10 逃げ道のない場所 【10-1】

湯気の上がる浴槽。

東子が頼んで、リフォームしてもらったこともあり、快適なお風呂だった。

ジェットバスにもなるし、洗顔のバブルも、機械で対応できる。

鏡も曇らず、すぐに乾くようになっているため、タオルでこすったりする必要もない。


「ふぅ……」


そんな快適な浴室の中で、あずさの頭の中に浮かんでくるのは、岳の姿だった。

秋になっているとはいえ、まだ風呂上りには暑い日も多い。

実家の父親も、トランクスだけで居間を歩くこともあるし、

職場がスポーツジムなのだから、水着姿のインストラクターなどを見る事だって、

日常的にあった。

だから、『上半身の裸』などどうってことはないはずなのに、

いつもスーツ姿を見ていたからなのか、思いがけないタイミングで会ったからなのか、

それとも、小原に妙なことを言われたからなのか、どうにも心臓が落ち着かず、

あずさは頭、体と洗う度、浴槽につかり時間を稼いだ。





岳の『肩もみ』のない1日。

あずさは久しぶりにラッシュに紛れ、『アカデミックスポーツ』に出社した。

メンバーたちは、朝からあずさが来ることに驚く。


「宮崎さん、『ケヴィン』がもう、ダメだって?」

「3ヶ月の猶予、取り上げですか」


小原もほたるも、そう言いながらあずさの顔を覗き込む。


「違いますよ。今日は一日現場に行ったり、動きが激しいのでいいと言われました」

「そうなの?それじゃ」

「解雇でも、ダメと言われたわけでも、ありませんから」


ほたると小原は『よかった』と胸をなでおろした。

あずさは、二人の態度がおかしくて、思わず笑ってしまう。

それと同時に、なんとかこの職場を残していくことが出来ないかと、

そこからはまた3人で、知恵を絞ることにした。





あずさが岳から解放されている頃、敦は『青の家』に呼び出され、庄吉のそばにいた。

庄吉は敦の車に乗り、『翠の家』を目指すことになる。

『翠の家』は東京でも『郊外』と呼ばれる場所に、数年前に出来た『ホーム』だった。

場所の便利さから、とにかく入居希望者が特に多く、

抽選で漏れた人たちや、そこで働き始めた人たちから、

さらなる施設を作って欲しいという要望も、一番多い地区になる。

『豆風家』としても手ごろな土地を探しているが、

次なる場所の最終決定は、まだされずにいた。


「悪いな、敦。小野が少し具合を悪くして」

「大丈夫ですか、小野さん」

「あぁ……大丈夫は大丈夫らしいが。もう、無理をする年齢ではないからな」


敦は90を過ぎた庄吉は、歩き方こそゆっくりになったが、

本当にしっかりしていると、運転しながらそう考えた。

敦は都会のぎっしり詰まった場所から、少しずつ畑や木々が増え、

そして水の音が聞こえてきそうな場所に入ったことを、運転しながら感じ取る。


「鳥の声が聴こえるな」

「はい」

「『翠の家』では、水が綺麗なことを生かして、染物に取り組んでいるらしい」

「染物……ですか」

「あぁ……。それぞれのホームで土地柄や環境を生かして、
カリキュラムを組んでいるんだ。いくつになっても、人は『役割』を持ちたいのだよ。
感謝をされたら嬉しいし、成果が出れば、また頑張ろうと思えるようになる」

「はい」


敦は道が細くなってきたため、少しスピードを落とし、奥へと入っていく。

庄吉は、かわいらしい鳥がいたと指を差し、敦もその方向を見た。



『翠の家』

庄吉の話すとおり、ホームでは元気なお年寄りたちが、先生に習い、

ランチョンマットの制作に取り組んでいた。

そして、その横には、ジャージ姿の女子校生が数名、同じように教わっている。

『翠の家』を取りまとめている施設長が庄吉が来たことに気付き、近付いてきた。

庄吉は『いつもありがとう』と頭を下げる。


「いえ、こちらまで足を運んでいただきまして。今日は天気もよく」

「あぁ、はい。今日は、孫と一緒に見学をさせてもらいます」


庄吉は敦のことを紹介し、敦も頭を下げる。

施設長は、ぜひゆっくりしていってくださいと言い、すぐに椅子を出してくれた。

そばに立っていた高校の先生が、

『いつもお世話になっています』と頭を下げてくれる。

庄吉は、『こちらこそ』と頭を下げ、敦もそれに続いた。


「はい、いいですか、次に行きますよ」


先生らしき男性が前に立ち、その助手らしき女性が、

入居者たちのテーブルを回っていく。

どこかのカルチャー教室などに比べたら、進み具合はあまりにものんびりだが、

関係ない話題にそれたり、わからないと言って戻ったりしながら、

それでもみんなが笑顔になり、作業に取り組んでいる。

敦は、今まで『豆風家』の事業に関わったことなどなかったため、

見るものが全て新鮮だった。


「あ……渡辺さん、上手ですね」


助手を務める女性は、入居者たちの視線に合わせるため、少しかがむと、

丁寧に作業を教え、そして小さなことでもよく褒めていた。

敦は、庄吉がどうして自分をここに連れてきたのだろうと思いながら、

ただ、作業の様子を見守っていく。


「実はな、敦。この間、ここへ小野と来たんだよ」

「そうですか」

「割と近い場所にあるし。ドライブがてらに。
そのときも、今日と同じ曜日を選んだ。それは、入居しているみなさんが、
この染物体験をとても楽しみにしていることを聞いて、
姿を見ることが出来るからだけれど」


庄吉は、目の前で作業を教えている一人の女性を指差した。


「彼女は染物の助手さんだ。『星幼稚園』の『ゆり組』出身、
『古賀涼子(りょうこ)』さん」



『あつくん!』



「エ?」

「おぉ……その顔は、敦も覚えているんだな、彼女のことを」


庄吉は目の前にいる涼子に合図を出し、涼子はその場で立ち上がる。


「もしかして、涼子ちゃん……」

「そう……涼子。あつくんだよね」


二人の再会は、18年ぶりのことだった。



【10-2】



コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント