17 女の幸せ 【17-3】

『埼玉に芸術の香りを……』



偶然入ったメールだった。しかし、岳にはその場所が懐かしく思えてしまう。

まだ、母が生きていた頃、幼い岳を連れて、何度か訪れた場所がここだった。

自然がたくさんあり、夜になると星空が綺麗な場所は、

あまりにも幼い記憶だったため、夢の中ではないのかと勘違いするほどだった。

そこには、母の両親、つまり岳にとっては祖父母が住んでいて、

釣り道具の手入れをしている祖父の背中を見たことも、少しだけ覚えている。

しかし、母が亡くなり、しばらくは手紙や行事で会うことがあった親戚とも、

新しい母となる浩美が入ってからは、遠い距離を保つことになってしまった。

岳はファイルの中にある写真の数々を、1枚ずつ開いていく。

これから1年の間に、大型ショッピングセンター、そして病院、

さらに、数駅前で終わっていた私鉄の路線が伸び、そこには急行が止まることまで、

書かれてあった。

遠い記憶の中に、あまり力のない母が、両手で必死に窓を開け、

岳は電車の音と、優しい自然の風を頬に受けたことをかすかに思い出す。

説明用の地図を追っていくと、その指は埼玉県を通り過ぎ、群馬に入った。


「ん?」


岳の視線が止まった土地名。『立野坂』

以前、あずさから聞いた実家の場所が、そこにあった。





「エ! あずさちゃん、帰るの?」

「うん」

「うそぉ……ショック」


東子は、年末年始もあずさが『相原家』にいると思っていたと言い、肩を落とした。

あずさは、秋に出てきてから一度も戻っていないから帰らないとと説明する。


「そうか……確かに」

「お正月には、玉子さんも家に戻ってくるの。施設と違って、車椅子が使えないから、
みんなで手伝わないと」


あずさは、それでもこの手ではたいして力にならないけれどと、苦笑する。


「そんなことはないよ。戻ってくるだけできっと嬉しいって。
あんなふうに、お野菜を入れて、応援してくれるような家族だもの。うらやましい」


東子はそういうと、うちは挨拶に来る人ばかりで、めんどうだと嫌そうな顔をする。


「滝枝の料理は美味しいし、毎日、あれこれ干渉されてばかりなのも嫌だけれど、
自分の家なのに、こういうのはあんまり嬉しいものじゃないね」


東子はそういうと、デザートに出されたイチゴを食べる。


「こういうのって?」

「家族はあまりいつかないのに、やたらに人が来るのよ。
それに、このリビングだって階段が上まで伸びていて、なんだか暖房も効率よくないし。
広い食卓はあるけれど、最初に言った通り、あまり揃わないから、逆に寒々しいし」


東子は、こたつでご飯を食べたりするのは、結構楽しいでしょと聞いてくる。


「まぁ、そうだけれど、相原家はみなさん仕事を持っているのだもの。
身勝手に遊んでいるわけではないし、お父さんもお母さんも、
ちゃんと東子ちゃんのこと、考えてくれているじゃない」


あずさは、相原家に来る前は、どんな人たちなのだろうと身構えたが、

兄弟の会話や親子の会話を聞いていると、どこも変わらないように思えたと笑う。


「変わらないかな」

「変わらないよ。岳さんも、敦さんも、東子ちゃんのことかわいがっているし。
私は一人っ子でしょ。いつもからかわれているのを見ていると、うらやましいなって」


あずさは、学校に送ってくれたり、宿題を見てくれたりするのは、

いいコミュニケーションだと話す。


「うん……まぁ、それはね。あの二人は私の自慢」


兄妹の仲がいいと言われ、東子は嬉しそうに笑った。

あずさはそれを見逃さずに、『本当にうらやましいよ』と繰り返す。


「ありがとう、あずさちゃん」

「いえいえ」


あずさはお土産を買ってくるからねと、東子に指切りをするための小指を出した。

東子がその指に自分の指を絡めようとしたとき、岳が姿をみせる。


「あ、お帰り、岳」

「あぁ……」


岳はすぐにあずさに気付き、方向を変えた。


「宮崎さん、年末年始は実家に戻るの?」


岳のいきなりの問いに、あずさは慌てて『はい』と答えた。

東子はあずさの指と自分の指を絡め、『約束、約束』と繰り返す。


「いつ、戻るつもり?」

「えっと……仕事納めの次の日と……」


岳はスマホを取り出し、カレンダーで確認するとなぜか小さく頷いた。


「わかった。その日、車で送る」


岳はそういうと、二人の前を離れていく。

あずさは東子との指きりの指を外すと、立ち上がった。


「岳さん、あの……大丈夫ですよ、駅は目の前ですし」

「駅まで送るなどと、言った覚えはないが」


岳は『実家まで』送ると、念を押すように言う。


「実家って、群馬ですよ」

「あぁ……前に聞いた」

「ですよね、私も言いました」

「だから」

「だからって……」


あずさは、そんなことはしなくていいですと、申し出を断ろうとする。


「いいじゃない、あずさちゃん。行ってくれるって言うのだから、甘えちゃえば。
岳の運転うまいでしょ」

「いや、東子ちゃん、そういうことじゃないの」


あずさは、送ってもらう理由がみつからないと、岳に訴える。


「送る理由はある。その手で帰省の混雑した電車に乗るのは、危ないだろう」

「大丈夫です。荷物はリュックで背負いますから」

「その手がなぜそうなったのか……わかっているから言っている」


岳はそういうと、あずさを見た。

あずさは、やはり岳は気付いているのだと思い、言葉が出なくなる。


「その手は、俺に責任がある。押してしまったと……彼女にそう言われた」


岳はそういうと、自分の部屋に向かおうとする。

あずさはそれでもと手を伸ばしたが、逸美に押された感覚を思い出し、

手を下におろす。


「『押してしまった』って何?」


東子のつぶやきに、あずさは『さぁ』と誤魔化してみせる。


「でもよかったね、あずさちゃん。ラッキーだよ。岳が送ってくれるのなら、
荷物、山ほど持っていっても平気」


東子はそういうと、残りのイチゴをおいしそうに食べ進めた。



【17-4】



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