38 男と女の事情 【38-4】

岳は、あずさが拒んだ物件より、少し安めのものを探し提示した。

あずさはそれでもまだ高いと、首を振る。

岳は東子が廊下にまだ残っていないかと見てみたが、その姿も気配も感じられない。


「ここにいれば、当たり前だけれどこういうことになる。
わずらわしいこともあるが、通勤距離と安全面は問題ない。
だから、それならそれと割り切って、外で会えばいい。
ただ、君が一人暮らしをするというのなら、自分が満足するように、
不足部分に援助したいと思うのは、おかしなことか」


岳は、そういうとあずさのひとり立ちを邪魔しているわけではないと言う。

それでもあずさからは、いい返事が戻らない。


「……ったく、本当に頑固だな」


岳はそれならと、少し前に見た物件をまた呼び出した。


「わかった。俺が家を出て、これを借りる」

「……は?」

「君がここに住めばいい」

「そんなこと無理です」


あずさは、それこそおかしな話だと言い、ダメ出しをされた物件を見る。


「私が、自分で生活できる場所を、確保したいんです。世の中の人たちはみんな、
そうやって生きているでしょう。お給料が少ないのは、
自分の力の評価ですから仕方がありません」


あずさは3つの物件の中から、1つの紙を出す。


「6畳の部屋に、小さなキッチンと水回り。
そんなところに住む女は、岳さんが許せないと言う事ですか?」


あずさは、真剣な顔で岳を見た。

岳は言い返そうとしたが、具体的な言葉が出てこない。

自分の生活の中にはない、レベルの部屋。

しかし、あずさの希望がそこだと言われてしまうと、認めないと言えなくなる。


「小さくたっていいんです。オートロックじゃなくても、仕方がないです。
それでも、自分の力で生きているという、自信が欲しいんです」


あずさは、次の休みにでも見てきますと言うと、

おやすみなさいとリビングを出て行ってしまう。

岳はあずさの部屋の扉が閉まる音を聞いた後、タブレットを横に置いた。



逸美も、梨那も、経済的には恵まれている家庭の娘だった。

しかし、いつもデートに行けば、支払いをするのは岳で、

それをおかしなことだと思ったこともないし、相手が申し訳ないと口にしたこともない。

その他にも、何度か時間を共有した女性はいたが、

全て、『委ねる』ことが当たり前の時間ばかりを送って来た。

岳が会社からもらっている給料を考えると、ホテル代金も食事の金額も、

苦痛だと思うものではない。

極端なことを言えば、あずさに借りて欲しいと思う部屋の家賃全額でさえ、

今の岳にしてみたら、それほどの負担とは言えないものだった。

それよりも、安全や安心という交換条件を得たいと思っていたが、

それがあずさ自身を、傷つけてしまうことになる。



『6畳の部屋に、小さなキッチンと水回り。
そんなところに住む女は、岳さんが許せないと言う事ですか?』



あずさのことを考えていると、パタンと扉が開き、浩美が出てきた。

岳はソファーから立ち上がり、自分の部屋に向かおうとする。

一度振り返り視線を向けたのは、2階にあるあずさがいる部屋だった。

思いを寄せた相手が目の前にいるとなると、もっと寄り添いたいと思うのは普通で、

あずさが戻ってくると聞いた時には『よかった』という気持ちが前に出たが、

こうして暮らし始めると、今度は、家族の目が常にある状態を、

少しずつ苦痛だとさえ思い始める。

岳はタブレットの電源を切ると、自分の部屋に戻った。





横浜『青の家』

敦は、『染物教室』が行われた次の日、庄吉のところを訪れた。

一応、『紅葉の家』の進み具合を報告するという理由をつけたが、

本当の目的は、再会された『染物教室』に涼子が来ていたのかどうかを知ることだった。

エレベーターを降り、庄吉の部屋に入る。


「おじいちゃん……」

「おぉ……敦」


いつもなら凛とした態度で出迎える庄吉が、めずらしくベッドの中にいた。

敦は、具合が悪いのかと心配する。


「いや……少し風邪をひいたようだ」

「風邪?」

「あぁ……近頃気温の高い日と、急に低くなる日と、両方だろう」


体を起こそうとする庄吉に、そのままでいいよと声をかけ、

敦は椅子をベッドの横につける。


「そうか。また、別の日にすればよかったね」

「いやいや、お前が来るのを楽しみにしていたんだ」


庄吉はそういうと、武彦からあずさが戻っているという情報をもらったと、

敦に話しかける。


「うん……宮崎さんにとってはトラブルだけれど、
兄さんにとってはよかったんじゃないかな」

「岳に」

「そう……おじいちゃんもわかっているだろう。兄さんの気持ち」


敦の言葉に、庄吉は少しだけ笑みを浮かべた。


「あの兄さんが、全然叶わないんだ。宮崎さんのことに、毎日バタバタしている」

「バタバタ」

「そう、別におかしいわけじゃなくて、一生懸命に彼女に応えようとしている。
だからといって、宮崎さんがわがままなわけじゃない。
互いに、認め合っているし、労わりあっているしね」


敦はそういうと、下を向く。


「ちょっと……うらやましくもある」


庄吉は、敦の右手を掴む。

その、熱があるような手に、敦は顔をあげる。


「昨日、『染物教室』があった」

「うん」


敦は、庄吉の顔を見る。


「古賀さんは来なかった。私も参加したわけではないが、事務長に聞いてもらった」

「来なかった? どうして」

「なんだか、体調を崩して染物を辞めてしまったと」

「辞めた?」


敦は、思ってもみなかった話に、何があったのだろうかと気になっていく。


「突然、3月になってやめたいと言ったそうだ。その前から体調はよくなくて、
痩せてしまって……先生も気にしていたらしい。
今までも同じようなことをしてきたのに、どうしたのかって」


庄吉は、お前は何も聞いていないのかと敦の顔を見る。


「僕とは……」


敦は、自分は涼子にとって、関わりたくない相手になったと言おうとして言葉を止めた。

たとえそうだとしても、心配することは自由ではないかと考える。


「敦……」

「はい」

「近頃……なぜか昔のことばかりを思い出す。焼け野原の中に立ったこと、
『BEANS』のビルを建てると決めた日のこと。武彦が生まれて喜んだこと、
『東青山』の家で、ピアノの音が聞こえたこと……」


庄吉は、岳が生まれたこと、哀しい出来事があったこと、

そして、敦が家に来た日のこと、東子が生まれたことなど、

長い間の時間を、目を閉じながら振り返っていく。


「こうすればよかったなと、思わない人生はないだろうけれど、
お前は私と違う。まだまだこれから何でも出来る」

「おじいちゃん」

「岳も敦も、それから東子も……振り返ったとき、
よかったと思うことが1つでも増えて欲しいと、おじいちゃんは思っている」


庄吉の言葉は、敦の気持ちを、そっと後押しした。

涼子が辞めてしまったのはなぜなのか、それを知りたいと考える。


「今日は……暖かいな」

「うん」


港に入る船の汽笛が聞こえ、穏やかな午後の日差しが、部屋に入ってきた。



【38-5】



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テーマ : 恋愛小説
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