16 ストレスの女 【16-3】

「嬉しい、ラッキー!」

「東子……静かに乗れ」

「はいはい」


敦の車には、後部座席に東子とあずさが乗ることになった。

東子は助手席に、自分のカバンを置く。エンジンがかかり、車はゆっくりと走り出した。


「先に東子を下ろします」

「はい」


あずさは東子ちゃんの学校が見られるねと、そう声をかけた。

東子は、学校の先生は気に入らない人が多いけれど、学生食堂は美味しいよとそう話す。


「そうだな、確かに」

「でしょ。あの価格であの味はなかなかだよ」


東子と敦の会話を聞きながら、相原家の兄妹3人は、同じ学校を出ているのだと、

あらためてわかる。


「学生食堂か。私の学校には、そういう素敵なものはなかったな」

「ないの? ないって、どういうこと」

「どういうこともこういうこともないです。田舎の学校だしね、私」


東子はだったらお昼はどうするのだと、あずさに尋ねる。


「お弁当を持っていったよ、毎朝自分で起きて、作って」

「自分で?」


東子はそれはすごいねと、あずさを見る。


「何もないところにいると、自然とそうなるのよ。周りもみんなそうだから、
あまり考えなかったな」


東京のように何もかも揃っていると、逆にわからなくなるものが多いかもという意見に、

運転している敦も、納得したのか頷いている。


「エ……そうかな、面倒なのは嫌だ」


東子はそういうと、敦に学校の裏門に止めて欲しいと、そうお願いした。





横浜『青の家』

岳は一人、庄吉のところに向かった。

この1年、新しい建設方法を取り入れた、

『BEANS』の目玉とも言えるマンション造りに、集中して仕事をしてきたが、

結果的に場所は『稲倉』から『岸田』に変わってしまった。

それならばと、次の手を考えていかなければならないのに、

この数日間、気持ちはあちこちに飛んでいて、仕事に集中できていない。

岳は、車を駐車場に止めると、ホームを見る。

さらに、ここへ来たのにはもう一つ意味があった。

父、武彦から聞いた敦のこと。

祖父である庄吉が、そもそも『豆風家』の勤務を薦めてきた理由も、

岳自身、聞いておきたかった。

地下の駐車場に車を止めると、岳はエレベーターで1階の事務局に向かう。

そこには、先日、涼子達が訪れて体験実習をした『染物』の作品がかかっていた。

岳は受付の前に立つ。

『青の家』の事務長を務める男性は、岳の登場にすぐ席を立ち、慌てて扉を開けた。



「敦さん、これ、染物ですよね」


東子を学校に下ろした敦とあずさは、『BEANS』に向かう。

あずさは後部座席の端に、折りたたまれていた1枚の布を見つけた。

敦は、この間、『青の家』に行き、体験実習をしてきたのだと正直に語る。


「『青の家』でですか」

「うん。元々は『翠の家』で取り入れていた体験型のレクリエーションなんだ。
ほら、前に話したよね確か同級生のこと。それが好評で、会長の勧めもあって、
今回『青の家』で」

「あ、はい。聞きましたよね、幼稚園の同級生に会ったって」

「うん」

「すごいな、これ、敦さんが作ったのでしょ」


あずさは、しっかり染まっていると、布を広げて感心する。

ところどころ色がまばらになっているところは確かにあるが、

手作りの良さがそこに感じられた。


「自分が起用じゃないなと、そう思ったよ」


敦は出来たのを見たら、思っていたよりも下手だったと笑う。


「そんなことないですよ。これ素敵じゃないですか。
車の中に折りたたんでおかないで、もっと……そうだな、壁にかけてもいいし、
この上に何かを置いてもいいし……。ホームの方もみなさん、
こういう体験は喜ばれたでしょう」

「うん。みなさん楽しそうに取り組んでいた」


あずさは『そうでしょうね』と言いながら、

玉子と取り組んだイベントのことも思い出す。


「『橙の家』でも、色々とレクリエーションを考えてくれていますよ。
私も玉子さんと一緒に、体を楽器にして演奏するというイベントに、
出たことがありますし」

「体を楽器に?」

「はい。手を叩いた後、膝を叩いたり、足をならしたり……」


あずさは後部座席で、右手と左手を膝の上に置き、軽くパンパンと音を出す。


「玉子さんのことは聞いたことがあるよ。祖父がよく、話してくれたし」

「そうみたいですね。この間、岳さんも言っていました」


あずさはこういうものなら自分も体験してみたいと言いながら、

しばらく敦の作品を見続けた。





「突然、すみません」

「いやいや、岳が尋ねてきてくれるのは嬉しいことだ」


岳は庄吉の部屋に入ると、武彦から渡された計画案を取り出した。

庄吉は岳の浮かない表情を見る。


「『稲倉』を狙うことはやめたそうだね」


庄吉の言葉に、岳は返事をせずにソファーに座る。


「その顔は、お前自身、納得できていないと言うことか」

「はい」


岳は、会社の規模も負けるとは思わないのに、どうして譲ってしまうのかと、

今回の決定について、愚痴をこぼした。庄吉は岳の意見を聞きながら、

コーヒーサーバーから漂う香りを受け入れていく。


「『稲倉』にこだわりたいお前の気持ちもわかるが、武彦は営業面から考えて、
今回は『岸田』決めたのだろう。私は、その判断が間違っているとは思えないが」

「間違っているとは言いません。でも、戦う姿勢を見せなければ、
これからも引くことが増えてしまうのではないでしょうか」


岳は、営業部門が楽な方向に逃げていると、そう話す。


「岳……」

「はい」

「相原の家に生まれ、武彦の仕事振りを見て育ったお前には、
今、こうして毎日を送ることが当たり前なのかもしれない。戦う姿勢はもちろん大事だ。
しかし、それ以上に『信じる』という気持ちも、持たなければならない」


庄吉は、岳を見ていると、昔の自分を思い出してしまうと笑みを浮かべる。


「戦争が終わって、自分の意思とは関係なく、私は伯父の仕事を手伝うことになった。
男手がいなかったし、跡取りだと思われていた従兄弟は、亡くなっていて、
伯父にしてみたら、厳しい状態の中、
一緒に戦えるのは甥である私だけだったのかもしれない」


大学に行っていたものの、元々、その仕事を継ぐために生きてきたわけではなく、

庄吉は、必死に自分を大きく見せようとしたと当時を振り返る。


「どこかから生き残りで戻ってきて、ただ社長の親戚というだけで、
自分たちの上に立たれてはたまらないと、社員たちが思うのではないか。
実力もないのに、縁だけで地位を得ているのではないかと思われたくない。
あの頃の私は、ただそればかりを考えていた」


庄吉は岳にコーヒーを入れるように、指示を出す。

岳は立ち上がり、サーバーからカップに注いでいく。


「企画でも、営業でも、全てにおいて自分が優秀でなければ評価されない。
亡くなった従兄弟から、会社も、婚約者であった梅子も奪った私には、
その思いだけがパワーになり、そしてストレスでもあった」

「ストレス……ですか」


庄吉から『ストレス』という言葉を聞き、岳は思わず振り返った。



【16-4】



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