14 感覚の恐怖 【14-5】

『37.8』

次の日、少し熱のあったあずさは、仕事を休むことにした。

医者からも、ヒビの影響とあちこちに作った打ち身の状態から、

多少の熱が出ることも聞いていたため、一日おとなしくすることになる。

相原家のメンバーが活動を開始した後、あずさはお盆を持って下へ降りた。

ダイニングテーブルを拭いていた滝枝がすぐに気付き、お盆を持ってくれる。


「滝枝さん、昨日はありがとうございました。喉が渇いたなと思って外に出たら、
これ……」


あずさは滝枝に昨日のお礼を言った。滝枝は『いいえ』と首を振り、

朝食はスープなら食べられそうですかと、聞いてくれる。

あずさは『はい、いただきます』と答え、ひとり席についた。


「あずささん、このお礼なら、岳さんに言ってあげてください」

「岳さんに?」

「はい。昨日、あんなふうにしておいてくれといったのは、岳さんなんですよ」


滝枝は、具のたくさん入った湯気の上がるスープを運んでくれた。


「昔、岳さんが小学校に上がったばかりの頃でしたかね。
運動会の練習で、転んでしまって、左の手首を折ったことがあって」


その時、すでに母のいなかった岳に、滝枝がベッドのそばに水筒を置いたことがあり、

そのことを思い出したのだろうと、話してくれる。


「誰かが気にしてくれていると思うことで、楽になるって……。
うちで一番あずささんが遠慮なく出来るのは、私ではないかと」


あずさは夕食の時、あまり言葉を交わさないままだった岳のことを思い出した。

あれから追求することはないけれど、それでも気にしてくれていることがわかり、

『そうですか』と口にする。


「岳さんは、自分にも人にも厳しいから、強さばかりが目立ちますけれど、
本当はとっても優しいんです」


滝枝はそういうと、今日はゆっくりしてくださいねとそう言ってくれる。

あずさは『はい』と頷き、目の前の駐車場を見た。

もちろん、岳も敦も仕事に出ているため、すでに車はない。



『誰かが気にしてくれていると思うことで、楽になるって……』



強さと意地っ張りの中に隠れている、岳の優しい部分が見えた気がして、

あずさはどこか嬉しくなる。滝枝の用意してくれたスープを食べようと、

左手でスプーンを握った。





「『岸田』の計画案です。これからAチームが指揮をとって、進めていきます」


岳は、泰成からの説明を聞き終えると、書類を受け取った。


「よろしくお願いします」


岳はそれだけを告げると、経営企画の部屋を出た。

『稲倉』にこだわっていた岳が、あまりにもあっさり『岸田』の意見を受け入れたことに、

泰成と同じグループの社員は、どうしたのだろうかと顔を見合わせる。

泰成は『頑張りましょう』と仲間に声をかけ、自分の席に戻った。

岳は廊下を歩き、いつもあずさに肩を揉んでもらっている休憩所に入る。

空いているソファーに座ると、首をぐるりと回ししばらく目を閉じていた。





泰成たちの驚きと同じものを、その日の夜、話を直接聞いた聞いた千晴も感じ、

嬉しそうにうなずいた。

泰成と千晴は、待ち合わせた『カウポルネ』のカウンターに並んで座る。


「そう……岳がね」

「あぁ……大きなプロジェクトに、自分の意見が全く入っていないという
屈辱的な仕事内容なのに、相原さんは文句を言うことなく、認めを押してくれた。
あまりにもあっさりしていて、何かがあるのではないかと、
俺たちの方が慌てたくらいだよ」


泰成の報告に、千晴はそうなんだと満足げな顔を浮かべてみせる。


「これで『岸田』は正式に動き始める」

「そうね」

「しばらくメインは俺たちの仕事だ。いくら相原家の人間が会社を作ってきたとはいえ、
今はもう、そんなレベルの仕事ではないと、
こうした積み重ねて回りに思わせることが出来るかもしれない」


泰成は、ウイスキーのグラスを軽く揺らし、満足そうに口をつける。


「俺たち……ねぇ」


千晴は、1度の勝利で大満足に見える泰成をチラッと見た。

泰成は、千晴の複雑な視線には気付かないまま、さらに腕を組む。


「川井さんだってわかっているだろ。本当に能力のあるものが上に立つべきで、
息子だからなんて理由で、認めさせるのはおかしいんだよ」


泰成は、創業者一族なんて、株でも持っていたらそれでいいのにと、

気持ちが大きくなっているのか、言いたいことを言い始める。


「私も、身内と言えば身内なんですけど」

「ん?」


泰成は、自分の思っていた方向と違う千晴の反応に、少し慌てた顔をする。


「うふふ……何を驚いているの。私は岳なんてどうでもいいの。
いいえ、『BEANS』のことだって、そこまで気にしていない。気になるのは、
もっと別のこと……」


千晴は、次の手はどういうものなのかと、泰成を見た。

泰成は、千晴の上目遣いの目を見つめ、口元を動かしてみせる。


「次……」

「そう、次。たった一度だけ岳に苦い思いをさせただけで、
まさか満足なんてしていないわよね」


千晴はそういうと、泰成の膝に軽く触れる。


「もちろん考えているよ」


泰成は、自分の膝の上にある千晴の手をつかむ。


「そうでしょうね、そうじゃなければ、意味がないもの」


千晴は泰成の表情を見た後、つかまれた手を引き抜くと、

もう少し細かい話が知りたいわとそう話す。

千晴の自由になった指が、グラスの下をさまようように動く。


「詳しい話か……。それだとこういう場所ではね」

「こういう場所だと、問題?」


千晴は、泰成を見る。


「人が多いところで、秘策は言えないな」

「秘策?」

「そうだよ……秘策」


泰成と千晴は顔をあわせ、軽く笑う。


「秘策か……なんだか怪しげで……好きよ、私」


泰成と千晴は、互いのお酒を飲み干すと、一緒に店を出た。





【ももんたのひとりごと】

『桜北と慶西』

本文の中によく登場するのは、私立の有名2校という設定です。
まぁ、現実的に言えば、『早稲田と慶応』みたいなものですかね。
相原家3兄妹が通ったのは、『桜北』の付属高校という設定です。
『ゼネコン』と言われる大手の建設会社では、
有名大学卒業プラス大学院クラスの学力があって、初めて『企画担当』くらいの、
仕事が出来るそうです。




【15-1】



コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント