32F 目の前のハンデマッチ ①

32 目の前のハンデマッチ

32F-①


「すみません、吉原恭平と言います。昨日は店に来ていただいたと、
家内から聞きました」

「あ……はい」


彩希の目の前に現れた男性は、しのぶのご主人、恭平だった。

手に持っていたブーケを、彩希に渡してくれる。


「あの、これ」

「申し訳ないですが、これでもお礼のつもりです。
秋のイベント、メインの場所は無理だけれど、臨時のブースを考えてもらうって、昨日」

「はい……あ、でも、まだ正式には」

「いえ、先ほど、広瀬さんから連絡をいただいたそうです。
臨時ブースへの参加が認められたと」

「……広瀬さんがですか」

「はい。今回持ち込んだうちの商品が、他の店とのかぶりがなく、魅力的だったと。
それで俺、嬉しくて、売り場の花ですが、ちょっと作ってきました」


恭平は、義父の思いを受け継いだ妻のケーキは、本当に美味しいからと、そう繰り返す。


「本当に美味しかったですよ、きっとお客様にも受けるはずです」

「ありがとうございます。オープンをしたらぜひ、店にもいらしてください。
待っていますので」


恭平は、仕事の邪魔になるからと、すぐにその場を去ろうとする。


「あの……」

「はい」

「ありがとうございました。ぜひ、伺います」

「はい、お待ちしています」


恭平はそういうと、彩希にもう一度頭を下げ、売り場を出て行った。

少し離れた場所で見ていた竹下は、恭平が出て行くのを確認すると、

すぐに彩希のところへ駆け寄ってくる。


「バタちゃん、バタちゃん」

「はい」

「ねぇ、何よ、何をしたの?」


竹下は、今の人はどういう意図でここへ来たのかと、問いかけた。

彩希は、秋のイベントで、お世話になる店だとそう説明する。


「イベントで? そんな抽象的な言い方じゃ、わからないじゃない」

「すみません、まだ全体像しか見えていないので、これ以上は説明できなくて」


彩希はそういうと、さらに質問をしようとした竹下を振り切り、台車を押し始める。


「どうしたの、竹下さん」

「ん? なんだかバタちゃん、ずいぶんお偉くなったみたいよ」

「偉くなったの?」


それだけを聞かされた高橋には、全く状況がつかめない。


「私たちにはわからない世界で動いているみたい。
おそらく、違う星にでも飛び立って、ご活躍されているのかと……」


竹下はそういうと、早くランチタイムにならないかしらねと、壁にかかる時計を見る。

高橋は、首を傾げたまま『星ねぇ……』とつぶやいた。



台車を押し続けた彩希は、本社に続く地下通路の方を見る。

昨日の今日というスピードで、

臨時ブースとはいえ、採用を決めてくれた拓也のことを考えた。

すぐにでもお礼を言いたいところだったが、今日は売り場の担当のため、

勝手に持ち場を離れるわけにはいかない。

竹下とは違った意味で、早くランチタイムが来ないかと思いながら、

彩希はまた台車を押し始めた。





『KISE』の売り場に、12時を告げる鐘の音が響いた。

正面玄関前にある、大きなからくり時計は、『キセテツ』をイメージさせた

電車のオブジェがついている。

駅長が中心部分から顔を出すと、その下についている電車が、

シュッシュと音をさせ、車輪を回しだす。

その音にあわせる様に、周りの数字にライトが当たり、時間数によって回転も変化した。

地下食料品売り場にいる彩希は、その動きを見ることはなく、

同じく売り場で働く恵那と一緒に、地下通路を本社に向かい進んだ。

本社の社員が使うエレベーターに並び、そのまま食堂まで連れて行ってもらう。

社員たちは、仕事の内容によって、時間差で食堂を使うため、

彩希が到着した頃には、すでに半分のテーブルが埋まっていた。

食べ物を購入する前に、まずは拓也の姿を探すが、見つからない。


「どうしたの、バタちゃん」

「うん、広瀬さんがいるかなと思って」

「何……用事?」

「まぁ」


彩希は、臨時売り場とはいえ、地元で親の意思を継いで『夢』を実現させようとする、

『コートレット』を採用してくれた決断に、感謝の気持ちを伝えるつもりだった。

それなら、昼食帰りにラインへ寄ろうと考え、恵那と一緒に『本日のパスタ』を選択する。

今日は和風のパスタで、サラダと一緒に、デザートのプリンもついていた。





「また『リリアーナ』ですか」

「そう。またまたリリアーナなの。広瀬さん、昼食前に出ていったわよ」


彩希が昼食を終えて販売企画部内の『第3ライン』へ立ち寄ると、

打ち合わせの業者を待つエリカが、そう教えてくれた。


「何か伝えた方がいいのなら、話しておくけど」


彩希の表情から、『何か』がありそうな気がして、エリカはそう切り返す。


「いえ、急ぎではないので。またこちらに来るときでも」

「そう……」


彩希はエリカに『ありがとうございました』と頭を下げると、

先に売り場へ戻った恵那を追うように、少し小走りで地下通路に向かった。



明るい気持ちで仕事に取り組んでいた彩希とは違い、

拓也は『リリアーナ』の本社を出ると、どんよりした気持ちを抱えたまま、

首を軽く回した。

『チルル』の件でヘソを曲げてしまった大手の店は、以前宣言したとおり、

新商品の開発を『伊丹屋』と進め始めた。

そして、『味の旅』に合わせて店舗全体を『秋』に変えていくという中、

目玉商品を『KISE』ではない百貨店で、

売り出しを開始することになったという宣言を、突然明らかにする。



『うちはうちのやり方で、『KISE』とお付き合いをさせてもらいますよ』



長い間、『共に戦う』という気持ちを持ち、売り場を盛り上げてきたはずだったが、

その構図は、いつの間にか『甘え』と『歪み』に変化していた。

売り場面積も、商品を扱う率も、『リリアーナ』はどこよりも有利な設定になっている。

拓也にしてみれば、『KISE』自体が生き残っていくための変化だと考えるが、

相手は立場が違うため、全て同じ方向を見てくれというわけにもいかない。

拓也は、こうなったらなんとしてもイベントを成功させ、

『KISE』とはしっかりと付き合わないと損だと思わせなければならないと、

あらためて考える。

集客の方法、宣伝の効果など、色々頭を悩ませていると、到着はあっという間だった。

駅に戻り改札を出ると、拓也はそのまま左に折れ、横断歩道に向かって歩いていく。

拓也の後ろを歩き、少し遅れて改札を出た男は、その後姿を黙って見送ると、

そのまま『KISE』の売り場に入っていった。

エナメルの靴底がカツカツと音をさせる。

男は、地下の食品売り場に下りていくと、どこかに立っているはずの彩希を探す。

休み時間を終えた彩希は、小さな子供連れの女性から、ちらしを見せられて、

その店の前まで案内していた。

子供の視線に合わせるように腰を落とし、ガラスケースの中にある、

かわいらしいケーキたちの説明をしているのか、子供は嬉しそうに商品を指さし、

その場で小さくジャンプをする。

彩希は笑顔で接客し、親子連れは満足そうに駅へと向かう。


「相変わらずだな……あいつ」


その姿を捉えた冬馬は、軽く微笑んだ。



32F-②




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