに向かう。


「どうしてここにいるんだ。せっかく美味しいものがあるのに」

「……すみません」


あずさは、招待客でもない自分が、

つい調子に乗って『ローストビーフ』を食べてしまったと、岳に謝った。


「なんだか、周りの方がこっちを見ていて、で、出た方がいいかなと」


あずさの言葉に、岳は数テンポ遅れた状態で笑い出す。

あずさは、どうして笑われるのかがわからず、さらに、周りの視線が気になり、

『笑わないでください』と岳の腕をつかむ。


「あ……悪い、ごめん、申し訳ない」

「そんなに謝罪の言葉を並べなくてもいいです」

「いや、そうではなくて。こういった場所の説明もしなければならなかったんだな、
宮崎さんには」


岳はそういうと、立食形式のパーティーは、そんなに細かいことは言われないため、

今、会場に入っている人の30%くらいが、仕事に関係のない人たちだと説明する。


「関係のない人?」

「そう、たとえば、よく行く飲み屋のホステスさんとか、関係者の家族とか、友人とか、
うん……席を設けない代わりに、どうぞ自由に交流し食べてくださいっていうのが、
立食なんだ。だから、宮崎さんが美味しいと思って『ローストビーフ』を食べたとしても、
すぐに補充されるし、問題は何もない。ましてや、周りが責めているなんてことも、
ありえないから」

「そうなのですか」

「あぁ……どうせ、待つはめになるのなら、せめて美味しいものをと思った。ごめん」


岳はそういうと、時計を見る。


「あの……もう、打ち合わせに行かないとならないですか」


あずさは、自分はあくまでも『肩もみ』に来ているのだからと、

頭の中にある、別の意見を抑えようとする。


「いや、まだ大丈夫。せっかく来たのだから、食べていこう」


岳はそういうと、人の慌しい流れに巻き込まれないようにとでも思ったのか、

あずさの左手を握り、会場の中に戻っていく。

手を握るという行動に、あずさは一瞬驚いたが、岳が楽しそうに笑った顔を見て、

どこか安心してしまう。


「さて、時間は40分ある」

「はい」


二人はそういうと、ウエイターから取り皿を受け取った。





会場に戻った後も、何度か岳は声をかけられ、

挨拶を交わす人たちの時間を持っていたが、

自分がここで食べていても、責められることはないとわかったあずさは、

『ローストビーフ』を始めとした料理を、満足するまで味わった。

そして、二人は1階のロビー横にある、小さな喫茶コーナーに向かい、

そこであずさの本来の仕事、岳の『肩もみ』を開始する。


「素敵でした立食パーティー。ケーキも、小さくてかわいくて、
たくさん食べられるのがいいですよね」


あずさは、中でもショートケーキのクリームが本当に美味しかったと嬉しそうに言う。


「昔はもっと種類があったけれど。少し押さえ気味なのかもしれないな」

「あれでですか」

「あぁ……。ケーキなんて、昔はタワーになるくらい置いてあった」


あずさは、『タワー』と言われ、ついウエディングケーキのようなものを想像する。


「タワーって……」

「丸い皿が5段か6段あったかな。
下の方が大きくて、上に向かうと少しずつ小さくなっていくような……」


あずさは、そういうことかと頷きながら、肩を押していく。

最初に『肩もみ』をしてから、3週間が経過した。

ただ固くて、頑固に思えた岳の肩こりも、

明らかにほぐれていっていることがわかるようになる。


「岳さん、押しやすくなりましたよ、肩」

「そうか」


そっけなく答えた岳だが、実はあずさ以上にその効果を感じていた。

以前なら週末に起きていた頭痛もないし、オフィスで仕事を続けていると、

視界がぼやっとするような気がしていたのに、近頃はあまり感じない。

何気なくソファーの横を見ると、小さな紙袋があった。


「どうした、これ」

「はい。岳さんが『BEANS』に電話をしているときに、喫茶室の前で買いました。
後で『アカデミックスポーツ』に戻るときに、持って行くつもりです」


あずさは、『肩もみ』のおかげで、こんな素晴らしい体験が出来たので、

せめてものおすそ分けをすると、そう話す。


「おすそわけ……か」

「はい。この姿で会社に顔を出したら、まずどこに行ってきたのか聞かれるでしょう。
その時、話が出来ますし。『幸せ』は欲張らない方が、長く続く気がするので」

「『幸せ』?」


岳は、立食パーティーが『幸せ』なのかと、思わず聞き返してしまう。


「はい……。私の人生の中で、このような華やかな場所に顔を出すことは、
これから絶対にないと思いますから」


あずさはそういうと、岳のツボだと思う場所を、ゆっくりと押した。

岳は、あずさの言葉に口元をゆるめ、ロビーに入ってきた人物に視線を向ける。

少し前に立っている男性は、身長が180くらいあるだろうか。

誰かを探しているのか、首が少し動く。


「あの海老シューマイ、食べたことないくらい海老の味がしたな……」


岳の視線が、前に進んだ男を捕らえていると、そこに逸美が現れた。

パーティーの手土産として渡された袋を、男は逸美から受け取り、

一緒に外へ出て行こうとする。


「自分で作れないかな……あれ」


あずさは、何も気付かず、『肩もみ』を続けている。

岳の前を、逸美と婚約者になる上野愁矢が通り過ぎていった。

逸美の視線が、ソファーにいる岳を見る。

重なり合う瞬間を確認し、玄関を出て行く時、逸美はスッと視線をそらした。



【9-3】



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