12 自分と相手の意見 【12-4】

『奇跡』を信じたことはないのかという問いに、

岳は昔、母の回復を願った日のことを考えた。

あずさは、身近な人を亡くした経験があるのかという問いに、答えを戻さなかったが、

東子の話の中から、ここに答えがあるのかとそう考える。


「先輩か……」

「そう、3つ年上だったって。確か……織田先輩って言っていたな」

「織田……」

「うん。ほら、出来た。見て、岳」


東子はプリントを岳に渡す。

岳は東子の書いた文面を読み、納得するように数回頷いていく。


「よし! これで眠れる」

「本当に織田って言ったのか」

「……だと思ったけれど、どうして?」

「いや」


岳は途中になっていた食事を全て終えると、食器を流しに運んだ。





涼子を最寄駅まで送り、敦は流れてくるCDの曲を口ずさみながら、

相原家に戻ってきた。岳の車の横に自分の車を止め、そのまま玄関に入る。

いつもため息をつくような玄関なのに、今日は自然とその場所を通り過ぎ、

階段を上がると部屋に向かう。

敦は涼子からもらった予定表を見ながら、

どこかで自分も『染物教室』に参加できないかと、そう考えた。





『織田』



岳が東子に名前を聞き返したのは、単なる興味心だけではなかった。

『他人の空似』というのは、確かにあるのだろうが、名字が『織田』となると、

ただそれだけで話を終わりに出来ない気がしたからだ。



『織田麻絵』



岳の亡くなった母の旧姓が、『織田』であること。

今、それを知っているのは、おそらく岳と父の武彦だけだろうとそう考える。

麻絵が亡くなってからも、しばらくは『織田』の家と関わりがあったが、

浩美が後妻に入ってからは、武彦も岳も、『川井』家との交流が深まり、

自然と距離が離れていった。

岳はしまいこんである『クラリネット』の箱を取り出してみる。

その『織田』という人物が、亡くなった母にゆかりのある人間ならば、

同じ『クラリネット』を愛していても、不思議はない。

岳は、亡くなってしまった母の、まだ見つけたことのない部分が、

どこかでわかるのかもしれないと、そう考える。



『岳……』



懐かしい声を、久しぶりに記憶の箱から取り出しながら、

岳は『クラリネット』を組み立てた。





次の日、あずさはいつものように岳の車に乗った。

しかし、昨日は会社で余計なことを言ってしまったため、助手席ではなく、

後部座席を選んでしまう。

岳は何も言わないまま、『BEANS』に向かって車を走らせる。

いつもの景色が流れ、いつもの時間が過ぎていく。


「宮崎さん」

「はい」

「実家は、群馬のどこ?」


あずさは、昨日のことについて、また何か言われるのかと一瞬身構えたが、

質問が実家のことだったため、拍子抜けしてしまう。


「家のことですか」

「あぁ……」

「えっと……館野林ですが」

「館野林か」


あずさは、どうしてそんなことを聞くのか、不思議に思う。


「どうしてそんな話を……」

「織田という名字が、気になってね」


岳は、右折信号が出たので、そこから右に曲がった。


「織田って……どうして岳さん」


あずさは岳の口から『織田』の名字が出されたことに驚き、すぐに聞き返す。


「東子が言っていたんだ。その先輩と俺が似ていると、宮崎さんが思ったって。
まぁ、実際には全然似ていないことがわかったと、後から付け足してきたけれど」


岳は、そういうとバックミラーであずさの顔を見る。

あずさは、東子が岳に話したのだと思い、また車に乗りづらくなってしまうと、

そう考えた。ミラーの視線から、逃げるように横を向く。


「あの……言葉の流れで」

「亡くなった母の旧姓が、実は織田なんだ」

「エ……」

「織田麻絵。生まれは埼玉だけれど、群馬にもたしか親戚がいたなと、
そう思い出して」


あずさは、ただの偶然だと思っていた出来事に、もしかしたらの糸があると知り、

急に鼓動が速まっていく。


「前に、奇跡を信じたことがないのかと、そう言っただろ」

「はい」

「俺も奇跡を信じたことがあった。小さなときだけれど……」


岳は、自分が5歳の時、母が亡くなったことを教えてくれる。


「妹を産んでから、ずっと体調が悪くて。明らかに体力も落ちてくるし、
顔色も悪くなるし。子供ながらに、母に『死』が迫っていることもわかっていて、
でも、必死に願った。どうか神様って……」


後部座席にいるあずさの場所からは、運転している岳の表情がわからなかった。

でも、その方がよかったと、あずさは黙ったまま話を聞き続ける。


「結局、母は助からなくて。さらに、妹も亡くなってしまった。
俺にとって『奇跡』は起こらなかった。だからその経験で、
『奇跡』なんて信じるものじゃないと、そう考えるようになったのかもしれない」


岳の言葉に、あずさは、人にはそれぞれ流れてきた時間があり、

その過ごし方で考えも影響されるのだと、そう思った。

母と妹を亡くした岳は、幼いながらに『現実』だけを見せられ続け、

それだけを受け入れるようになってしまったのかもしれない。


「そんなに似ているのかな、俺は」


岳の言葉に、あずさは『はい』と返事をする。


「ビックリしたんです。織田先輩のスーツ姿なんて見たことがないのに、
岳さんが相原の家から出てきたとき、すぐに先輩が重なって。
どうしてここにいるんだろうって、そう思って……」


あずさはそこまで言うと、『ごめんなさい』と謝罪する。


「どうして謝るんだ」

「いえ、亡くなった人に似ているって言うのは、どうかなと」


あずさは、今は別人だとわかりますと、フォローのつもりで付け足していく。


「そうか……」


バックミラーに映った岳の表情は、優しいものになっていた。

あずさは岳の笑顔の中に、また祐の面影を見てしまう。

しかし、それは言えないまま、心の奥に押し込んでいく。


「今日は、一日中晴れの予報です」


あずさは、深まった秋の空を見上げてそう言った。



【12-5】



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