10 逃げ道のない場所 【10-5】

次の日は、前日、岳が車を会社に残していたため、

あずさと一緒に敦の車に乗り、出社することになった。

二人は、後部座席に揃って座る。


「敦、昨日はどこにいっていた。電話をしたらいないと言われて……」

「あ、昨日は、おじいさんと『翠の家』に」

「『翠の家』? そうか」

「運転手の小野さんが少し体調を崩したそうなんだ。それで、運転を」


岳と敦の会話を聞きながら、あずさは下書きをした用紙を持ったままになっていた。

『アカデミックスポーツ』のみんなから、なんとか岳の許可を得て欲しいと、

そう言われたため、話すタイミングを探すことになる。


「『翠の家』は、もう1つ近くに作りたいと話していた気がしたけれど……」

「うん。別館として作るようだよ。名前も『翡翠の家』だって。
候補地が2つに絞られたって、昨日、施設長に……」

「そうか」


岳は、庄吉が敦に『豆風家』に異動することを話しているなど知らないため、

それ以上追求することなく、会話を止めてしまう。

あずさは会話の途切れた今、言うべきだろうかと横を見るが、決心がつかなかった。

次の信号が『赤』なら言わない。『青』なら言おうと思っていると、

手の中にあったプリントが、自分の意思とは関係なく、岳の方へ動いた。

あずさはすぐに取り返そうとするが、

岳が体を斜めにしてブロックしたため、動けなくなる。


「何をおどおどしているのかと思えば……」


岳がプリントを見ているので、あずさは雷が落ちないかと身構える。


「なんだ、これ」

「前に話してくれた『リラクションルーム』のことです。
防音がしっかりしていましたので、そこを貸しスタジオにして。
学生や趣味の人たちに使ってもらおうかと」


あずさは、ほたるが調べた周りの相場や、音楽大学などが近くにあり、

利用者が出るのではないかということ、特に掃除以外の手入れは必要ないため、

経費もかからないと、一気に話す。


「貸し出しの時間は……」

「夜、7時から11時までと日曜日です。日曜日に事務所を開けたら、
今まで、地方のジムから要望があった注文の日数も、少し早くなりますし。
他でお願いしていたタオルやバッグの注文も、うちで全部管理できます。
ですので……うちにとっても悪くはないかと」

「誰が担当するんだ。『アカデミックスポーツ』メンバー4人で……」


わかっていたことだったが、卓球のラリーのように、

岳からはどんどん質問が飛んでくる。あずさは、用意していた言葉を、

とにかく返していくのに必死だった。一度でもミスしてしまうと、

そこで何もかもが終わってしまう。


「夜は社長が担当します。その代わり、出社は午後からにして。で、
日曜日は私が出ます」


あずさの発言に、岳は何を言っているんだという顔を向ける。


「宮崎さんが日曜? 休みはどうするんだ」

「大丈夫です。肩もみとして動いてはいますが、
その分、『アカデミックスポーツ』には貢献していませんし。
日曜も実際には鍵の管理で、寝ていようと思えば、寝ていられます」


あずさは体力には自信があるからと、胸を張る。

今まで、キャッチボールのように飛んで来た質問が、ストップした。


「こんなもの無駄だ」


岳は、頭から全てを否定しようとプリントをあずさに戻すが、

さらなる言葉はそこから出なくなる。その代わりに、大きなため息が車内に落ちた。

あずさは、『無駄』だと言われ、戻ってきたプリントを両手で持つ。


「前にも話しをしたけれど、どうしてこんな無駄なことをするんだ。
確かにスタジオにすれば借り手はいるかもしれない。多少なりとも収入は増えるだろう。
だからといって、それを本格的なサイドビジネスに出来ないこともわかっていないのか」

「はい、耐震ですよね」

「そうだ。だから根本的な解決は……」

「それはわかっています。これが出来たからといって、どうにもならないことは、
実際、みんなわかっているんです」

「だったら」

「でも、最後まで味方でいたいじゃないですか。会長があのビルを建てた時の思いを、
うちは最後まで引き継ぎたいんです。経営だけではなくて、気持ちもみんな、
引継ぎをしようと……」


あずさはビルの図面を見て、実際、現在の耐震を考えたら、

存続は無理だと言うことも理解していた。補修はされているものの、

何年も使う場所ではないことも、借主たちは理解していると話していく。


「もう少し、もう少しあればみなさん気持ちよく旅立てると思うんです。
ただ、期限だ、約束だと、跳ね返すのではなくて、取り組んだ証があれば、
お願いもしやすいです。私たちの活動を見てもらえば、
ここまで頑張ったという日々があれば、みなさん、立ち退きに反対はされないでしょう」


あずさは、岳が言っていたように、平行して次の場所を探すことにしたと、

そう話していく。敦はバックミラーで、岳に正々堂々と訴えるあずさの顔を見る。


「『肩もみ』仕事に影響は出しません。ですので、この活動を認めてください」


あずさはそういうと、岳に向かって頭を下げる。

岳は両手を組み、しばらく黙った。

車は大通りから首都高速に入り、『BEANS』の本社ビルが小さく見え始める。

それでも、岳の表情は変わらないままで、ため息一つ出てこない。

敦は、このまま返事をしないのかと、岳を見る。


「宮崎さん」

「はい」

「うちの出す条件は変わらない。これから請求どおりの金額を、
管理者として正確に納めること。その手段の一つとなるのなら、活動を認めます」


岳はそういうと、あずさを見る。


「はい」


あずさは『ありがとうございました』と岳に頭を下げ、嬉しそうにプリントを開きだす。

敦は、あずさのそんな様子を見ながら、少しだけ微笑むと、アクセルを踏み込んだ。





その日の夜、あずさは杏奈と食事をすることになっていた。

相原家に入ってすぐ、アパートを訪ねたことはあったが、再会はそれ以来になる。

お店は、東京を先に知っていた杏奈に任せたため、

あずさは指定された駅に降り、スマホの地図を頼りに店を探す。


「ここかな……」


細いビルが立っていて、レンガ造りの地下に向かう階段がある。

それを降りていくと、10人も入ればいっぱいになりそうな、

小さな洋食店『ピエロ』があった。

あずさが扉をゆっくり開けると、先に着いていた杏奈が、こっちだと手をあげる。


「ごめんね、遅くなった」

「ううん、私も今来たところ。よかった、あずさ迷うんじゃないかと」

「大丈夫、なんとかつけた」


二人はテーブルを挟んで向かう合う。

すると、店をひとりで仕切っているコックの男性が、決まったら言ってねと、

声をかけてくれた。あずさはテーブルに置いてあるメニューを取り、杏奈を見る。


「杏奈。このお店、あの人一人でやっているのかな。なんだか、大変そうね」

「ここ『ピエロ』はね、広夢のお兄さんのお店」


杏奈は、広夢は男ばかりの3人兄弟で、真ん中だとそう話す。


「……広夢って、あぁ、杏奈がお付き合いしているっていう」

「そう」


杏奈は、厨房にいるのがお兄さんだと言い、紹介されたことがわかった広夢の兄も、

どうもと軽く頭を下げる。


「飾ったような料理じゃないけれど、美味しいから。好きなもの、食べて」

「うん」


二人はビールを注文すると、それぞれが食べたいものをオーダーする。

すると、奥から男性の声がした。


「オッケー!」


エプロン姿の男性は、あずさの前に出てくると、片手を前に出し、

何やら気取った挨拶をしてくれる。


「始めまして。山下広夢です」


杏奈の彼、山下広夢の登場に、あずさは慌てて立ち上がった。





【ももんたのひとりごと】

『豆風家』

『BEANS』が大きくなる中で、建築という分野を生かし、庄吉が立ち上げたのが、
介護つきのホーム『家』シリーズです。企業名の『豆風家』というネーミングは、
『BEANS』と同じ『豆』という文字を共通点に入れ、
『風』というキーワードも含めました。私が生活している場所にも、
15分歩く範囲に、3つのホームがあります。これからも増えていくのかな……




【11-1】



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