19 素顔のままで 【19-2】

「はぁ……」


思いがけない岳の登場に、あずさは咄嗟の対応が出来ずに、

一度事務所へ戻ってしまった。

暖房も切ってしまった部屋に立ち、大きく息を吐き出すと、

出そうになっていた涙が、気持ちの奥に戻っていく。

亡くなった祐が、あずさによくクラリネットで吹いてくれた曲が、

この『素顔のままで』だった。

演奏がなかなかうまくならない。自分に納得がいかないと不満を口にしたとき、

祐はいつも、優しい言葉で励ましてくれた。



7年という月日。

生まれた子供が、小学校に上がってしまう時間が過ぎているのに、

自分の心の中には、いまだに祐が大きな位置を占めているのかと、

あずさはため息をつく。

それと当時に、どうして岳が来たのか冷静に考えようとする自分がいて、

あずさは気持ちを立て直すと、『リラクションルーム』に戻った。



あずさは、扉の前に立ち、一度だけ深呼吸する。

開いた瞬間から、気持ちを切り替えようと思いながら左手を動かした。


「こんな時間に、どうしたんですか」

「ずいぶん遅い疑問符だな」


岳は『リラクションルーム』の中で、

すでに『クラリネット』を組み立てはじめていた。

あずさは、岳のものなのかと聞く。


「あぁ……このケースは、以前、宮崎さんが買い物をした『ロスウッド』のものだ」


あずさは岳のケースを見る。


「あ……本当だ、すごいですね」

「……かもしれないな」


岳は一度、部屋の中を見回した。

ビルの場所を借りている人たちが、

なんとか1年頑張れるためにあずさが身を削って借りた部屋は、

当たり前だが、何もない。


「ここで書類まとめか」


岳のセリフに、あずさは一瞬たじろいてしまう。


「何をしてもいいですよね。私が借りているわけですから」


あずさは、お金を払っているのだから、文句は言わないで欲しいと、そう返す。


「文句を言いに来たわけではない。今日は伝えたいことがあって来た」


岳はそういうと、クラリネットをテーブルに置く。


「これを、君が俺に教えてくれないか」


岳は、この時間を使って、あずさにクラリネットを教えて欲しいとそう言った。


「私がですか」

「うん……」


岳は、亡くなった母が、岳が大きくなったときに吹いて欲しいとくれたものだが、

結局、その姿を見せることが出来なかったことを話す。


「母が亡くなってから、少しだけ習ったことはある。
でも、かじった程度でやめてしまった。
『クラリネット』なんて、習う友達もいなかったからね」


岳の言葉に、あずさは『クラリネット』を見た。

自分が部活で使っていたものよりも、明らかにものがいいとわかる。


「それから何度も思い出すことはあったけれど、部活が忙しくなってからは、
どんどん離れてしまって。結局、何も……」


岳は、今更まともに教室通いは出来ないと、そう話す。


「それに……君から教わりたい理由があって」


岳は、あずさを見る。


「織田祐と言ったよね、宮崎さんにクラリネットを教えてくれた先輩」

「……はい」

「宮崎さんを送り届けてから、話をした通り、祖父母の墓参りをした。
あの日、母の弟……叔父に会って、別の話をしていたら、偶然わかったんだ。
複雑な事情はあるけれど、織田祐という人は、俺の叔父だと言うことが……」

「叔父さん?」

「あぁ、年齢は俺の方が上だけれど、状況的にはそうだった」


岳は自分の亡くなった祖母と、祐の母が姉妹だったことを話す。

岳の母と祐は、父親が同じだけれど、母親が違う姉弟だとそう説明する。

あずさは、複雑な話を、一生懸命頭の中で整理した。

とにかく、『他人の空似』ではないことだけは、理解する。


「おばあさんとお母さんと……ってことですか」

「あぁ……俺の祖母の妹が、彼の母親だ。
顔が似ていたのも、ある意味当然かもしれない」


岳はそういうと、クラリネットを両手で持つ。

こうしてきちんと組み立て、音を出そうとするのは、何年ぶりだろうと思いながら、

岳は息を吐き出していく。

少しぶれるような感じになったが、重たくて、強い音が『リラクションルーム』に響いた。

あずさは、あらためて岳を見る。



『あずさ……』



ただでさえ、祐を思い出すような岳の表情と、

そこに『クラリネット』が加わったこともあり、あずさの目は、岳から離れなくなる。

もう少し一緒にいたかった、

もっと話しがしたかったという心の奥底に押し込んだ思いが、

岳というフィルターを通して、あずさの気持ちから湧き上がってくる。

しかし、岳の視線が自分に向くのではないかと思った瞬間、

あずさの気持ちは一気に現実へと引き戻された。


「……あぁ、もう!」


あずさは、思い出からあえて自分を切り離すため、声を出しながら、両手を腰に当てる。


「何年も吹いていないし、ほとんど素人だって言っている割には、
音が出ているじゃないですか。岳さん、結構吹けていますよ。
こういうとき、教えてくださいって言って、全然音が出ないと、
しょうがないな、教えてあげようってこっちが優位に立てるのに……
もう、本当にどこまでも、隙がないですね」


あずさはそこまで一気に語ると、楽しそうにケラケラと笑い出す。

明らかに無理をした笑いだったが、岳は気付かないふりをする。


「どうして笑うんだ。それに、今の音のどこが『吹けている』」


岳は、あずさの対応に納得がいかず、そう聞いてくる。


「吹けています。こういう楽器を吹こうと思うと、普通は、息だけが抜けてしまって、
音なんてならずにおかしいなってなるんです」

「そんなことはない。コントじゃないんだぞ。口をつけて息を吐き出せば音が出る」


岳は音色として認められない、勢いだけの雑音だと言い返す。


「岳さんは起用なんですよ。頭もいいし、チャレンジしたことがスッと頭に入ってくる。
でも、世の中にはそんな人の方が少ないです。私の今の話しはふざけてもいませんし、
真面目に言っています。本当です。部活でも、
最初から綺麗に音を出せる人なんていないのですから」


あずさは『どうしようかな』と言いながら、チラッと岳を見る。


「どうしようっていうのは、どういうことだ」

「どういうことだって……教えてもらおうとしていますよね、一応」

「あぁ」


あずさは、自分の考えは間違っていないと言い張るような岳の態度に、

小さく息を吐いた。



【19-3】



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