10 逃げ道のない場所 【10-2】

染物教室が終了し、庄吉は施設の方たちと語らいながらお茶を飲んでいる。

敦と涼子はその輪から外れ、水の音が聞こえるテラスに出た。

ベンチに座り、お茶をテーブルに置く。


「ごめん、全く気付かなくて」

「気付くわけないわよ。もう何年経っているの?
私が知っているあつくんだって、こんなに小さかったし」


涼子は、幼稚園の頃は、私の方が身長も高かったよねと笑い出す。

敦は確かにそうだったと、笑い返した。

二人がともに過ごしたのは、『星幼稚園』の2年間だった。

本来なら、同じ地元の小学校に入学する予定だったが、

敦の母浩美は、相原の後妻に入ったため、敦は卒園してひとりだけ土地を離れた。

相原家にいる『兄』岳と同じように、

『桜北大学』の付属に入るため、勉強の日々を迎えたのだ。


「あつくんが相原になったというのは、ご近所でも有名だったじゃない。
『BEANS』は当時でも、大きい企業だったし」

「……うん」


敦は、母の事情で地元を去る時のことを、思い出していた。

親たちの驚きと、子供たちの驚きは、その意味が違っていて、

敦はあまり『お別れ』らしきものを、友達ともしないままになっていた。


「この間、会長がいらしたとき、私、年齢を聞かれたの。
染物なんてものを教えている方にしては若そうだって言われて。
で、その時、そうだ……あつくん元気かなって考えて。
『私は24です。敦君と一緒です』ってそう答えたの」


すると庄吉が『敦を知っているのですか』と聞いてきたため、

涼子は幼稚園時代のことを、少し話したと言う。


「楽しそうに聞いてくれたから、調子に乗って、私、あつくんのことを話したの。
幼稚園一番のいたずらっ子だったこととか、木登りも得意で、走るのも速くてって……」


涼子は黙って聞き続けている敦の顔を、覗き込む。


「ペラペラとって、怒っている?」

「いや、そんなことないよ。確かに、幼稚園時代はそうだったかなと」

「でしょ、私の知っているあつくんのイメージは、そうね……『お猿さん』だったし」


涼子はそういうと、楽しそうに笑いだす。


「サルってなんだよ、そういうこと言うか?」

「言う、言う。会長も笑ってくれたもの」


涼子は湯飲みを持ち、『懐かしいよね』と話す。


「相原敦かぁ……私にはまだ、『野口敦』だけれど」


敦は涼子のセリフに、軽く口元を緩めていく。

二人はそれからもしばらく、互いの近況について語り合った。



その頃、岳は武彦と一緒に、

分譲マンションの建設がスタートした現場に、向かうところだった。

いつも二人で出向くわけではないが、今回は、これからの『BEANS』が目指す、

都心型のマンション第1号とも言える構造を目指しているため、

マスコミなどの動きもあり、顔を見せることにした。

二人は後部座席に並んで座り、岳は現場監督からのメールを受け取っていく。


「岳。『三国屋』の青木会長から、先日、ご挨拶を受けたよ」

「エ……」


武彦は、青木会長の三女、梨那と付き合いがあるのだろうと、岳に話す。


「まぁ……はい」

「そうか……」


武彦は、岳に対して細かいことは何も言わないまま、座っている。

岳は、父がその先の言葉をどうつなげていくのか聞いてみたくて、

あえて黙ったままにした。車は幹線道路から、また別の大通りへと進む。


「私が父から事業を学んだときは、とにかく建てれば売れるという頃だった。
今ほど耐震性などに関しても厳しくはなかったし、建築に関する法律も、
もう少し基準があいまいだった気がする。しかし、今、求められるものも代わり、
さらに会社は複雑化している。業績も上がっているが、
その分、色々と考えなければならないことも増えた」


武彦は、他社との違いをどれだけ作っていくのかが、

ひとつ、ポイントになるとそう話す。


「私自身、自分の考えで今まで生きてきたのだから、
そもそも、お前にあれこれ言うことなど出来ないが……」


武彦はそう話すと、視線を前に戻す。


「梨那さんと、お付き合いをしているのは事実ですが、
正直、結婚は考えていません」


岳は、今は仕事のことが精一杯で、

自分自身『結婚』という形を作ってしまうのはと、一つ壁を置こうとする。


「そうか……。まぁ、今のお前は、責任のあるポジションに入り、
その後と思うのかもしれないが、でも、もし、岳の相手が東子だとしたら、
いや、私が息子の父ではなく、娘側の父親だとしたら、青木さんと同じように、
その先を知ろうとするかもしれないな……」


武彦は、それだけを言うと、タブレットに出ている予定に目を向ける。

岳はその言葉に言い返すことが出来ず、黙ることしか出来なかった。





岳が武彦の言葉に、複雑な感情を抱いている頃、

逸美は着物姿のまま、ホテルの中庭へ出るところだった。

愁矢との『婚約』。

結納を交わしたのは、このホテル内にある創作料理の店で、

父や母は、以前から知っている上野家の両親と、

当然のように『この先』の話で、盛り上がっている。

乱れようのない空気が、どこか息苦しくなり、逸美は外の空気を大きく吸い込んでいく。


「逸美さん、少し風が出てきました。外では寒くないですか」


逸美の後をついてきた愁也の言葉に、軽く首を振る。


「ずっと室内にいたので、少し風に当たりたい気分です。
愁矢さんどうぞ気になさらずに、お話しに加わってください」


逸美は、少ししたら戻りますからと、一歩ずつ歩き出す。


「逸美さんが寒くないのなら、それで。私もここにいます。
私が時間を共にしたいのは、あなたですから……」


愁矢はそういうと、逸美の横に並ぶ。

逸美は、その言葉を黙って受け止め、流れている風に頬をあずけた。

秋も深くなりつつあり、少し冷たい風が、時折強くなる。

逸美は、『中村流』の存続を願い、父の思いに答えるため努力を重ねてきた。

古い時代からの引継ぎにこだわらず、新しいことへの挑戦を掲げ、

ホテルの壁に色を使った筆文字を、アートとして見せる工夫をする。

そんな仕事も得ることが出来た。


「まわりはビルばかりなのに、こうして太陽の当たる場所があるなんて、
とても贅沢な気持ちになりますね」

「そうですね」


今日、婚約をすることになった愁矢。そして家と家との結びつきは、

自分にとって、未来への後押しになることは間違いないのだが、

心の中にあるどんよりとした思いは、抜けるどころかますます深く濃くなっていく。

逸美は半円形になったラウンジの場所を、庭側から見た。

意識したわけではなかったが、このホテルは『桜北大学』の卒業謝恩会が開かれた場所で、

その時、あのラウンジで集合写真を撮ることになり、自分の横にいたのは岳だった。

教授や講師、先輩と慕ってくれた後輩、そして楽しさや辛さを共有した友達。

この時間は、まだまだ続くと信じ、自然と手をつないだ日。

逸美は、『お幸せに』という台詞をよこした男の横顔を思い出す。

逸美の整えた髪の毛を乱そうと、少し強めの風が吹いた。

愁矢は、そろそろ中にと逸美にもう一度声をかける。

逸美は戻らない過去から気持ちを戻し、愁矢と一緒に戻ることにした。



【10-3】



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