16 ストレスの女 【16-2】

「すごい、すごいよ、あずさちゃん」

「東子ちゃんの『すごい』の活用法はおかしいよ」

「おかしくないって。だって、岳が自分の考えを通さなかったなんて、
いやいや、事件ですよ、これは」


『アカデミックスポーツ』のこれからというよりも、

あずさのこれからを気にしていた東子は、岳がさらなる延長を認めたことに、

驚きを隠せなくなる。


「岳に勝つ女性が、こんな身近に登場するとは……」

「勝ち負けじゃないし、今回のは冷静に考えたら、岳さんの方が100%正しい」

「エ……」

「自分でも、何をしているんだって、そう思うもの」


あずさは、自分の給料からスタジオ代金を払い、2階にいる村田を説得するという内容は、

やはりどう考えても『正論』とはいえないと反省する。


「まぁ、そうだよね。どうせここで降参してビルを出て行っても、
人情も義理もない会社だと恨まれるのは、敦の押しの弱さを許せないと言った岳でしょ。
もっと大きく捉えれば『BEANS』なわけだし。あずさちゃんには損はないはずだもの」


東子はそういうと、あずさのカップに紅茶を足してくれる。


「あ、ありがとう」

「いえいえ」


あずさは左手でカップを持ち、紅茶のいい香りを鼻に受けていく。

テーブルに置いてある缶を見ると、何やら『本場の雰囲気』が漂う英語が並んでいた。


「東子ちゃんの言う通りなんだけど、だからこそ、ムキになっているのかもしれない」

「ムキに?」

「そう……」


あずさは、『肩もみ』担当になってから、ごく自然に『BEANS』に出入りし、

岳を始めとした社員たちが、一つのビル、一つの部屋を作るのに、

真剣に考え、意見をぶつけている姿を見続けてきた。


「家とか職場って、私たちが1日の中で本当に過ごす時間の多い場所だから。
どうしたら快適に使えるか、どうしたら安全性をプラスできるかって、本当に……」


あずさの中に、難しい書類や図面といつも向き合っている岳の姿が浮かぶ。

あれだけの細かい作業をし続け、

大勢の人の中で『自分の場所』を確保していくことの大変さは、

完全ではないにしても、感じることが出来た。


「意地悪だとか、面倒くさいからとか、
そういった理由でビルを建て直そうとしているわけでないことを、
わかって欲しいから……」


あずさはそういうと、また紅茶に口をつける。

東子はあずさの顔をじっと見ていたが、何やら恥ずかしそうに下を向く。


「どうしたの?」

「ううん……今のあずさちゃんの顔。なんだかこう……」


東子はうまく表現できないと言いながら、顔を覆って笑い出す。


「何? どうして笑うのよ」

「ううん、いいの、いいの。私がおかしいんだから」


東子はそういうと、このお菓子が美味しいよとあずさに薦めていく。

あずさは、夕食後は食べないことにしないといけないと言いながら、

一つだけねと左の人差し指を立てて笑った。





『もう時間は戻らない』



岳に、別れのセリフをぶつけられてからというもの、

逸美は抜け殻のような日々を送っていた。

仕事があり、やらなければならないことがあるときは、

とりあえず精神のバランスを保っていたが、ふと空を見上げる時間があると、

目から勝手に涙が流れ出す。

自分に残された道は、ただまっすぐに前を向くことだけなのかと、

逸美は平衡感覚を保てない気持ちと、葛藤し続けた。

携帯には愁矢からの誘いのメールが入っている。

来週は『クリスマス』。仕事の都合をつけて、東京に来るという愁矢のメールから、

逸美は目をそらしてしまう。

愁矢が自分勝手で、気まぐれなことしか言わない岳のような男なら、

耐えられないと言って、『婚約』を解消できるかもしれないとそう考える。

冬の空に1枚の枯葉が寂しく舞い続け、やがて川の流れの中に消えていった。





あずさが『肩もみ』任務から卒業した次の日。

相原家での朝食は、いつもの時間に始まった。

武彦と浩美、岳と敦。そして東子とあずさがそれぞれの場所に座り、

男3名は、仕事の話や新聞に載っている話題などで話が進み、

浩美は滝枝に今日が婦人会の集まりがあることを告げる。

あずさは東子の学校で、流行っているものの話を聞きながら、

軽音楽をしている友達が、スタジオに興味を持っているという話を聞いていく。


「空いているところとか、わかる?」

「日曜日は午前中かな。午後は結構予約が多いの」

「だよね」


それぞれが食事を済ませ、支度に向かう時間になり、岳も立ち上がった。


「宮崎さん」

「はい」

「今日は会長のところに顔を出すので、敦の車に乗っていってくれないか」


岳の言葉に、あずさは首を振る。


「大丈夫です。もう『肩もみ』の任務は終了したので、今日からは電車で」

「その腕でラッシュの電車は大変だ。無理はしないほうがいい」

「でも……」

「遠慮しなくていいよ、宮崎さん。どうせ同じような場所に向かうのだから」


敦はそういうと、席を立つ。


「遠慮しなくていいよ。うちの兄たちは運転うまいから」


東子はそう言いながら立ち上がると、

少し前に歩く敦に、自分の学校にまわってくれないかと頼んでいる。

あずさは『ごちそうさまでした』と手を合わせると、

滝枝のところまで食器を片付けた。



【16-3】



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