9 立ち位置の違い 【9-3】

『お幸せに』



逸美は、愁矢と一緒に歩く自分を見ている岳の視線に気付き、

一瞬だけ視線をあわせた後、すぐにそらした。

私とあなたとの時間は、本当に終わってしまう。

目の前で私に触れる男が、本当にいるのだからとそう無言で訴えた。


『終わらせたのは私』

『切り捨てたのは私』


これで満足できると思っていたのに、

逸美の気持ちには、だんだんと怒りが湧き上がってくる。

自分の方へ視線を向けた岳の後ろには、結局、どこの誰なのか、

何をするために来たのかわからない女性が、今も、当たり前のように立っていた。

『BEANS』の跡取りと、『中村流』の跡取り。

未来のない関係の結末は、自分で決めたことだった。

捨てられるのなら、捨ててしまいたいと思っていたことも事実だった。

しかし、結果的に、『どうして』という気持ちが全面に押し出てくる。

心のどこかで、岳は本当に自分を愛してくれていると思っていた。

その逸美の本音が、ぶつけようのない怒りになり、心の奥底に固まりだす。


「逸美さん、今夜は食事でも一緒に」


愁矢は、そういうと、車のカギを開け助手席の扉を開ける。

逸美には、愁矢のセリフは届かないままで、体はその場所から動かない。


「逸美さん……」

「エ……」

「明日の式に、もしものことがあったらいけないと思って。
僕はホテルに泊まる予定です。ですので、食事だけでもと思いましたが。
それとも、今日は早く帰りますか? 疲れてしまうだろうし」


愁矢の、相手をいたわるようなセリフを聞き、逸美は『大丈夫です』と微笑んだ。

愁矢は岳のように『身勝手』ではない。間違いなく自分を幸せにしてくれる。

逸美はそう思い、首を振る。


「そう、それでは、行きましょうか」


逸美は覚悟を決め、助手席に乗ると、すぐに窓の外を見た。

運転席に愁矢が乗り込み、扉を閉める音がする。

ここから離れることは、『永遠に埋まらない距離』を作ることになるのだと、

手が自然とドアノブに伸びる。今ならまだ、戻って話し合うことが出来るかもしれない。


「何がお好きですか、逸美さんは」


愁矢の言葉に、逸美の手は現実を認め、ドアノブから離れていく。


「ゆっくりお話しが出来たら……それで……」


唇をかみ締めた逸美を乗せた車は、エンジン音をさせながら、

ホテルの駐車場から出て行った。





あずさは岳が打ち合わせの人物と、喫茶室で会っている間、

ホテルの2階に並んでいる、いくつかの店を見ることにした。

高級ホテルに入る店のため、ひとつひとつ商品の値段も高価になる。

買えないことなど承知しているが、普段、あえて見ることもなかったため、

こんな目の保養もいいだろうと、そう考える。

そんな普段の姿を知らない店員は、『リクチュール』のスーツに身を包んだあずさに、

それだけの買い物をするだろうと、熱心に色々と勧めてくれる。

『おそらくもう入らない』だとか、『イタリアでも人気で品薄』だとか、

巧みな話術で話しかけられても、あずさは笑ってごまかし、店から店を渡り歩く。

しかし、そのあずさの足が、ある店で止まる。

小さなネコの木彫り人形。ただそれだけかと思い、触れてみると、

それが『ソーイングセット』であることがわかった。

帽子の部分を開くと針山があり、さらにそれを開けると、糸などをしまう場所がある。

アイデア盛りだくさんとも思えるものがそこにあり、

通り過ぎるだけと決めていたあずさは、ネコの訴えかける目の愛らしさに、

値段を確認する。

22,000円という価格がわかり、あずさは傷つけないように、ケースを元の状態に戻す。


『ロスウッド』


その店名を見た後、また視線が『ソーイングセット』に戻る。


「こちらが、お気に入りですか」


あずさの迷いに気付いた店員が、声をかけてきた。

なんでもありませんというつもりが、あずさは別の行動を取ってしまう。


「ありがとうございました」


結局、あずさは『ネコ』を買ってしまった。

支払いに使ったのは、先日、スーツを買ったカードになる。

『三国屋』で購入したスーツ代金は、岳が払ってくれると言ったが、

あずさはそれを断ろうと決めていた。しかし、この『ネコ』を買ってしまったことで、

事情がグルリと変わってしまう。申し訳ないと思いながら、

スーツ代金を受け取ろうと反省をしながら歩いていくと、

すでに打ち合わせを終えた岳が、残ったコーヒーを飲んでいた。

あずさの手に、先ほどのお菓子とは別の袋があることに気付く。


「今度は、ロスウッドか」

「ご存知ですか」

「あぁ……亡くなった母が好きで、よく買っていたから」


岳はそういうと、そろそろ会社に戻ろうと声をかける。

あずさは『はい』と返事をすると、岳の後に続いた。





『BEANS』本社。

敦が所属しているのは、岳がいる『経営企画』という会社の主軸ではなく、

『BEANS』自体が分譲のモデルとなるべく形のビルを建設し、

そのビル自体を貸ビルにしているため、管理をするところだった。

『アカデミックスポーツ』のいる『Sビル』ももちろんそうだが、

他にも都内にはいくつもビルがある。あくまでの『全体管理』のため、

岳のように人と会うこともあまりなく、どちらかというと地味な仕事が多い。

それでも敦にしてみると、自分のペースで仕事が出来るので、

それを苦だと思うことは今まであまりなかった。

しかし、2年前に従兄弟の千晴がモデルの仕事を辞めて『BEANS』に入社し、

敦のことをあれこれ言うようになり、そこからストレスがたまりだした。

千晴の言うことも、わからないわけではないが、兄、岳の仕事振りを見ても、

部下に対する態度を見ても、自分が太刀打ちできるとは思えない。

むしろ、無駄な争いは避けたい気持ちが強かった。

それでも、強めのヒールの音が聞こえると、すぐに上を向いてしまう。

今日も千晴が何やら言いたげな顔で、敦に近付いてきた。


「はい、これ」

「あぁ……うん」


千晴は、上司に頼まれた書類だと言い、何も言わずに敦の前を去った。

敦は、何か言われるのではと思っていたので、少し驚いたが、

すぐに何もなくてよかったと胸をなでおろす。

千晴は、そんな敦の気配を感じ、『はぁ……』と大きくため息をついた。



【9-4】



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