15 思いの裏側 【15-2】

「苦肉の策ですが。3ヶ月の期限当日、予定の金額を払えなければ、
まず3ヵ月後の退去が決定します。しかし、ここでなんとか5万円の穴埋めをすれば、
とりあえずは延長に向かって、交渉の余地が出てくると思うんです。
最高期間である1年、それを掴みましょう」


あずさは、岳には自分が借りたことは伏せておきたいと、そう話す。


「宮崎さん。なんとかしようという気持ちはわかりますが、これは経費になりませんよ」


ほたるは完全に自己負担だがと、あずさに念を押す。


「わかっています。もちろん給料から支払います。それでも、今はまだ……」


あずさの中に、2階で背中を向け、プラモデルを片付けていた村田のことが浮かぶ。


「誤解をしたまま、不満を抱えたまま、慌しく出て欲しくないので」


あずさはそういうと、この空いている箇所を埋めていきましょうと、そう言った。





「ごめんなさい、待ったでしょ」

「少しね」


その日の夜、敦は『青の家』で染物教室を開いた涼子と待ち合わせていた。

涼子は、『青の家』では初めてだったので緊張したと、それでも笑顔を見せる。


「同じお年寄りの集まりでも、場所が違うと雰囲気が違うでしょ。
『青の家』に入っている方は、『横浜』の意識を高く持っている方が多いのね」

「『豆風家』のホームはどこも人気があるのだけれど、
あの場所は、建てた時にすごい申し込みで」

「そうなんだ。まぁ、そうよね。海も綺麗だし、船の汽笛の音? 聞こえてきて」


涼子は何か頼んだのかと、敦に尋ねる。

敦はまだだという意味で、首を軽く振った。

二人の前に、ウエイトレスが立ち、メニューを置いていく。


「あつくんが来てくれて、正直助かったの。隅々まで見ているつもりでも、
同じタイミングで呼ばれると、フォローも難しいでしょ。あまりお待たせしちゃうと、
ご機嫌が悪くなる人も、結構いるしね」

「そうだね。お年寄りって、どこか子供に帰っているところがあるからな。
でもみなさん、楽しそうだったよ。僕から見ていると」

「そう? それならこれからも活動させてもらえるかな」


涼子はそういうと、『決めた』とメニューを閉じる。


「それは大丈夫だろ、おじいさんも楽しそうに参加していたし」


敦も注文するものを決めたのか、メニューを閉じると、ウエイトレスに合図する。

二人の食事会は、和やかな雰囲気でスタートした。





同じ頃、久しぶりに逸美と向かい合う岳は、予定の時間よりも先に着き、

窓から見える夜景を見ていた。電話の明るいトーンからすると、

逸美は岳がどうして会おうとしているのか、わかっていないように思えた。



『いい気分で酔っ払って、それでふわふわっとしていて、あれって……』



あずさは、自分が悪いというだけで、話を終えてしまった。

しかし、それを鵜呑みにするには、やはりあまりにも状況がおかしく、

岳は『どうしても』の思いが、抜けなくなる。

しばらく外を見ていると、人影を感じたため、視線を上げた。


「こんばんは」

「あぁ……」


『最後の日』と決めた時以来の、ゆっくりした逸美との時間だった。

岳の前にはすでに『コーヒーカップ』がある。


「今日は車なの?」

「これからもう一度会社に戻って、見ないとならない資料があるんだ」

「エ……」


逸美は、自分とゆっくりしてくれるのかと思っていただけに、

『会社に戻る』という言葉に、少し残念だという表情を見せる。


「そうなんだ。誘ってくれたから、時間はあるのかと思っていたのに」

「申し訳ない。でも、俺が君を誘ったのは、ゆっくりしたいからじゃないんだ」

「どういうこと?」


逸美は、岳の顔を見た。

昔から、愛想笑いなどしない男だったが、今日の表情は、さらに固く、

何やらこちらの感情まで押さえつけてくるような、圧迫感を覚えてしまう。

逸美はバッグの手持ち部分を、強く握りしめる。


「『エントリアビール』の新商品お披露目会。君のおかげで参加できて、
いつもなら会わないような人たちと、会話が出来たのはよかったと思う」

「そう……」


岳は、さすがに業界のトップを狙うだけあるねと、コーヒーに口をつける。

逸美は、ウエイトレスに岳と同じブレンドを注文した。

そこから数秒後には、また二人だけの空間になる。


「ただ……どうしても納得いかないことがあって」

「……何?」

「俺と一緒に来ていた宮崎さんが、階段から落ちて、右腕にヒビが入った。
治るまで1ヶ月くらいはかかるらしい。君は、何も知らないのか」


岳のストレートな問いに、逸美は『どうしてそんなことを聞くのか』とそう答えた。


「怪我をしたのは宮崎さんでしょ。彼女に、事情を聞けばいいじゃない」

「聞いた」

「なんて?」


逸美は、『聞いた』という岳の言葉にかぶせるくらいの速さで、そう聞き返した。

あずさが自分のことを話したから、岳がここに来たのだろうかと、一瞬身構える。


「酔っ払ってふわふわしていたら、自分で踏み外して転がったと、そう言った」


逸美は、岳の話に今度はゆっくり『そう……』という言葉を送り出す。


「そうよね、出していたのがお酒だったし、ちょっと気分がよくなってってこと、
あるかもしれない。そうなんだ……」


逸美は、右腕を怪我したのなら大変ねと、あくまでも第三者としての態度を取った。

岳は、その言い方、仕草に、逸美が『シラ』を切るのだと考え始める。


「本当にそう思うのか」

「エ……」

「出されていたのものは確かにアルコールだ。でも、あそこは仕事の場だろう。
普通の人間なら、ふらついてしまうほど飲んだりはしない。
宮崎さんは、出かけるときのタクシーで、ビールは小さな缶でも結構顔が赤くなると、
そう言っていた。でも、俺が階段の下で痛みをこらえていた彼女を見た時に、
そんな酔っている顔ではなかったんだ」

「……何が言いたいの」

「何が言いたいのか、君こそわかっているだろう」


岳の言葉に、逸美は無言のままになる。

他の客が椅子を引く音、ちょっとした笑い声、普通の店内がそこにあるが、

岳と逸美の周りだけ、空気が張り詰めたようになった。


「君は知っているんじゃないのか、彼女がどうして階段から落ちたのか」


岳は、そういうと『どうなんだ』という表情で逸美を見た。



【15-3】



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