10F-④「今回は、『チルル』だからです。本当に美味しいお菓子を、
『KISE』のお客様たちに買って欲しいから、だから手伝います」
「だから」
「だからです」
会話を盗み聞きしている竹下には、
本部から来る拓也が、どういう理由なのかわからないが、
彩希を評価していることがわかり、驚きを隠せなかった。
竹下にとって彩希は、普段から無駄な動きをしているように思え、
『バタちゃん』と呼んでいるのも、その理由からだった。
二人の会話が終わったとわかり、竹下はそのまま休憩に入ろうとする。
竹下の来るのを待っていた高橋は、すぐに駆け寄っていく。
「ねぇ、またあの人、広瀬さんだっけ? バタちゃんに会いに来たのね」
「そう……仕事を手伝ってくれって、そう頼んでいた」
「仕事?」
「なんだかあの広瀬って人には、わからないことがたくさんあって。
でも、バタちゃんが関わることで、つまり……」
竹下は、頭で理解したつもりで話しだしたが、
それほど正確に内容を聞いていなかったことに気付く。
目の前には、内容を聞こうとする高橋の期待を込めた顔があり、
竹下は、なんて言ったかしらと、首を傾げた。
高橋は、一番大事な部分なのに、わからなくなったのと思わず嘆く。
「やだ、わかっているわよ。ようするに、本部の人は、
売り場のお菓子が、どういうブランドで入っているのかわからないから、
一覧表を作ってくれって、そんなこと」
「一覧表……へぇ……」
「うん、そんなもの」
竹下は、二人の会話の内容がわからなかったとは言えず、そうごまかした。
更衣室に立ち寄り、ロッカーから小さなバッグを取り出す。
「でも、一覧表なら、バタちゃんに頼む必要があるのかしら」
高橋は、それはチーフの役割ではないのかと、疑問を口にする。
竹下は、チーフの字が汚いからではないかと、また適当にごまかした。
「江畑さんをですか」
「はい」
拓也が仕事を彩希に振ったのは、当たり前だがチーフの字が汚いからではない。
拓也は、彩希の商品知識を活用したいとお願いし、
午後の1時間ほど、時間を欲しいと頼むと、売り場を離れた。
拓也が『KISE』を去った後、彩希は恵那と一緒に、社員食堂に向かった。
『スパゲッティランチ』を注文し、小鉢になっているサラダも追加する。
彩希は、午後、拓也たちの仕事を少しだけ手伝うことになったと、恵那に説明した。
「販売企画の仕事を、バタちゃんが?」
「うん……『チルル』のこと、限定だけどね」
恵那はお盆をテーブルに置き、椅子を引く。
「それにしたって、すごいことだよ。
へぇ……現場の意見なんて、本当に聞いてくれるんだ」
恵那は、本部も変わりだしたのかなと、彩希の顔を見る。
「『チルル』を望んでいるお客様のために、なればいいと思っているだけだって」
彩希はフォークを持つと、手でクルクルと巻いていく。
「『チルル』の人気があったのは、
うちしか扱っていないという希少性だけではなくて、
しっかりとした味と、食感。つまり、商品価値だとわかって欲しいから」
「うん」
「だから、今回だけ……」
彩希は、自分自身に対しても、そう言い聞かせるようにしながら、
恵那と食事をし続けた。
そして、昼食後。
彩希は、パーテーションで区切られた場所に入り、そこには拓也と益子、
そしてエリカが立ち会った。あらためて『チルル』への思いを口にする。
「『yuno』は、世界的にも有名なお店です。パティシエも一流の方ですし、
お値段は張りますけれど、その分、美味しさも間違いないです」
彩希は、『チルル』の焼菓子の口当たり、後味に妙な残りがないこと、
柔らかさの中にある弾力。きめ細やかな心遣いなどを全て語った。
「『yuno』が、『伊丹屋』以外に店を出さないと言っている以上、
あの味を、『KISE』で購入することは出来ません。
でも、それに負けない力を持ったお菓子が……そうです、
『KISE』に『チルル』があれば手に入るんです。
水にも、材料にも、しっかりとこだわり、私たちの舌に合う絶妙なバランスを、
計算してくれた商品だと思います」
益子は彩希の意見を、黙って聞き続けた後、
拓也に、なぜ、『チルル』を撤退させたのか、その理由を尋ねた。
「『リリアーナ』からクレームが入ったそうです。『チルル』の出している商品が、
被るということですけれど、まぁ、正直、『チルル』の評判のよさが、
気に入らなかったということでしょう」
「ほぉ……被るねぇ」
「部長、『KISE』と『リリアーナ』には、長い歴史があるので」
益子の横に座っていたエリカは、そう言葉を挟む。
「一度、契約を破棄にしたうちが、『チルル』に復活を願うのは、
難しい交渉だと思います。でも、ここで引いてしまったら、
他の店に取られてしまう可能性が高いです」
拓也は、益子に『リリアーナ』と話をしてもらえないかと、そうお願いする。
「そうだな……」
彩希は『yuno』の袋に入っていた、他の焼き菓子に興味を持ち出した。
以前、買ったものとは、色合いがまた違っているものもあり、
その形を見ながら、どんな味がするのだろうと思い始める。
そばに立つエリカの視線が、この場所に来てから、
ずっと彩希に向いていることには、全く気付いていなかった。
エリカはこの間、
純から『チルル』と『yuno』を食べ比べる意味を聞きだしていた。
『yunoは、日本進出を決めてから、日本人のパティシエを増やした。
きめ細かい作業をしてもらうためもあるだろうし、あの焼き菓子を作る水も、
日本人の味覚にあうような設定に変えている』
『水? それで変わるの?』
『変わるよ。ヨーロッパと日本では水の硬さが違うんだ』
純は、彩希がこの意味をわかっていて、それで比べているのなら、
舌の実力は本物だと、そう言っていた。
エリカは、そう話した純の表情が、何か新しいものを見つけ、
今から動き出すものに期待しているように思え、
なぜだかわからないわからない嫉妬を、感じたほどだった。
そして今、エリカは目の前で彩希の意見を聞いた。
『『KISE』に『チルル』があれば、手に入るんです』
純の言っていた通り、彩希の舌は、『水』についてまで触れ、
何かを見抜く力があることが証明された。
どこの店にでもいそうな、店員の一人だと見ていた彩希に対し、
エリカは、興味を持ち始める。
そして、この結果を純に知らせたとき、見せるであろう表情に、
少し不安さえ覚えてしまう。
「益子部長と『リリアーナ』との話が進み次第、
もう一度、『チルル』に交渉に向かいます」
拓也がそういうと、益子はしっかりと頷いた。
『木瀬百貨店』に入社してから5年。
売り場という売り場で上司とぶつかり、実力がありながら、
どこか厄介者の扱いをされている広瀬と、
これからの『伊丹屋』。
食料品売り場を、任されるようになった若き『エース』の純。
二人が注目する、『江畑彩希』の姿に、エリカは立ち上がる。
「すみません、私は仕事に戻ります」
「あぁ……つき合わせて悪かった」
拓也にそう言われ、エリカはいいえと首を振り、その場を離れた。
【 ご当地スイーツ紹介 】
各話のタイトルに使用している写真は、各都道府県の有名なお菓子です。
みなさん、味わってみたこと、ありますか?
【10】千葉 落花生最中 (落花生の殻の形をした皮の最中、落花生餡、小豆つぶ餡がある)

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