12 自分と相手の意見 【12-5】

『中村書道教室』


逸美は、教室で指導をしながら、数枚の用紙をまとめていた手が止まった。

愁矢との『婚約』以来、自分とは離れた部分で、

親たちが決めていくこれからの時間について、どこか他人事のように考えていた。

愁矢との式は、来年の2月に決まり、

式場も料理や招待客も、主役の自分たちではなく、親同士が楽しそうに決めていく。

病気がわかってから、どこか塞ぎがちだった父も母も、

どこから出てくるのかと思うくらい、パワフルに動いてくれていた。

『家を継ぐ』と決めたらこうなることくらい覚悟していたはずなのに、

逸美は、知らない誰かに背中を押され続けている気がしてしまい、

今はまだ動きたくないと、足を踏ん張りたくなってしまう。

教室で書道を習う生徒に声をかけられ、バランスの取り方を教えるために筆を持つ。

文字の土台をしっかりと書くように指導すると、その筆を戻した。

逸美が顔をあげると、窓の外に愁矢の姿が見える。

逸美は教室の横を通り、扉を開けて外に出た。


「すみません、お仕事中なのに」

「いえ……」


逸美の目の前に立つ愁矢は、『婚約』の日と同じように、

柔らかい表情で挨拶をしてくれた。


「今日は新しい契約のことで、東京へ来たものですから。
この後、お仕事が終わったら、一緒にお食事をと思いまして」


愁矢はそういうと、逸美を見る。

逸美は『はい』と返事をした後、教室が終わる時間を教え、また中に戻っていく。


「それでは、出来た方から前に出してみてください」


『エントリアビール』の次男。

逸美にとって愁矢は、文句のつけようがない相手だった。

会社はすでに長男が継いでいるが、愁矢自身もしっかりと場所を確保している。

跡取りだからと細かく言われない分、中村家の方に重みを置いてくれた。

さらに、常に逸美に気をつかい、無理なことを押し付けてくることもない。

疲れているからと言えば、食事をした後すぐに自宅まで送り届けてくれるし、

気持ちの盛り上がりがあれば、ぬくもりの中に自分を運んでくれる。

『大切にされている』という思いを、体全体で感じることが出来た。

逸美は、遅かれ早かれ、こういう人生を歩むと決めていたのだから、

それで満足なはずなのに、気持ちはどこか置き所のない不安定さのまま、

日々を重ねている。

今思うと、いびつで、特殊だと言える岳との日々を越えるには、

その日々以上の日数が、かかるのかもしれないと思いながら、

逸美は残りの時間を使い、精一杯生徒たちに指導をした。





あずさは、休憩所で岳の肩を揉みながら、

あと3週間後に迫った『3ヶ月期限』について、考えていた。

日曜日に入ってくる金額と、不定期だけれど、平日の夜に入ってくる金額を合わせても、

予定の7割くらいにしかなっていない。

このまま行くと、『値上げには応じられない』と言っている各店舗や事務所に、

結局、『BEANS』が言っていた条件を出さないとならなくなる。

目の前に座る岳に、その金額でどうにか出来ないかと聞くことは出来るが、

帰ってくる答えが100%予想出来るため、口に出せない。

何気なく岳の手元を見ると、どこかのマンションの間取りだろうか、

紙には、バルコニーの大きな部屋が書かれている。

あずさは、本社の入り口にある模型の形を思い出し、どれくらいの金額だろうかと、

ふと考えた。


「なぁ……」

「はい」

「この間取り、どう思う」


岳はあずさの視線に気付いたわけではないだろうが、いきなりそう聞いてきた。

あずさは、聞かれたことに答えようと思い、あらためて間取りを見る。

広さは『4LDK』。3つ8畳の部屋があり、リビングが16畳。

玄関に一番近い場所にあるのは、6畳の広さだった。

家族4人、5人くらいなら十分の広さに思える。


「角部屋でいいですね。これだけバルコニーがあったら、開放感もあるでしょうし」


あずさは夜景も綺麗に見えるだろうからと、そう付け加えた。


「即日完売だそうだ」

「即日ですか」


岳はそうだと何度か頷き、

その間取り図が、ライバル会社『高岩建設』のものだと教えてくれる。


「角部屋、開放感、悪いものだとは思わないが……でも、即日完売するほど、
魅力的なのかな、これは」


岳はそういうと、別に印刷された地図を見る。

そこには、会議で決まった『岸田』と、ライバルに譲ってしまった『稲倉』があった。

岳は両方を見比べる。


「どうして勝負を避けるんだ……いまだに納得がいかない」


岳はそういうとあずさに『肩もみ』はもういいと合図を出す。

しばらく考えるようなポーズを取った後、何か思いつくことがあったのか、

先に戻っていった。あずさは岳のいなくなった場所に、

いつもポケットに挟んでいるペンが、残されているのを見つける。

それを左手で拾うと、ノックしてペン先を納めた。

岳は、いつも熱心に仕事のことを考え、隙のないような意見を言うけれど、

こんなふうに、どこか抜けているところがあった。

以前も、あずさが資料作りを頼まれ、ホチキスで束ねたものを机に置いたのに、

そこに大切なものがあることを忘れていたのか、上で複写式の伝票を書いてしまい、

表紙に相原岳の名前だけが写りこんでいたこともあった。

あずさは、『アカデミックスポーツ』に戻る前に、経営企画の部屋へ向かう。

岳の姿は席にない。

あずさは、黙って表紙を入れ替えた時のように、

今回も少し前まで岳が見ていた書類の上に、忘れ物のペンを置くと、

何も言わずそのまま部屋を出た。



「『稲倉』の入札、考え直していただけないでしょうか」


あずさが『BEANS』を出た頃、岳は武彦のところにいた。

武彦は、それは決まったことだというだけで、話を聞こうとしない。


「社長……あの建物は『岸田』ではありません。『稲倉』です」

「岳、お前の言いたいことがわからないわけじゃない。
『稲倉』が魅力的な土地だということは、私も十分承知している」

「それならば」

「関係のあるものが集まり、あらゆる意見を出した結果、『岸田』に決まった。
その社員たちの決定を、社長だということだけで、私が動かしたらどうなると思う」

「しかし……」

「岳。会社は、お前一人が動かすものじゃない。人には考え方も感じ方も色々とある。
まとめて、一つにしていくためには、たまには自分を殺すことも覚えてくれ」


武彦は、岳が目指すのは、経営企画のトップではないと、そう宣言する。


「お前は……この『BEANS』全てを仕切ることになるのだから」


武彦は岳の肩を軽く叩き、たまには『力を抜け』とそう言った。





【ももんたのひとりごと】

『中村書道教室と三国屋』

岳の『桜北』時代の同級生『中村逸美』と、社会人になり知り合った『青木梨那』は、
それぞれ異なる後ろ盾を持つ女性です。
『道』を極め、力強い筆で思いを表現する逸美と、
華やかなドレスを並べて、ライトを当てる梨那。
二人の対比がこんなふうにあるのかと、思いながら見ていただけたら嬉しいです。
この先のお話に、たくさんの『ヒント』があると思うので……




【13-1】



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