13 私のやり方 【13-5】

その日、あずさは岳の車が駐車場に戻ってくるのを待っていた。

クラリネットを磨きながら、時々カーテンの向こうをのぞく。

明日、会社に行く時、渡すという方法もあった。

しかし、『勘違い』の時間は、互いに少しでも短い方がいい。

あずさの耳にエンジンの音が聞こえる。

ライトが消えるのを確認し、あずさは封筒を持ちリビングに向かった。


「お帰りなさい」


階段の途中から声をかけられ、岳はあずさを見た。

あずさは階段を下りると、岳の前に立ち封筒を出す。


「何」

「これ、見て欲しいんです。OKをもらえたら、村田さんにも見てもらいます。
『BEANS』の考えを理解してもらおうと思っているので」


岳はその場で封筒を開け、あずさが手書きした用紙を見る。

今朝見たイラストも、どこかで調べた資料も、きちんと並べられていた。

岳はリビングのソファーに座り、鞄を横に置く。

どうしてこのままビルを使用していてはいけないのか、

今の基準をクリアするために、『BEANS』が応急処置として行った耐震工事のことなど、

あずさのイラストと、隣に貼り付けられた文章両方あわせ、

建築用語など難しいと避ける店主に、理解してしてもらおうとする工夫が入っていた。

岳は自分にとってはごく当たり前で、基本的な知識になっているし、

仕事の中でも、これほど面倒な説明書を作ったことはない。


「これ、今朝から書いていたものだよね」

「はい」

「ここまでやらないと、理解できないと言うことなのか」

「これでも理解していただけるのかどうか、それはわかりません。
元々、情の中で生きてきた人たちでしょうし、
会長も当時は、ここが永遠に続くように言われたでしょうから」


岳は、確かに庄吉ならば、かかった経費のことなど明らかにすることなく、

当たり前のように負担していただろうと考える。


「悪かったな、度量の広い孫にならなくて」


岳はそう言い、資料を読み続ける。


「何を言っているのですか。昔とは基準が違うんです。古いビルを、
何も手入れをしないまま使用して、もし、事故が起こったら、
責められるのは『BEANS』です。頭の中では、みなさんもわかっています」

「だったら」

「でも、心のどこかで知らないふりをしたいんですよね。
心地よい時間を無くしたくないので」


あずさはそういうと、これでいいですかと聞き返す。

岳は、手に持っていた紙をあずさに戻した。


「まぁ、足りないところはあるけれど、とりあえず……」


あずさはその紙を受け取ると、『クスッ』と笑う。


「何がおかしい」

「いえ、まぁ、岳さんには『大丈夫』なんて言われないだろうと、
思っていましたから」


あずさはそういうと、『おやすみなさい』と頭を下げる。


「なぁ」


岳の声に、あずさは振り返る。


「どうして君は、こんな面倒なことをするんだ」


岳は、何をしても、最終的には追い出すことになるので、

理解しきれないだろうとそう話す。


「かもしれません」

「だったら」

「でも、やりたくなるんです。面倒なことでも、ダメかもしれないことでも。
可能性がゼロでないのなら……それが私なので」


あずさはそういうと頭を下げ、そのまま階段を上がっていく。



『それが私なので……』



岳は、そういったあずさに対して、言葉を返すことが出来なかった。

あずさの行動を見るたび、『どうしてそんなことを』という問いを、

実際に何度もかけてきたが、全てがこの言葉に要約されている気がしてしまう。

『奇跡』を信じ、無駄だと思っても動くことが出来るあずさにとってみたら、

これくらいのこと、当然なのだろうと、

岳はあずさが2階に上がったことを確認すると、自分の部屋に向かった。





次の日、あずさはいつもの『肩もみ』を終えた後、

ビルの2階にいる村田のところへ向かった。

『村田ホビー』はここ数年、いつもこの状態だと、小原から聞いていたため、

シャッターは半開きの状態だが、まずは外から声をかける。


「すみません、『アカデミックスポーツ』の宮崎と申します」


まずは普通の音量で呼びかけた。

静かな時間が流れ、あまり音がしない状態が続く。


「コホン……」


あずさは大きく息を吸い込み、1.5倍くらいの音量で、もう一度自分の名前を名乗る。

左手で、軽くシャッターを叩き、音もプラスした。

すると、がたついているシャッターが上がり、中から村田が姿を見せた。

あずさは『おはようございます』と挨拶をする。


「あぁ……どうも」


村田は面倒くさそうにあずさを見る。


「何か」

「はい。すみません、あの……実は」


あずさは岳から渡されたチラシを、村田の前に出した。

村田はすぐに何を言いたいのか察したようで、自分が書いたと白状する。


「このチラシに『BEANS』が怒って、文句を言ってきたということか」


村田は、小さな店の店主の反応にまでチェックを入れるとはと、呆れ顔をする。


「それは少し違います。向こうは理解してもらえていないことに、
不満を持っていました。村田さんのこの文章を読むと、
『追い出し』をするという部分だけが、浮き上がってくるというか……」

「実際、追い出されるだろう。『BEANS』はあれだけの会社で、
色々な利益をあげているのに、会長が弱い私たちに残してくれたものを、
当たり前のように奪い取ろうとする」


村田は、自分はここがなければ、もう商売は出来ないとそう話す。


「村田さん、これ、読んでみてくれませんか」


あずさは自分が書いてきた説明書を、村田の店の机におく。


「なんだ、これ」

「『BEANS』が、このビルのみなさんに何をしてもらいたいと思っているのか。
それなりにわかりやすく書いたつもりです」


あずさは、わかりづらかったら何でも聞いてくださいと、そう話す。


「こんなもの読んでも……」

「とにかく置いていきます。戦いは、相手を知らないとうまく出来ませんから」


あずさは、そういうと失礼しますと頭を下げる。

村田は、あずさの置いて行った説明の紙を持ったが、すぐに棚の上に乗せた。





そして、『エントリアビールの新商品お披露目会』当日が来た。

あずさと岳は、会社の前からタクシーに乗り、会場へ向かうことになる。

揃って後部座席に座り、行き先を告げると、

運転手は『はい』と返事をし、車をスタートさせた。





【ももんたのひとりごと】

『エントリアビール』

関西に本社を持つ、大手の飲料会社という設定。
逸美の婚約者『上野愁矢』は、現在32歳。次男のため、会社の代表ではない。
そのため、娘の書道家としての活動にも理解をしてもらえると考え、
親同士が縁談を強く勧めた。優しく心が広い愁矢が変わっていくのか、
それとも変わらないのか……それはこの先にわかります。




【14-1】



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