11 一生の夢 【11-2】

「ふぅ……」


その日のあずさは、久しぶりに気持ちよく酔った気がした。

杏奈とは昔から、気をつかわずに話しが出来るのはわかっていたが、

その相手となった広夢も、あまり気取ったところのない楽しそうな人だった。

杏奈は、せっかく東京に出てきたのだから、

少人数でやることもわからないような『アカデミックスポーツ』にこだわらず、

再就職を探したほうがいいと、最後まであずさにアドバイスをし続けた。

あずさは相原家までの道を歩きながら、自分の歩くべき道について考えてみる。

それでも考えはまとまらないまま、玄関前に到着した。





『リラクションルームを貸しスタジオに』



あずさたちの活動が、岳を通して『BEANS』に正式に認められ、

どう宣伝をしていこうかと考えていると、

2階に入っている『弁護士事務所』のメンバーから、

音楽講師をしている人を紹介してもらうことが出来た。

さらにその縁で、『スタジオ』の情報が広がり、計画を立ててから2週間後には、

数件の予約が入りだす。

その中でも、やはり日曜日の貸し出しは魅力的なようだった。

午前中から、夕方、夜と、申し込みの時間が重なることもあり、

それをどうさばこうかと、また別の話題が上がりだす。


「昨日、初めて日曜日の貸し出しをしました。高校生の軽音の学生で、
結構みんな楽しそうでした。いいですよね、高校生の頃って、
何でも出来る気持ちになるし、毎日楽しいですし……」


あずさは、週明けの月曜日、休憩室で10分間、岳の肩もみをした。

岳は何やら難しそうな書類を見ては、記号を書き込んでいる。

あずさは岳が、今集中しているのではないかと考え、

あまりペラペラ話すと邪魔になると思い、そこから静かにすることにした。

岳が用紙をめくる音だけが、聞こえる。


「……で?」


岳のその言葉に、あずさは『エ……?』と声をあげた。


「で、実際、どれくらいの割合で埋まったんだ」

「埋まった?」

「貸し出しのことだ。貸し出せる全体時間のどれくらいが埋まったのかと、
そう聞いたのだけれど」

「それは……」


あずさは、大まかなことしか覚えていないことに気付き、

後から調べますと言うと、また肩を揉み続ける。


「……体は大丈夫か」


あずさは、調べていなかったことを否定されると思っていたのに。

岳から出てきたのが、自分を心配する言葉だったことに驚きながらも、

『はい、大丈夫です』と返事をした。そこからはまた、静かな時間が流れていく。

『肩もみ』も2ヶ月を経過し、頑固な肩コリを持っていた岳の体も、

明らかにわかるくらいの変化があった。


「肩もみはもういい。申し訳ないけれど、
これをばらして、10部コピーして資料にしてくれないか」


岳はそういうと後ろに立つあずさに、今見ていた書類を手渡した。

あずさはわかりましたと答えると、休憩室を離れていく。

岳は上着を直し、この後の会議に出てくるメンバーのことを考えながら、

席に戻っていく。

岳が生まれたときから、『BEANS』は目の前に存在した。

物心がついた時には、祖父の庄吉が会長になっていて、長い間貢献していた別の男性が、

その後の社長を勤めていた。

そして、岳が大学生に入った年、前社長から武彦が引き継ぎ、今に至っている。



『岳……お前も一度、外国にでも行けよ。
そうすると今の自分に満足できるかもしれない』



悟に言われた言葉が、ふと頭をよぎった。

今の自分に満足なのかと言われたら、まだまだだという気持ちしかない。

『これではダメだ』、『もっと前に』。思いはさらに自分を追い込もうとする。

余りにも身近に、当たり前の存在として『BEANS』があるが、

しかし、実際、岳は『桜北』と『慶西』をそれぞれの形で卒業したため、

岳が入社してからまだ、6年しか経っていない。

もちろん、父親と一緒に仕事をするという将来の目標があったため、

大学時代から色々と関わってきた面もあり、年数だけでは図りきれないが、

社内でも岳を跡取りと認め、着いていこうという態度を見せるものと、

経験を舐められては困ると、あえて『自己流』を貫こうとするものもいる。

自分達がいなければ、会社は成り立たないということを、

『相原家』に認めさせたいというメンバーたちにしてみると、

会議の場というのは、正々堂々と跡取りに意見を言える、ストレス発散の場でもあった。

そんな岳の複雑な思いなど知らないあずさは、いつも頼まれる雑用だと思い、

プリントを持ち、コピーの前に立つ。

使い方は何度か経験済みなので、問題はない。原稿をセットし、部数を押す。

今時のコピーは、きちんとお願いしておくと、

書類としてセットした状態で出てきてくれる。


「岳に頼まれたの?」


あずさの後ろから声をかけたのは、千晴だった。

千晴の声に、あずさはコピーの前から1歩ずれる。

あずさはすぐに終わりますからと千晴に言うと、出てきた書類を取った。

千晴はあずさの前に回り、壁に寄りかかるようにすると、

自分の書類をコピーの上に置く。

あずさは、何気ない立ち姿さえさまになっていると、千晴を見ていたが、

視線が自分の方に動いたので、慌ててプリントを取り出した。


「ねぇ、1枚落ちたけど」

「あ、すみません……」


あずさは紙を受け取ると、コピーの前から離れた。

千晴は自分の分をセッティングする。

ボタンを押し、機械が動くのを待っていると、遅れて部屋に戻ってきた岳に、

あずさがコピーしたものを渡しているのが見えた。

岳はそれを受け取り、また何やらあずさに指示を出す。

あずさは『わかりました』と頷いているように見えた。



千晴が初めて岳と会ったのは、武彦と浩美の結婚式だった。

当時はまだ子供だったため、従兄弟の敦の兄になるのかという程度にしか、

存在を覚えていなかった。

しかし、時が経ち、千晴はなりたかったモデルの仕事をし始めたものの、

結局うまく行かず、自分の父親と妹の浩美の間で、

辞めるのなら、『BEANS』に就職をさせてもいいという話をもらい、

この本社に、社長である武彦を尋ねて来た。

その時に再会した岳は、結婚式の頃の幼さなどどこにもなく、

千晴はその存在感に、ただ圧倒された。

『華やかなもの』に憧れていた千晴は、どうせ相原の家と親戚になるのなら、

岳のそばにいられるようになりたいと、女として振る舞った。

人生の中で、もてない時期などなかったため、それなりの自信もあったが、

岳が自分に向ける視線は、どこか冷たく鋭いだけで、

優しい部分など感じたことはなかった。


「終わったのかな」

「あ……ごめんなさい」


千晴が岳の方を見ていた、その視界に入り込んできたのは、

先日、廊下で声をかけてきた泰成だった。千晴は用紙を全てまとめ、

場所を泰成に譲ろうとする。


「今日、終わったら少し、どうですか。楽しい話ができるかもしれません」


泰成は手で、お酒を飲むという仕草を見せる。


「……楽しい話?」


泰成は周りの様子を見た後、一歩千晴に体を近づける。


「いい男が悩める姿を想像して飲む酒は、なかなかだと思いますが……」


泰成は、この後、岳を含めた会議で、『おもしろいこと』が起きるかもしれないと、

千晴の目を見た。千晴は一度泰成の顔を見た後、まっすぐ前にいる岳の顔を見る。

横に立っているあずさが、何を言ったのかわからないが、

その言葉に、千晴は岳が少しだけ、笑ったように見えた。


「『カウポルネ』……で、お待ちしています」


泰成はそういうとコピーを済ませ、千晴の前を離れる。

千晴は何も返事をしないまま、その場を離れた。



【11-3】



コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント