16 ストレスの女 【16-1】

「どうやって、この枠を埋めたのですか」


そして午後、時間通りに岳と敦が『アカデミックスポーツ』に姿を見せた。

あずさが出した予約表を見て、岳は昼間、ほたるが言った通りの言葉を出す。

ほたるは笑ってはまずいと思いながら、PCに隠れるようにして、

クスクスと声を出す。


「駅前でチラシを配りました。それに口コミも大きいです」


あずさは、食堂で練習したとおり、堂々と言ってみせる。

予定通り、机にあった予定表を持ち、岳にしっかり見て欲しいと前に出す。

ここで岳がプリントを手に取り、『不満足ながらに認める』というシナリオだった。

しかし、岳の手は伸びてこない。


「これは結構です。予約を入れた方たちの管理表を見せてください」

「エ……」

「管理表です。貸し出しをするのに、どこの誰なのか、連絡先は……と、
聞きだしていないことはないですよね」


岳は、ビルの中とはいえ、場所を貸すのだからと、あずさを見る。


「えっと……」


岳の言う管理表らしきものは、確かに存在した。

しかし、それはあくまでも『本物の借主』だけで、

急遽自腹を切ったあずさの分、『5万円分』は書類が存在しない。


「どうしてそれが必要なのですか」


あずさは、管理表はありますが、住所などが書かれてあって、

プライバシーに関わりますからとそう答える。


「別に悪用しようとしているわけではありません。
しかし、管理をお願いしているにしても、
実際、このビルの持ち主は『BEANS』になります。
責任があるわけですから、権利として当然でしょう」


岳はそういうと、初めて予定表を持った。

あずさはどう切り抜けるべきかと、頭をグルグルまわしていく。


「この『ミドルバンド』というのは……」

「あ、えっと……」


紙を出さずに、口で説明してしまえと、あずさはそれぞれの借主について、

情報を岳に渡した。商店街の経営者や従業員たちで作ったバンドのことや、

学生のクラブ活動など、『本物』については、しっかりと説明していく。


「それならば、この『いるか』と『あひる』は」


岳の言葉に、あずさは『すみません』と言いながら、予定表を見直した。

小原かほたるか、どちらなのかわからないが、あずさの借りた時間に、

『いるか』と『あひる』というネーミングが勝手に収まっている。


「それは……幼稚園の先生方が、練習にと」

「幼稚園の先生が……なぜわざわざここで。お遊戯の練習など、職場で出来るでしょう」

「いえ、ですから……」


あずさは言葉だと難しいと判断し、あらためて管理表を持ち出してくる。

岳はそれを受け取り、1枚ずつめくっていく。


「『いるか』と『あひる』の分は」

「それはまだ、これからです」


あずさは、まだ書いてもらっていないと、そう言った。

岳はあずさを見る。


「すでに2回も利用しているはずなのに、なぜ書類がないのですか。
誰なのか、どういう目的なのか、貸し出しする前に聞くのが普通ですよね」


小原もほたるも、練習よりもはるかに高い箇所から落ちてくる

岳のピンポイント攻撃に、すっかり言葉を失ってしまう。


「あの……」

「岳君……もういいだろう。わかっているのだから、そこまで責めるのは辞めなさい」


その状況を見ていた柴田が、社長の椅子から立ち上がる。


「この空いていた箇所を埋めたのは、宮崎さんだ」


柴田は、あずさが自分でこのスタジオを借りたのだと、そう説明した。

敦は、驚きの顔であずさを見る。


「確かに、知らない人なら何かがあったらまずいと、
こういった管理の紙を記入してもらうのは当然だ。ただ、借主が宮崎さんだった。
だからつい繕う事を忘れてしまった。それが真相です」


柴田は、どうしても1年の期限を求めたいあずさが、

自分の給料から支払いたいと申し出たことも、明らかにしてしまう。


「社長……」

「岳君が、管理表と言ったのは、薄々、そういう思いがあったからでしょう。
違いますか」


柴田の言葉に、岳は『はい』と返事をした。


「あの残り時間で、平日の条件が悪い時間、これだけ埋まるわけがないと、
そう思いましたので」


岳は見ていた管理表を閉じると、あずさの前に出す。


「宮崎さん、もうここまでにしましょう。『Sビル』は3月までに全店舗が退去。
それで……」

「私が借りるのでは、どうしてダメなのですか」


あずさは自分のお金で支払うのだからと、言い返す。

岳は、また面倒なことを言い出したという顔で、あずさを見た。


「それなら聞かせてもらう。君があの『リラクションルーム』をこれだけ借りて、
何をするんだ」


岳はそういうと、大きくため息をつく。

何をするのかと聞かれ、あずさはすぐに言葉が出なかった。

用意していたシナリオには、こんなアドリブはない。

どう考えても言い訳にしかならないし、

自分で考えてみても、おかしな話だということもわかっている。

しかし、頭に浮かぶのは、『諦め』という文字を背中に書いた、

村田のことばかりだった。


「クラリネットの練習をします」


あずさはこの手が治ったら、クラリネットの練習をしたいとそう話す。


「ごめんなさい。その理由も今考えました。でも、もう少し……
もう少しだけ時間をください。うつむいて、恨みばかりを背負ったまま、
村田さんにこのビルを去って欲しくないんです。庄吉さん……えっと、会長さんが、
このビルをみなさんにと渡してくれた頃の気持ちを、忘れて欲しくなくて」


あずさはきちんとお金は払いますからと、岳に頭を下げる。

またもやあずさのワンマンプレーではあるが、それでもという思いから、

小原もほたるも必死に頭を下げた。立ち上がった柴田も、一緒に頭を下げる。

そして、岳の隣にいた敦も立ち上がり、岳に頭を下げた。

正しいことをしようとしているのは誰なのか、仕事をしようとしているのは誰なのか、

岳は周りの状態に、自分自身がどう出ていいのかわからなくなる。


「岳君、この場所は、会長が自分が事業に成功したその夢を、
人に分けた場所だと僕は思う。宮崎さんの『クラリネット』。僕も聴いてみたい」


岳は、あちこちに下がっている頭を見ながら、ため息をついた。

正論を言っているのは自分のはずなのに、なぜだか追い込まれてしまう。

スタジオを個人で借りるというあずさの提案は、どう考えてもおかしいが、

柴田のように、自分も演奏を聴いてみたいと、どこかで思っていることに気付かされる。


「わかりました。とにかくお金は指定どおりにお願いします」


岳はそういうと立ち上がる。


「ありがとうございます」


あずさが岳に向かって頭を下げると、それに遅れて社員もみんな声を出す。


「ありがとうございます」


最後に言ったのは敦で、その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。



【16-2】



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