17 女の幸せ 【17-4】

「はい、それではみなさん。年内はここまでです」


逸美の書道教室でも、年末の納めの日を迎えた。

午前中に訪れていた子供たちではなく、

午後は『教養』として書道を嗜む大人の女性が多い。


「大先生、お体にはお気をつけて」

「あぁ、ありがとう。また来年」


その日は『年内最後』ということもあり、逸美の父も教室に姿を見せた。

逸美は生徒たちが居なくなった後、片づけをし始める。

掃き掃除をしていて人影を感じたため、もしかしたら愁矢が来たのかと顔をあげる。


「よぉ……」


目の前に立っていたのは、悟だった。


「……室伏君?」

「あぁ……久しぶり」


逸美は『確かにそうね』と言いながら、掃き掃除の続きをする。


「室伏君が、どうしてここに?」

「俺がイタリアから戻ってきたのを知って、ご紹介が入ったんだ」

「ご紹介? 何? どういう意味?」


逸美は、悟の話している意味がわからず、首を傾げる。


「『婚約』……おめでとう」


予想外の悟の言葉に、逸美は数秒遅れて、『ありがとう』と声に出した。

悟は、その微妙な雰囲気を感じ、教室の壁によりかかる。


「相手、『エントリアビール』の次男、上野愁矢さんだろ。昔からあの家の人たちは、
うちにオーダーしてくれていたからさ。すぐにその話しは入ってきた。
どうも、どこかで靴の話になったみたいだよ。数を持たないのなら、
『WALKEL』で作ったほうがいいと、上野家からのご推薦で。俺がここへ……」


愁矢の父も、そして兄や愁矢本人も、昔から常連さんなんだと、悟は説明する。


「それじゃ、父が作るってこと?」

「逸美もだよ」


悟は愁矢から、そう言われていると、

ポケットに入れてきた申し込みの用紙を振ってみせる。


「プレゼントだって……いい旦那じゃないか」


悟の言葉に、逸美は少しだけ口元を動かした。



生徒指導の終わった教室の中で、逸美の父が先に、足のサイズを採寸した。

修行を終えて、すっかり職人らしくなった大学の同級生を見ながら、

言い合ったまま別れてしまった岳のことを思い出す。

悟と岳が大学時代から親しかったことは、逸美もよく知っていた。


「悟君は、『WALKEL』をこれから継ぐのかな」

「あぁ……まぁ、組織に入ることは入りますけれど、経営は好きではないので、
姉夫婦に任せるつもりです」


悟はメジャーとペンで、白い紙に何やら書きとめていく。


「姉が優秀な男と結婚してくれたので、父もその方がいいと思っているのでしょう。
最初はあまり賛成してくれなかった修行にも、送り出してくれましたし」


悟は、自分は自分の靴が作りたいのでと、真剣なまなざしでペンを動かした。

逸美はその姿をじっと見る。


「どちらかというと和装の方が多いので、靴に関して意識したことがなくてね」

「今回の靴を気に入っていただけたら……いいものを作ると、皮が足に馴染みますので」


悟はそういうと、計り終えましたと、頭を下げた。



紙を走るペンの音、逸美は足を台に乗せながら、悟の姿を見ていた。

『岳とは会ったのか』、友達同士なことも知っているので、

別に聞いてもおかしくないはずなのに、先日、憎みあって別れた瞬間のことが頭をよぎり、

その勇気が出てこない。


「……お前や岳と比べると、自分は恵まれているなと、そう思うよ」


悟の言葉に、『岳』の文字を聞き、逸美はすぐに『会ったのか』と聞いてしまう。


「うん……一度食事して、一度、あいつが愚痴を言いに来た」

「愚痴?」

「そう……組織が大きいからね。計画が通らなかったとか、
他の会社の物件がどうのとか、家を飛び出して、わざわざうちの店に来たよ」


悟のペンが、逸美の足型を取るため、1周する。


「あいつは結婚とか、難しそうだもんな。逸美……いい相手を見つけたぞ」


悟は、岳は大人と子供の部分が、メチャクチャ複雑に交差していると笑う。


「……『三国屋』のお嬢さんでしょ……岳は」


逸美の、諦めないとならないけれど、諦めきれないような嘆きが、

悟の肩に落ちてくる。


「結婚は考えられないって、言っていたけどね……」


逸美は、悟の言葉に、『後悔』の2文字を思い浮かべてしまう。

悟は逸美の言葉が続かないことに気付いたが、あえて触れないまま採寸を続けた。

外は夕暮れから、暗い夜にと変化する。


「学生時代が一番楽しかったな……」

「そうか?」


悟は全て終わったと、顔をあげる。


「わかっているの。今の方が正しい道だって。このまままっすぐに歩いていけば、
きっと、明るい場所にたどり着けるって。でも……」

「やめておけ」


悟は、仕事道具を片付け始める。


「最初は俺もそう思った。お前たちなら難しい状況も越えていくのかなって。
でも、違うよ……それは勘違いだ」

「室伏君」

「その時に、自分が判断した。それはそれで正しいことなんだよ。
失ったものの方が、綺麗に見えるし、貴重だった気がするだけだ。
逸美は、愁矢さんの方がいい」


悟は、『女は愛された方がいいぞ』と念を押す。

逸美は、出したくなる言葉を押さえ、『そうよね』と気持ちを納めた。





そして、あちこちで仕事納めが終わり、あずさが実家に戻る日になった。

浩美を始めとして、武彦や敦も、『なぜ岳があずさを送るのか』を疑問に思いながら、

誰もそれを聞くことはなく、淡々と朝食が終了した。

ただ一人、滝枝だけが嬉しそうに何やら支度をしてくれている。


「あずささん」

「はい」

「これを、持っていってください」


滝枝のくれたものは、東京の下町で作られている、有名なお店の『佃煮』だった。

昔からの知り合いの店で、贈り物にすると喜ばれるのだと話してくれる。


「素敵なあずささんのご家族に、ぜひ」

「……すみません滝枝さん」


あずさは『ありがとうございます』と頭を下げると、それをリュックの中にいれる。

左手でチャックを閉めようとしたが、力がうまく入らない。

それを見て気付いた東子が、すぐに手伝ってくれた。


「あ、ありがとう」

「いえいえ。ねぇ、必ず戻ってきてよ、あずさちゃん」


東子は、必ず戻ってきてと、もう一度言った。

あずさは『戻ってくるよ』と返事をする。


「そろそろ」

「はい」


あずさは新聞を読んでいた武彦と、そばにいた浩美、

そして東子の横に立つ敦に挨拶をすると、岳と一緒に玄関を出た。

いつも、会社に連れて行ってもらった車で、群馬の実家に戻るのかと思うと、

妙な気持ちになる。


「岳さん」

「何」

「本当にそこら辺でいいですよ。上野とかまで行ってくれたら、特急もありますし」

「いいから、乗れって」


岳の言葉に、あずさはわかりましたと助手席に乗り込んだ。



【17-5】



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